引っ越し作業中

生田めぐり4 二宮神社

二宮神社の社号碑兵庫

生田裔神八社

兵庫県神戸市にある
生田(いくた)神社
の周辺には

生田裔神八社
(いくたえいしんはちしゃ)

といわれる

8つの神社が
祀られています。

これらの神社を巡拝するのも
神社めぐりの愉しみらしく

生田神社につづいて
順番にめぐっています。

生田裔神八社めぐりの案内板

二宮神社

一宮神社から
450メートルほど
東へすすむと

二宮(にのみや)神社
があります。

フラワーロードという通りは
旧・生田川(いくたがわ)
だといいますから

かつての
生田川をはさんで

一宮神社の対岸にあった
ようですね。

二宮神社の鳥居

二宮神社があることから
二宮町というようです。

御幸石

生田神社は、もともと
砂山(いさごやま)
[布引山(ぬのびきやま)]で
祀られていたといますが

平安時代のはじめごろに
大水害にみまわれて

現在祀られている
生田の森へ遷座した
といいます。

そのさい、
新しい社殿が築かれるまでのあいだ

生田神社の御神体を
二宮神社の境内に
安置していたといいます。

二宮神社の社殿のまえには
御幸石(みゆきいし)という
磐座(いわくら)があり

当時、
生田神社の御神体が
奉安されていた場所
なのだそうです。

二宮神社の社殿
左側の狛犬のまえにあるのが「御幸石」です

葺屋壮

鎌倉時代になると

二宮神社から
砂山(布引山)にかけての
一帯は武士の領地となり

葺屋荘(ふきやしょう)
とよばれていたようです。

茅葺(かやぶき)の農家が
たちならぶ地だったらしく

「茅葺屋根」から
「葺屋」となったようですね。

二宮神社の狛犬と屋根

明治時代になると
周辺の村々が合併して

葺合(ふきあい)区
となったようですが

そのさいに
葺合区内にあるすべての神社が
二宮神社に合祀されたそうです。

ですから、二宮神社は
葺屋壮総鎮守
(ふきやしょうそうちんじゅ)
といわれるようですね。

合祀されていた神社は
社殿が再建され

いまでは、
もとの場所へ戻ったそうです。

二宮神社の社号碑

御歌

生田裔神八社は
港神戸守護神 厄除八社
(みなとこうべしゅごしん やくよけはちしゃ)
ともいわれるようですが

それぞれの社に
御歌まであるようです。

・一宮神社

谷河の氷も解くる里を思え 光あまねく巡る日の蔭

・二宮神社

大君のしめぬる國の外までも 道にぞなびく御世の閑けさ

・三宮神社

玉遠く木々のわか葉の露に今 光を添えて目覚ましく見る

・四宮神社

いほろしや千里の早苗きても見よ しげりしげれる松の下蔭

・五宮神社

穂向けする日並みよき風野も山も むろの早風千里八千里

・六宮神社

只管に心のしめを願うにや 虫さえ鈴を千たび振るなり

・七宮神社

いさましく国の御かへとつもりぬる 武庫の浦辺ちえのしら雪

・八宮神社

くにの風すなおなる世のひも鏡の むかううれしき千木のかたそぎ

どの歌も力づよくて
素晴らしいです。

二宮神社の社号碑と鳥居

天忍穂耳尊

生田裔神八社では
アマテラスとスサノオの
誓約(うけい)で生まれた
8人の御子が祀られていますが

二宮神社のご祭神は
誓約で生まれた御子のひとり

正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命
(まさかつ あかつ かちはやび あめのおしほみみのみこと)

だといいます。

ホツマツタヱでは
オシホミミ(天忍穂耳尊)
といわれています。

天照大神の
世継ぎとなるかたですから

8人の御子のなかでも
もっとも重要なかたといえるでしょう。

ながい名前のなかには
「吾勝(あかつ)」とあることから
勝負事の神さまとされるようですね。

これも誓約のさい
男児を生んだソサノヲが
あかつ」と宣言した
ことによるようです。

地元のかたには
「正勝(まさかつ)さん」の愛称で
親しまれているといいます。

創建

創建時期は不明ですが
神功皇后(じんぐうこうごう)
が参詣したといわれることから

西暦200年ごろには
あったともいわれるようです。

また、
二宮神社北側の旧神域に
隣接する小学校跡地からは

飛鳥時代の鍛冶工房跡や
祭祀用の土偶などもみるかり

すくなくとも
1400年前にはここで
祭祀が行われていたようです。

二宮神社のモニュメント

椋白龍社

境内の北東には
鬼門(きもん)守護として

椋白龍社(むくのきはくりゅうしゃ)
稲荷(いなり)神社が祀られていました。

二宮神社境内の椋白龍神社の鳥居

椋白龍神社さんは
パワースポットとしても
知られているようですね。

昭和30年に
創建創建されたという
比較的新しい神社ですが

そのさいには
鬼門をまもる白蛇が
おおくの人の夢にあらわれ

社を建て祀ってくれれば
天界に昇り、龍となり
人々の願いを叶えよう

と告げたといいます。

また、
工事のさいにも実際に
白蛇があらわれたことから

椋(むくのき)のしたに
社を築いて祀ったのだそうです。

二宮神社境内の白龍大神の由緒

生田川の上流には
布引の滝(ぬのびきのたき)
があるのですが

日光の
華厳の滝(けごんのたき)

熊野の
那智の滝(なちのたき)

とともに
日本三大神滝のひとつ
とされるそうです。

そんな、
布引の滝の滝つぼの底は
龍宮に通じているといわれ

ここに住んでいた乙姫が
龍神となって海に泳ぎでた
という伝説もあるといいます。

ですから、
旧:生田川[現:フラワーロード]
「龍神様の道」でもあり

そんな道の途中にある
二宮神社の椋木は

龍神さまが宿る
ご神木とされていたようです。

二宮神社の神木

フトマニ

椋木龍社では
龍踊文字(りゅうおどるもじ)
フトマニ図が飾ってありました。

龍体(りゅうたい)文字
ともいわれるもので

漢字伝来以前から
日本に存在していたといわれる

神代(しんだい・かみよ)文字
のひとつであり

二宮神社の祭神でもある
天忍穂耳尊(おしほみみ)が作った文字
といわれるようです。

龍踊文字のフトマニ図

ホツマツタヱ
神代文字のひとつ

ヲシテ文字
書かれているのですが

こちらは、原初神・
国常立尊(くにとこたち)が作った文字
といわれるようですから

龍体文字よりも
はるか以前の文字なのでしょう。

また、
フトマニ図というのは

それらの文字を
円盤状にならべた曼陀羅・
魔法陣のようなもので

吉凶占いにも
もちいられたようですね。

この、
フトマニ図の白黒プリントを
二宮神社で授与していました。
[※2018年9月当時]

すっかり興奮して
1部いただいてきました。

ヲシテ文字やフトマニ図については
こちらをご参照ください。

稲荷神社

椋白龍社とならんで
稲荷神社も祀られています。

こちらは、江戸時代末期に
伏見稲荷大社から勧請した
といわれるようです。

かつては、
二宮神社のあたりに
花街(はなまち)があり

近隣のかたがたからは
「お稲(いね)さん」としても
親しまれていたようです。

二宮神社のまえには
おおくの茶屋がたちならび

昼夜をとわず
笛や太鼓の音が
鳴り響いていたといいます。

また、椋白龍社も
水の神さまであることから

水商売の御神徳がある
とされているようです。

龍穴

昭和20年(1945年)3月には
神戸大空襲があり

ご神木であるケヤキは
焼夷弾があたったらしく
上のほうが黒くこげたままだといいます。

また、正面の鳥居には
機関銃の弾の跡が
のこっているのだそうです。

昭和30年に
椋白龍社が築かれたのは

戦後復興してゆこうとする
ひとびとの強い意志や力による
のかもしれませんね。

いまでは、おおくの
風水師や祈祷師もおとずれ

この地は、気の集まる場所
龍穴(りゅうけつ)とされて

全国からも
おおくの信仰をあつめている
といいます。

生田めぐり5

全記事リスト

コメント

タイトルとURLをコピーしました