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生田めぐり12 湊川神社

湊川神社の社殿兵庫

湊川神社

生田裔神八社めぐり
の途中に

湊川(みなとがわ)神社
がありました。

鎌倉時代末期の武将・
楠木正成(くすのきまさしげ)
を祀る神社であり

楠木正成の没地に
建てられたといいます。

湊川神社の社号碑と楼門

旧湊川と新湊川

六甲山(ろっこうさん)系の
天王谷川(てんのうたにがわ)
石井川(いしいがわ)が合流して

湊川(みなとがわ)
となるようです。

かつては、
福原京(ふくはらきょう)
のとなりを流れて

神戸港(こうべこう)
へ注いでいたといいます。

けれども、
氾濫をくり返していたらしく

1900年ごろに
湊川隧道(みなとがわずいどう)
がもうけられると

会下山(えげやま)
をくぐって

長田(ながた)神社の南で
苅藻川(かるもがわ)と合流して
兵庫運河にそそぐ

新湊川(しんみなとがわ)
が築かれたようです。

湊川神社の神紋

湊川の戦い

旧湊川のあたりで

九州から北上してきた
足利尊氏(あしかがたかうじ)
の軍勢と

第96代・
後醍醐(ごだいご)天皇
につかえる

新田義貞(にったよしさだ)
楠木正成の軍勢が争ったのが

1336年におきた
湊川の戦いだといいます。

楠木正成は
会下山に陣をはって
奮戦するものの

戦況を覆すことはできず
この地でなくなったようです。

楠木正成の死没地案内板

足利尊氏と後醍醐天皇は
かつてはともに
鎌倉幕府を倒した戦友でもあり

後醍醐天皇の諱(いみな)・
尊治(たかはる)から
字をあたえられて

足利「高」氏は
足利「尊」氏となった
のだそうです。

けれども、
時代の流れのなかで
ふたりは対立してゆき

湊川の戦いに勝った
足利尊氏は京都にはいり
室町幕府(むろまちばくふ)
をひらきます。

湊川の戦いに敗れた
後醍醐天皇の勢力は

奈良の
吉野(よしの)に逃れて
南朝(なんちょう)
をひらきます。

いわゆる、
室町(むろまち)時代や

室町時代初期の
南北朝(なんぼくちょう)時代
がはじまることとなります。

湊川の戦いというのは
時代の変わり目となった戦
だったようです。

湊川神社の社号碑

楠木正成

楠木正成(くすのきまさしげ)
は後醍醐天皇につかえた武将で

鎌倉幕府の打倒にも
おおいに貢献したといいます。

ゲリラ戦や
情報戦・心理戦にすぐれ
軍事戦略の天才として

地方氏族にすぎなかった
楠木(くすのき)氏の名を
一気におしあげたようです。

湊川神社の社殿

楠木氏の本拠地は
金剛山(こんごうさん)
大和葛城山(やまとかつらぎさん)

の西にある

千早赤阪村
(ちはやあかさかむら)

だといいます。

奈良時代におこった
橘(たちばな)氏の末裔
ともいわれていて

祖先は、葛城王こと
橘諸兄(たちばなのもろえ)
にあたるともいわれるようです。

葛城とゆかりのふかい
高鴨(たかがも)神社には

楠木正成公の銅像
もありました。

高鴨神社の楠木正成像
高鴨神社の楠木正成像

ただし、当時は
体勢に反して日本全土で
騒乱を誘発させた武将として

悪党(あくとう)
のひとりとされていたようです。

ですから、没後も
首は故郷へと送られたものの

墓の所在は不明
となっていたようです。

大楠公

時代はくだり
豊臣秀吉(とよとみひでよし)
太閤検地(たいこうけんち)
がおこなわれたさい
墓所が発見されたらしく

江戸時代のはじめには
尼崎藩主によって
供養塔が建てられたようです。

楠木正成の没地

なかでも、
崇敬が篤かったのは

水戸黄門でもしられる
徳川光圀(とくがわみつくに)
公だそうです。

光圀公は、みずから
歴史書の編さんをするさいに
南朝が正統であったと見出して

南朝につかえた
楠木正成の顕彰に思い至った
といいます。

そうして、
大倉山(おおくらやま)
廣嚴寺(こうごんじ)の僧・
千巖と協力として

嗚呼忠臣楠子之墓

という文字を彫った墓碑を
建立したのだそうです。

「南朝が正統」という
光圀公の歴史観は

明治維新の志士や
明治政府にまで
継がれたようで

楠木正成は
「理想の勤皇家」として

大楠公(だいなんこう)
と称えられたようです。

こうした流れから
明治5年(1872年)に

湊川神社が
創建されたといいます。

吉田松陰の案内板

神紋

湊川神社の神紋は
楠木氏とおなじく
菊水紋(きくすいもん)
だといいます。

楠木正成は後醍醐天皇より
菊紋を下賜されたといいますが

そのままでは
畏れおおいとして

信奉する
水分神社の神紋とあわせて
菊水紋をつくったそうです。

湊川神社の手水舎にある龍のモニュメント

菊水紋の
「水」の部分は

ヲシテ文字
「エ」の母音にそっくり
というのも気になるところです。

湊川神社の神紋

さらに、おもしろいのは
拝殿の賽銭箱には

このような図形も
描かれていました。

湊川神社の神紋

こちらの水紋は
ヲシテ文字の
「ア」「ワ」の渦巻き
にもみえてきます。

フトマニ図・中心円の上下の渦巻に似ている

楠木氏ゆかりの
『千早(ちはや)』は

6ハタレのひとり
「アメヱノミチ」ゆかりの
『チワヤ』にも通じるようで

楠木氏は
ホツマツタヱの世界とも
ゆかりが深そうです。

生田めぐり ~終~

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