生田裔神八社
生田(いくた)神社
の周辺には
生田裔神八社
(いくたえいしんはちしゃ)
という8つの神社があり
それぞれ、
天照大神の8人の御子が
祀られているといいます。
古事記・日本書紀によれば
子どもたちは
誓約(うけい)
によって生まれたといわれ
男の子が5人
女の子が3人
だったことから
五男三女神(ごなんさんにょしん)
ともいわれるそうです。
誓約
誓約(うけい)
というのは
まず誓いたてておき
結果によって吉凶を占うこと
だそうです。
古事記・日本書紀では
アマテラス(天照大神)と
スサノオ(素戔嗚尊)が
誓約をおこない
女の子が生まれれば
心が汚れていて
男の子が生まれれば
心が清らかである
という
誓いをたててから
子どもを生んで
男女どちらが生まれるまれるかで
清濁の判断したようです。
三女神
記紀(古事記・日本書紀)では
まず、
アマテラス(天照大神)が
スサノヲの剣を3つに折って
ばりばりと噛んでから
吹きだすと
- タキリヒメ(多紀理毘売・奥津島比売・田心姫)
- タキツヒメ(多岐都比売・湍津姫命)
- イチキシマヒメ(市杵島姫・狭依毘売)
という
3人の女神が生まれたといいます。
福岡の
宗像(むなかた)大社
でも祀られることから
宗像三女神(むなかたさんじょしん)
ともいわれるそうです。
五男神
つぎに、
スサノオ(素戔嗚尊・須佐之男命)が
アマテラスの玉をすすいで
ばりばりと噛んでから
吹きだすと
- アメノオシホミミ(天忍穂耳)
- アメノホヒ(天之菩卑・天穂日)
- アマツヒコネ(天津日子根・天津彦根)
- イクツヒコネ(活津日子根・活津彦根)
- クマノクスヒ(熊野久須毘・熊野櫲樟日)
という
5人の男神が生まれたといいます。
詔別
これによって
スサノオの心の清らかさが
証明された・・・
といいたいところ
なのですが
ここで、
アマテラスによる
詔別(のりわけ)
がおこなわれ
3女神は
スサノオの剣から産まれたので
スサノオの御子である
5男神は
アマテラスの玉から産まれたので
アマテラスの御子である
とされてしまい
清濁の判断がうやむやになる
という事態となります。
このあたりは、本当に
わけがわからなくて
古事記・日本書紀が
難解といわれる理由のひとつ
ではないでしょうか?
ワカヒメ
そこで、
古事記・日本書紀の
もとになったといわれる
ホツマツタヱをひもとくと
すこしすっきりとしてきます。
そもそも、
ホツマツタヱでは
誓約を交わすのは
アマテラスとスサノオ
ではありません。
生田神社の祭神・
稚日女尊(わかひるめ)こと
天照大神の姉・
ワカヒメ(ヒルコ)と
天照大神の弟・
ソサノヲ(素戔嗚尊)
とのあいだで交わされます。
ヤスカワ
ホツマツタヱでの
誓約のシーンというのは
天岩戸(あめのいわと)
事件をおえて
朝廷(高天原)を
追放されることになった
弟・ソサノオ(素戔嗚尊)が
ヤスカワ(野洲川)
に暮らしていた姉・
ワカヒメに
一目逢いたいと願った
ところからはじまります。
ワカヒメはこのとき
夫・オモイカネ(思兼神)
とともに
滋賀県琵琶湖の南東にある
野洲川の流域に暮らしていた
といわれています。
あげまきし
弟・ソサノヲの来訪に
姉・ワカヒメは
おととのくるは
ホツマツタヱ 7アヤ
さはあらじ くにうばふらん
弟(ソサノヲ)が ここへやってくるのは (一目逢いたいという) 清らかな心からではないだろう。 わたしたちが治める この国を奪いにきたに違いない
というふうに
思いをめぐらせたようです。
どうやら、
夫・オモイカネも
外出中だったようです。
そこで、ワカヒメは
あげまきし もすそおつかね
ホツマツタヱ 7アヤ
はかまとし ゐをにみすまる
からまきて ちのりゐをのり
ひちにつけ ゆはずおふりて
つるぎもち かたにわふんて
けちらして いつのおたけに
なじりとふ
髪を総角(あげまき)に 結い上げて 衣服の裾をたくしあげて 袴(はかま)のようにして 五百個ほどもあろうかという 玉をひとつらねとした 「ミスマル」を 身体にまきつけて 千本の矢がはいった靫(ゆき)と 五百本の矢がはいった靫を 身につけると 弓弭(ゆはず)に 弦をかけて弓をはり 剣を手にもって 力足を踏んで 気合いを入れると 威勢のよい雄叫びをあげて ソサノヲを問い詰めた
といいます。
戦闘態勢を
完璧にととのえてから
弟・ソサノヲに
立ち向かったようですね。
ちかいさる
姉には一目置いていた
ソサノヲですから
これには
すこしうろたえて
「 恐れることはありません どうか疑わないでください 」
と返したものの
ワカヒメは聞かなかった
といいます。
そこで、
ソサノヲはワカヒメに
誓約をもちかけたようです。
ねにいたるのち
ホツマツタヱ 7アヤ
こおうまん めならはけがれ
をはきよく これちかひなり
「 わたしがこのあと ネの国へ着いたのちには 妃をめとって 子を生むことにいたします。 女の子が生まれたならば わたしの心は汚れている 男の子が生まれたならば わたしの心は清らかである と信じてください。 これを誓いといたしましょう 」
と、これだけいって
ワカヒメのもとを
去ったといいます。
なぜ、
男が清く女は汚れか
というと
兄・天照大神が
長男を生んだのちに
長女・次女・三女を生んだから
のようですね。
兄・天照大神は
国を導く清らかな存在ですから
兄・天照大神のように
男の子をさきに産んだなら
兄・天照大神とおなじく
心が清らかである
という証明にしたようです。
はやかえれ
のちに、ソサノヲは
ネの国にたどり着くと
イナタヒメをめとって
長男を生んだといいます。
これによって
潔白が証明されたと
ソサノヲは喜びいさんで
姉・ワカヒメのもとを
たずねたようです。
やすかわに ゆきてちかひの
ホツマツタヱ 9アヤ
をのこうむ あかつといえは
ソサノヲはワカヒメのいる ヤスカワまで訪ねてゆき 「 わたしは誓いのとおり 男の子を生んだぞ。 わたしの勝ちだ! 」 といったところ
ワカヒメは
こう返したようです。
あねがめに なおきたなしや
ホツマツタヱ 9アヤ
そのこころ はぢおもしらぬ
よのみたれ これみなそれの
あやまちと おもえはむせぶ
はやかえれ
「 姉であるわたしの目には あなたの心はまだ汚くみえます。 あなたの恥をも知らぬ心根が 世の乱れをうみだして おおくのひとびとが いまなお苦しんでいるのです。 この動乱はみな あなたのあやまちがもととなって 起こったではありませんか。 そんなことにもまだ気づかず あやまちを繰り返すとは なんと情けないことでしょう。 はやくあなたの国へかえって あなたのやるべきことをなさい! 」
と、このように
ワカヒメは激昂して
ソサノヲを
追い帰したようです。
さすがのソサノヲも
これには恥じ入って
心を入れ替えたようで
これが、やがて
ソサノヲが出雲を治める
きっかけにも
なっていたようですね。
五男三女
ホツマツタヱでは
天照大神は男神であり
12人の妃とのあいだに
8人の子を設けたといいます。
ソサノヲもまた
イナタヒメとのあいだに
8人の子を設けていたようです。
男女比はどちらも
五男三女(ごなんさんにょ)
だといいますから
天照大神とソサノヲには
深い因縁があったのでしょう。
天照大神
ここで、
ホツマツタヱにおける
天照大神の妃と御子を
出生順にならべてみます。
- ホヒ(天穂日)[母:モチコ]
- タケコ(田心姫・奥津島姫)[母:ハヤコ]
- タキコ(湍津姫・江ノ島姫)[母:ハヤコ]
- タナコ(市杵島姫・厳島姫)[母:ハヤコ]
- アマツヒコネ(天津彦根)[母:アキコ(速秋津姫)]
- イクツヒコネ(活津彦根)[母:ミチコ(大宮姫)]
- クマノクスヒ(熊野樟日)[母:アヤコ(豊姫)]
- オシホミミ(天忍穂耳)[母:ホノコ(瀬織津姫)]
この方々は
ソサノヲとワカヒメが
誓約をする以前にすでに
生まれていたようです。
このうち、后・
瀬織津姫との子である
オシホミミが
世継ぎとなったようです。
ソサノヲ
ソサノヲは
イナタヒメ(奇稲田姫)と
五男三女をもうけたようです。
- オオヤヒコ(大屋彦)
- オオヤヒメ(大屋姫)
- ツマツヒメ(爪津姫)
- コトヤソ(事八十)
- オホナムチ(大己貴)
- カツラギヒトコトヌシ(葛城一言主)
- オホトシクラムスビ(大歳倉稲魂)
- スセリヒメ(須勢理姫)
このうち、
オホナムチが世継ぎとなって
出雲を治めたようですね。
出雲大社の祭神・
大国主命(おおくにぬし)
のことですね。
神功皇后
生田神社を創建した
といわれる
第14代・
仲哀(ちゅうあい)天皇の后・
神功皇后(じんぐうこうごう)
も武装した姿で描かれます。
仲哀天皇なきあと
女帝としてたちあがり
海外遠征である
三韓征伐(さんかんせいばつ)
をおこなったことから
勇ましい姿で
描かれるようです。
そんな神功皇后が
みずからの姿にも似た
ワカヒメを祀り
そのまわりには
生田裔神八社として
天照大神の御子を祀り
誓約をあらわしている
というのは
ホツマツタヱが由来となっている
ようでとても興味深いです。
さらにおもしろいのは
8社のうち1社だけ
天照大神の御子ではなく
ソサノヲの御子が祀ってある
ということでしょうか。
これもまた
とても意味深なことです。
ということで、ここから
生田裔神八社めぐりを
すすめてゆきます。
コメント