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生田めぐり8 六宮神社

六宮神社合祀の看板兵庫

生田裔神八社

兵庫県神戸市にある
生田(いくた)神社
の周辺には

生田裔神八社
(いくたえいしんはちしゃ)

といわれる

8つの神社が
祀られています。

これらの神社を巡拝するのも
神社めぐりの愉しみらしく

生田神社につづいて
順番にめぐっています。

生田裔神八社めぐりの案内板

六宮神社

五宮神社から
1キロほど
南南東へすすむと

八宮(はちのみや)神社
があります。

六宮(ろくのみや)神社
八宮神社に
合祀されているようです。

八宮神社の鳥居
六宮神社合祀の看板

湊翔楠中学校

六宮神社は、かつて
楠寺(くすのきでら)
[広厳寺(こうごんじ)]の
南に鎮座していたといいます。

けれども、
明治時代に学校が新設されて
八宮神社に遷されたようです。

旧鎮座地は、いまでは
湊翔楠(みなとしょうなん)中学校
となっているようですね。

八宮神社からは
300メートルほど
東にあたります。

湊翔楠中学校
湊翔楠中学校の校庭

天津彦根命

ご祭神は
天津彦根命(あまつひこね)
だといいます。

古事記・日本書紀では
誓約(うけい)で生まれた

天照大神の三男
とされるかたです。

また、古事記には

次天津日子根命者
凡川內國造・額田部湯坐連・茨木國造・倭田中直・山代國造・馬來田國造・道尻岐閇國造・周芳國造・倭淹知造・高市縣主・蒲生稻寸・三枝部造等之祖也

古事記 上巻

とあり
さまざまな氏族の祖
になったようです。

ただ、
アマツヒコネ自身の事績は
ほとんど残っていない
ようですね。

ですから、
天照大神の御子でありながら
祀っている神社も少ないようです。

気になるのは
ここより北東にあたる
六甲山系の鈴蘭台周辺には

・藍那天津彦根神社
・小部天津彦根神社
・下谷上天津彦根神社
・原野天津彦根神社


という
天津彦根命を祀る神社が
密集しているところでしょうか。

ホツマツタヱには

たたきねは あまつひこねぞ 

ホツマツタヱ 6アヤ

とあり
天津彦根命の諱(いみな・本名)は
タタというようです。

天之御影命

また、ホツマツタヱには

あめみかげ たたきねのおこ

ホツマツタヱ 20アヤ

とあり

天津彦根の御子は
アメミカゲ(天之御影命)
となっています。

天照大神の孫・
クシタマホノアカリ(櫛玉火明命)
アスカ(飛鳥)[奈良盆地]へ
宮を遷すさいに

同行した一団のひとり
として名をつらねています。

一般的には
天目一箇神(あめのまひとつのかみ)
という鍛冶の神と同神(兄弟)
とされているようですが

ホツマツタヱでは
まったく別人のようですね。

さらに、
ホツマツタヱでは第7代・
孝霊(こうれい)天皇の時代に

同名の
アメミカゲという方が
登場します。

どうやら、このかたが
琵琶湖の三上山(みかみやま)
で祀られる

御上(みかみ)神社
祭神となったかたで

息長(おきながし)氏とも
関わりをもってゆくようです。

生田神社を創建して
生田裔神八社を巡拝した
神功皇后(じんぐうこうごう)

気長足姫尊(おきながたらしひめ)
といいまして

息長氏の娘ですから
ここにもなにか縁がある
のかもしれませんね。

応神天皇

六宮神社には

神功皇后の御子にあたる
第15代・応神(おうじん)天皇
も祀られているといいます。

ご由緒によれば
六宮神社の地は
坂本村といい

坂本臣紀朝臣
(さかもとのおみ きいのあそん)
という方が暮らした地らしく

ご先祖にあたる
武内宿祢(たけうちのすくね)が仕えた
応神天皇を祀ったといいます。

ですが、厄除の守護神
ともいわれるそうですから

八幡(はちまん)信仰の神として
応神天皇の名が残っている
のかもしれませんね。

生田めぐり9

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