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生田めぐり1 生田神社

生田神社の楼門兵庫

生田神社

兵庫県神戸市には
生田(いくた)神社
があります。

神戸を代表する神社
といわれていて

繁華街である
三宮(さんのみや)駅の
ほどちかくにあります。

生田神社の鳥居

神戸

神戸(こうべ)
という地名も

生田神社に
由来するといいます。

神社の領地や
神社が所有する農民(家)を
神戸(かんべ)というのですが

このあたりには
生田神社に租税を納める
神戸(かんべ)が
44戸あったといいます。

それが、
時代とともに

神戸(かんべ)郷
紺部(こんべ)村
上部(こうべ)村

と変わってゆき

神戸(こうべ)
となったそうです。

生田神社の社号碑

神戸の歴史とともにある神社
のようですね。

かつては
名神大社(みょうじんたいしゃ)
のひとつであり

旧社格は
官幣中社(かんへいちゅうしゃ)
だといいますから

ふるくから
霊験あらたかな神社
とされているようですね。

生田神社の楼門

稚日女尊

ご祭神は
稚日女尊(わかひるめ)
だといいます。

ご由緒によれば
わかく瑞々しい日の女神
とされていて

天照大神の和魂や
天照大神の妹と
されているようです。

生田神社のご由緒

ホツマツタヱによれば
ワカヒルメとは

天照大神の姉・
ワカヒメ(ヒルコ)
のことだといいます。

ひるこひめ いまいつくしに
たりいたり あめのいろとと
わかひるめ

ホツマツタヱ 3アヤ
イサナギとイサナミの
長女・ヒルコ姫は

親の厄払いのために一度
捨てられて(親元をはなれ)

廣田神社の地で
カナサキ翁(住吉大神)に
養育されていました。

ですが、ようやく
親の厄も晴れましたので
親元にもどってくると

弟・ワカヒト天照大神)
をささえる存在として

ワカヒルメという
称え名を授かりました。
生田神社の狛犬

姉として産まれたものの
一度家を出てから
ふたたび戻ってきたので

弟・ワカヒト(天照大神)
の下につくという
妹的な扱いとされたようです。

もちろん、ここには
ワカヒト(天照大神)を立てる
意味があったのでしょう。

ワカヒトよりも
一歩ひいた女性ということで
ワカヒルメとなったようです。

生田神社の狛犬

とはいえ、
ワカヒメ(ワカヒルメ)も
類まれな霊力をひめたかた

ホツマツタヱでも
歌によって害虫を祓うなど
さまざまな奇跡を起こします。

また、
弟・ソサノヲにとっては
頼りがいもあり
恐ろしくもある姉であり

母・イサナミなきあとは
ソサノヲの母親がわりでも
あったようですね。

蛭子神社

本殿の裏手には
蛭子(ひるこ)神社
が祀られていて

ご祭神も
蛭子命(ひるこ)
だといいます。

ワカヒメ(ワカヒルメ)の
斎名[本名]である
ヒルコのことでしょう。

この社殿の配置も
ホツマツタヱ的であり
とても面白いです。

蛭子神社の狛犬
蛭子神社の狛犬

戸隠神社

さらに、興味深いのは
蛭子神社のとなりには

戸隠(とがくし)神社
祀られていて

ご祭神は
天手力男(あめのたぢからお)
だといいます。

ホツマツタヱでは
ワカヒメオモイカネ
御子とされていますから

生田神社では
母子が大切に祀られている
ようですね。

戸隠神社の由緒

神功皇后

生田神社の創建は
第14代・仲哀天皇の后
神功皇后(じんぐうこうごう)
によるようです。

三韓征伐(さんかんせいばつ)
をおえて都まで帰る途中

神功皇后の乗った船は
難波の沖で旋回をはじめ
進むことができなくなったといいます。

そこで、
務古水門(むこのみなと)[神戸港]
までもどったところ

神功皇后に
神がかりがあったようです。

稚日女尊誨之曰
「吾欲居活田長峽國」
因以海上五十狹茅令祭

日本書紀 巻第九
また、
稚日女尊が教えさとすには

『わたしは活田(いくた)の
長峽國(ながおのくに)に居りたい』

というので
海上五十狹茅(うなかみのいさち)
に祀らせることとした

これによって
生田神社が創建され

海上五十狹茅が
祭祀をつとめたようです。

このときには、
ほかにも

廣田(ひろた)神社を創建して
向津媛命(むかつひめ)を祀り

長田(ながた)神社を創建して
事代主命(ことしろぬし)を祀り

住吉(すみよし)神社を創建して
住吉三神(すみよしさんじん)を
祀ったといいます。

布引山

当初は、
2キロほど北にある

砂山(いさごやま)
鎮座していたといいます。

これは、いまでいう
布引山(ぬのびきやま)

布引の滝(ぬのびきのたき)
のちかくだったようですね。

ところが、
799年の洪水によって
布引の渓流が氾濫すると

砂山(布引山)の
西端が崩落したらしく

山のふもとに
遷座したといいます。

生田の森

刀禰七太夫

遷座のさいには
生田村に住んでいた

刀禰七太夫(とねしちだゆう)
というものが

ご神体を背負ったまま
7、8日間をかけて
鎮座地を探してまわったといいます。

そして、
生田の森についたとき

背負っていた
ご神体が重たくなり

刀禰七太夫は
これ以上動けなくなり

これを神意として
この地に祀ったのだそうです。

生田の森

いまでも、
生田神社の本殿裏には
生田の森がのこされていて

美しい景色を
眺めることができます。

森のなかには、
生田森坐社
(いくたのもりにいますやしろ)
が祀られていて

神功皇后が
祭神とされるようです。

生田森坐社・神功皇后を祀る

生田裔神八社

生田神社を
創建するさいに

神功皇后は周辺にあった
8つの神社を巡拝したといいます。

生田裔神八社
(いくたえいしんはちしゃ)

といわれる社であり

  • 一宮神社
  • 二宮神社
  • 三宮神社
  • 四宮神社
  • 五宮神社
  • 六宮神社
  • 七宮神社
  • 八宮神社

として、
残っているようです。

生田神社にほどちかい
三宮駅という駅名も

三宮神社に由来する
ようですね。

生田の森の小川

もともと、
そこに神社があって
神功皇后が参詣したのか

それとも、
神功皇后が感得して
そこに神社を建てたのか

詳しいところは
よくわかりませんが

この8社を線で結ぶと
北斗七星(ほくとしちせい)
の形になるといいます。

そして、その柄杓のなかには
生田神社がおさまっているそうです。

北斗七星

けれども、実際に
8社を線で結んでみても
北斗七星にはみえません。

どうやら、神社によって
すこし位置がずれていたり
旧座地があったりするようです。

気になるのは

ご神体を遷したという
刀禰七太夫にも

「7」の数字が
はいっていますし

遷座地を探しまわった時間も
「7」、「8」日といわれます。

これも、
北斗七星の星の数に由来する
というようですね。

六甲山と女神さま5 ~まとめ~
でも書きましたが

六甲山には
役行者(えんのぎょうじゃ)
ひらいたとされる

六甲山修験道(ろっこうしゅげんどう)
という道があり

8つの霊跡が
北斗七星の形にならんでいる
といわれています。

生田裔神八社とは
鏡写しのような形です。

六甲山では
向津媛命(むかつひめ)こと

天照大神の后・
瀬織津姫(せおりつひめ)
が祀られていましたが

生田神社の地では
稚日女尊(わかひるめ)こと

天照大神の姉・
ワカヒメ(ヒルコ)
が祀られている

という対比も
とても面白いです。

ゐこころ

ホツマツタヱによれば
天照大神はなくなるさい

このような言葉を
残していたといいます。

またきさき ひろたにゆきて
わかひめと ともにゐこころ
まもるべし 

ホツマツタヱ 28アヤ

また、后(瀬織津姫)は
ヒロタ(廣田)の地にゆき

ワカヒメ(稚日女命)とともに
妹心をまもりなさい

「妹心(ゐこころ)」の
「妹(ゐ)」とは

「妹背(ゐもをせ・男女)」の
「妹(ゐも・女)」であって

女性の道を守ること
女性の守護者となりなさい
という意味のようです。

また、
「ヒロタ」とは
「廣田國(ひろたのくに)」
のことであり

兵庫県西宮市のあたり
をさすらしく

神功皇后が創建したとされる
廣田(ひろた)神社では

向津媛命(瀬織津姫)
祀っているといいます。

どうやら、瀬織津姫は
ワカヒメの御霊がねむる
廣田の地で晩年をすごした

ようですね。

廣田神社の社領というのは
六甲山全域におよんでいた
といいますから

六甲山上の地を
瀬織津姫が守護して

六甲山の南のふもとを
ワカヒメが守護していた
のかもしれません。

だからこそ、
神戸・西宮にかけて

生田神社
西宮(にしのみや)神社
越木岩(こしきいわ)神社など

ワカヒメ(ヒルコ)を
祀る神社がならんでいる
のかもしれません。

大海神社

生田神社の二の鳥居と
三の鳥居のあいだには

大海(だいかい)神社
があります。

大海神社の鳥居と社殿

生田神社へ参拝するさいは
まずこの社が出迎えるのですが

大海というように
海上守護の神徳があるようです。

かつては、このあたりが
海岸線であり

生田の浦(いくたのうら)
といわれていたようですね。

大海神社の由緒

地主神とされる
猿田彦大神(さるたひこ)
を祀るといいます。

生田の浦に暮らした
水先案内人の氏族がいた
ということでしょうか?

住吉大社にもおなじく
大海神社があり

そちらでは、
豊玉彦命(とよたまひこ)という
海神を祀るようですね。

住吉大社もまた
神功皇后の創建といわれ
関係性も気になるところです。

松尾神社

参道をはさんで
大海神社の向かいには

松尾(まつお)神社
が祀られています。

京都にある総社・
松尾大社とおなじく

酒造の守護
とされているようです。

神功皇后の創建以来
生田神社では酒を醸して

新羅からの来賓者に
ふるまっていたといいます。

この神酒が、
灘(なだ)の酒の発祥
されているそうですね。

灘酒造発祥の碑

興味深いことは

灘の酒である
白鷹(はくたか)

全国で唯一
伊勢神宮に神酒を献上しており

伊勢神宮の神事にも
使われているのだそうです。

ここにも、
天照大神と后・瀬織津姫の
関係をみることができる
のかもしれません。

五男三女

さて、ここからは
生田裔神八社めぐりを
おこないました。

神戸の街歩きとしても
とても面白く

8社をめぐられるかたも
おおいいようです。

生田神社のご神木

ところで、
生田裔神八社では

天照大神の御子にあたる
5男3女(ごなんさんじょ)の
神々を祀るといいます。

しかし、
そのうちのひとりだけ

天照大神の
御子以外のかたが
紛れているようです。

じつは、これもとても
不思議なことですから

生田裔神八社
をめぐるまえに

まずはこの
五男三女について

次の記事で
まとめたいと思います。

参照動画

生田めぐり2

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