生田裔神八社
兵庫県神戸市にある
生田(いくた)神社
の周辺には
生田裔神八社
(いくたえいしんはちしゃ)
といわれる
8つの神社が
祀られています。
これらの神社を巡拝するのも
神社めぐりの愉しみらしく
生田神社につづいて
順番にめぐってみました。

一宮神社
まずは、
一宮(いちのみや)神社
へむかいます。
生田神社から
500メートルほど
北北東へすすんだ
山本通一丁目
にあります。

田心姫命
御祭神は
田心姫命(たごりひめ)
だといいます。
別名を
多紀理姫命(たきりひめ・田霧姫)
沖津島姫命(おきつしまひめ)
ともいうようです。

古事記・日本書紀によれば
アマテラス(天照大神)と
スサノオ(素戔嗚尊)の
誓約(うけい)
によって生まれた
三姉妹の長女と
いわれているようです。

三姉妹は福岡県にある
宗像(むなかた)大社
で祀られることから
宗像三女神
(むなかたさんにょしん)
ともいわれていて
宗像大社の
沖ノ島(おきのしま)
に祀られている
田心姫命の御霊を
一宮神社に勧請した
といわれるようです。
ですから、
海上守護や交通安全の
神徳もあるようです。

タケコ
ホツマツタヱによると
田心姫命は
タケコといったようです。
ソサノヲの子・
オホナムチ(大己貴命)
[出雲の大国主命]と結ばれて
アチスキタカヒコネや
タカテルヒメや
事代主クシヒコなど
おおくの子どもたちを
生んだといいます。

最期は滋賀県の
琵琶湖東岸でなくなり
琵琶湖の中腹にうかぶ
沖島(おきしま)
に祀られたといいます。
タケフカミ(竹生神)
という称え名もたまわり
琵琶湖の北にうかぶ
竹生島(ちくぶしま)
でも祀られていて
竹生島の
弁財天というのは
タケコ(田心姫)のこと
だといわれるようです。
本殿

生田川
創建時期は不明ですが
生田神社を創建したとされる
神功皇后(じんぐうこうごう)が
参詣したと伝わることから
3世紀ごろには
存在していたのかもしれません。
かつては、
生田川(いくたがわ)が
すぐ東に流れていたようです。
布引の滝(ぬのびきのたき)
からつづく生田川は
新神戸駅から直線的に
神戸港へそそいでいますが
かつては、やや
迂回をしていたらしく
フラワーロードという通りが
生田川の名残だといいます。
生田川をみおろす
西の丘のうえにあった社
のようですね。
山と海と川の気を
感じられるような
居心地のよい神社です。
伊久波神社
一宮神社の境内には
末社として
伊久波(いくは)神社
が祀られていました。
ご祭神は
的戸田宿禰
(いくはのとだのすくね)
といい
「伊久波(いくは)」は
「的(いくは)」から
きているといいます。
第16代・
仁徳(にんとく)天皇の時代に
献上された
鉄の的と鉄の盾を
武内宿祢(たけうちのすくね)の
子孫にあたる葛城(かつらぎ)氏で
弓の名手である
盾人(たたひと)宿禰が
射貫いたので
的戸田(いくはのとだ)宿禰
という名を賜ったといいます。
また、
この地には古代豪族・
布敷首(ぬのしきのおびと)
生田首(いくたのおびと)
という一族がいたそうですが
かれらのなかには
武内宿祢の子孫もいたので
的戸田宿禰を祀ったといいます。

けれども、これでは
いまいち意味がわかりません。
内容を察するに
史書とは異なるため はっきりとはいえませんが 生田(いくた)首は 的戸田(いくはのとだ)宿禰 の末裔とも考えられて 生田(いくた)の語源も 的(いくは)からきている のではないでしょうか?
といいたいのかもしれません。
だとすれば、ここは
「生田」発祥の神社
かもしれません。
市の宮
江戸時代には
市の宮(いちのみや)
ともいわれたらしく
一定に日には
市(いち)がひらかれていた
ようですね。
境内には、ほかに末社・
熊高稲荷(くまたかいなり)神社
がありまして
商売繫盛の神徳がある
といわれますが
市の盛況にも
繋がっているのでしょう

戸隠神社
もうひとつ、
気になることがあります。
一宮神社の社殿は
1947年に再建された
というのですが
そのさいに
奈良県大柳生村にある
夜支布山口(やきふやまぐち)神社
の境内社である
戸隠(とがくし)神社
の社殿を模して造られた
というのです。
遠く離れた地の
小さな境内社がなぜ
もとにされたのかは
当社の氏子さんらによる
理由や事情があるのでしょうが
戸隠神社の祭神は
天手力雄神(たぢからお)
ですから
生田神社の祭神
稚日女尊(わかひるめ)
とは
母子の関係である
というのも興味深いところです。
五男三女
一宮神社の手水舎には
誓約の系図がありました。

この系図と
一宮神社の門前にある
八社めぐりの案内とを
いまいちど
見比べてみますと

七宮神社のご祭神が
異なっています。
誓約の祭神としては
活津彦根命(いくつひこね)
を祀りたいところですが
実際に
七宮神社で祀られているのは
スサノオ(素戔嗚尊)の子・
大己貴命(おほなむち)
だといいます。
大己貴命といえば
田心姫命の夫となるかたです。
なぜこのようなことに
なっているのかも
追いかけてみたいと思います。
ところで、
五男三女(ごなんさんじょ)
という言葉には
護難賛助(ごなんさんじょ)
という言葉もかかっている
といいます。
わたしたちを
災難から防ぎまもり
助けて賛同してくれる
八社めぐりをすることは
そうしたご縁をむすぶこと
になるのかもしれません✨
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