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生田めぐり6 四宮神社

四宮神社の社号碑兵庫

生田裔神八社

兵庫県神戸市にある
生田(いくた)神社
の周辺には

生田裔神八社
(いくたえいしんはちしゃ)
といわれる

8つの神社が
祀られています。

これらの神社を巡拝するのも
神社めぐりの愉しみらしく

生田神社につづいて
順番にめぐっています。

生田裔神八社めぐりの案内板

四宮神社

三宮神社から
900メートルほど
北西へゆくと

四宮(よのみや)神社
があります。

「よつのみや」ではなく
「よのみや」というようですね。

『四の御前の神』
ともいわれていたようです。

四宮神社の鳥居

市杵島姫命

四宮神社のご祭神は
市杵島姫命(いちきしまひめ)
だといいます。

誓約(うけい)
によってうまれた

三女神のうちの
三女にあたるかたです。

ほかに
狭依毘売命(さよりひめ)
という名もあるようです。

四宮神社の社殿

ホツマツタヱでは
タナコといわれています。

ツキヨミ(月読尊)の子・
イフキドヌシ(伊吹戸主神)
と結ばれて

四国の伊予をおさめる
イヨツヒコ

四国の土佐をおさめる
トサツヒコ

筑紫の宇佐をおさめる
ウサツヒコ
を生んだようです。

タナコは
慈しみに満ちたかた
だったらしく

タナコの眠る地も
厳島(いつくしま)
といわれたようです。

広島県の
厳島(いつくしま)神社
に祀られている
女神・弁財天というのは

市杵島姫(厳島姫)
タナコのようですね。

四宮神社の祭神も
厳島神社から
勧請されたようです。

いまでは、
芸能の女神として
親しまれているようですね。

四宮神社の案内板

花隈城

創建時期は不明ですが
神功皇后が参拝したとされるので
西暦200年ごろなのでしょう。

ただし、当初から
この地にあったのかは
よくわかりません。

戦国時代には
織田信長(おだのぶなが)
の命により

神戸には
花隈城(はなくまじょう)
が築かれたといいますが

四宮神社は花隈城の
鬼門守護とされたようです。

ふるくは、この地を
『鼻隅(はなくま)』
といったらしく

六甲山(ろっこうさん)の丘陵が
海に突きだしているさまを
『鼻』といい

鼻の稜線を
『隅』といったことによる
といいます。

ですが、
ホツマツタヱからすれば

ソサノヲ(素戔嗚尊)
思い浮かべてしまいます。

ソサノヲの本名(諱)は
ハナキネ(花杵)といいますし

ソサノヲには母・イサナミ
クマ(隈)がおりて心が荒れた
といわれています。

また、ホツマツタヱでは
ソサノヲと誓約をかわしたのは

生田神社の祭神でもある
ワカヒメ(稚日女尊)
といわれています。

ここにも、なにか
因縁を感じてしまいます。

四宮神社の由緒

四宮神社は
戦火や戦災などにより
たびたび焼失したらしく

現在地に遷座したのは
江戸時代末期だといいます。

それまでは、近隣の地で
祀られていたのでしょうか?

花隈城の跡地には
花隈厳島神社が祀られていますが
なにか関係があるのでしょうか?

このとき、花隈の地は
高級料亭がならぶ花街
になっていたようです。

伊藤博文

江戸時代末期には
四宮神社のまえに

兵庫県庁舎が
築かれたことから

兵庫県の
初代知事に就任した
伊藤博文(いとうひろぶみ)
の崇敬も厚かったといいます。

神戸事件(1868年2月)
奔走したのちの

県知事就任(1868年7月)
だったようですね。

以後は、
県政の守護の神
ともされたようです。

境内社

境内には、ほかに

誉田別尊(こんだわけ)を祀る
八幡(はちまん)神社

三義稲荷大明神
武富稲荷大明神
白嶽稲荷大明神を祀る
稲荷(いなり)神社

弁財天巳大神を祀る
巳(み)神社
がありました。

四宮神社の稲荷神社

八幡神社の
誉田別尊とは第15代・
応神(おうじん)天皇のこと
といいますから

神功皇后の御子を祀っている
ということのようですね。

稲荷神社は
鬼門(北東)守護として
祀られていることから

地主神を祀っている
のかもしれませんね。

巳神社は
市杵島姫の使いとされる白蛇
を祀っているといいます。

生田めぐり7

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