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高良大社とご先祖さま

高良大社の鳥居福岡

高良大社

福岡県久留米市の
高良山(こうらさん)には

筑後国一之宮
高良(こうら)大社
があります。

かつては、
九州の総社でもあった
といわれる古社です。

高良玉垂命

高良大社のご祭神は
高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)
という謎の神さまです。

古事記・日本書紀にも
登場しない神さまですが

九州総社として祀られ
正一位という高い神格をもつ
とても尊い神とされますから

正体については
さまざまな説があるようです。

高良大社からの風景

神功皇后

ご由緒には、第14代・
仲哀(ちゅうあい)天皇
后である

神功(じんぐう)皇后
感得した神だといいます。

神功皇后とは
仲哀天皇がなくなったあと

日本初の女帝となって
海外遠征をおこない

朝鮮半島にあった
三韓(馬韓・辰韓・弁韓)
を征圧して帰国した

ともいわれる
伝説的なかたです。

高良大社では
高良玉垂命とともに

住吉大神(すみよしおおかみ)
八幡大神(はちまんおおかみ)


が祀られていますが

住吉大神は
神功皇后の守護神であった
ともいわれるかたで

八幡大神は
神功皇后の子にあたる

第15代・
応神(おうじん)天皇
[誉田別命(こんだわけのみこと)]

のことといわれます。

そんな、神功皇后が
この地を訪れたともいわれ
ゆかりの深い神社のようです。

また、創建は
神功皇后の孫にあたる

第16代・
仁徳(にんとく)天皇の時代
とも伝わるようです。

高木神

伝承によれば
高良山にはもともと

高木神(たかぎかみ)
が鎮座していたといいます。

またの名を
高牟礼神(たかむれかみ)
ともいうらしく

高良山ももとは
高牟礼山(たかむれやま)
といっていたようですね。

そこへ、
高良玉垂命があらわれて
宿を借りたいというので

高木神は、一晩だけ
山を譲ったところ

高良玉垂命は
一晩のうちに結界を張って
居座ったといいます。


ですから、
高良山にはいまでも
神籠石(こうごいし)
といわれる謎の石の列が
残っているようです。

高木神というのは
高皇産霊神(たかみむすび)
ともいわれていて

原初にあらわれた
造化三神(ぞうかさんしん)の
ひりともいわれるほど

神格の高い神だといいます。

ホツマツタヱでは
天照大神の御子・オシホミミの
朝廷をささえたかたであり

オシホミミとともに
出雲の国譲り(カシマダチ)を
すすめたかたでもあります。

高良大社のご神木

高良山のふもとには
高樹(たかぎ)神社があり

高良山から追い落とされた
高木神[高皇産霊神]を

高良山の地主神として
祀っているようです。

武内宿祢

高木神[高皇産霊神]を
言葉たくみにだまして

高良山から追い落とした
高良玉垂命とは
一体なにものでしょう?

神功皇后につかえた
藤大臣(とうのおとど)
物部胆咋(もののべのいくい)


この地を平定したともいわれる
第12代・
景行(けいこう)天皇

初代・神武(じんむ)天皇と敵対した
饒速日命(にぎはやひ)

天照大神の孫にあたる
山幸彦(やまさちひこ)こと
彦火々出見尊(ひこほほでみ)

住吉大神とともに
海神といわれている
綿津見神(わだつみのかみ)

などなど
諸説あるようですが

定説とされているのは
武内宿禰(たけうちのすくね)
のようですね。

高良大社の鶏小屋

武内宿禰とは
第12代・景行(けいこう)天皇
第13代・成務(せいむ)天皇
第14代・仲哀(ちゅうあい)天皇
第15代・応神(おうじん)天皇
第16代・仁徳(にんとく)天皇
という

5代にわたって
天皇につかえた大臣で

実在したとすれば
300歳にもなるという
卓越した忠臣です。


もちろん
神功皇后の三韓遠征にも
同行していたといいます。

また、
遠征からの凱旋では

産まれたばかりの応神天皇を
反乱・暗殺から遠ざけるため

神功皇后とは別行動をして
幼い応神天皇を守りぬいた
ともいうようです。

また、
仲哀天皇がなくなってから
応神天皇が産まれるまで
1年以上のあいだがあくことから

応神天皇の父親についは
さまざまな説があるようで

武内宿祢もまた
応神天皇の父ではないか?
ともいわれるようです。

奥宮

高良山の
山頂ちかくには

高良大社の
奥宮(おくみや)があり

武内宿祢の墓所
ともいわれるようです。

また、
高良大社の宮司家も
武内宿祢の末裔である
ともいわれるようですね。

とはいえ、これも
あくまで後世において
つけ加えられた話である
ともいわれていて

高良玉垂命は、やはり
謎の神といわれるようです。

豊比咩大神

本殿には、御客座として
豊比咩大神(とよひめおおかみ)
が祀られているといいます。

このかたも
謎の神といわれていて

高良玉垂命の妻・
高良玉垂姫命(こうらたまたれひめ)
ともいわれるようですね。

ホツマツタヱでは
天照大神の妃のひとりに
トヨヒメ[アヤコ]
というかたがいまして

天照大神の御子・
クマノクスヒ(熊野夫須美神)
を産んでいます。

このかたは、
天照大神の娘である
タケコ・タキコ・タナコを養育した
ともいわれるようです。

この三姉妹は、いまでは
宗像三女神として
宗像(むなかた)大社で
祀られていますが

それは、おそらく
トヨヒメ[アヤコ]が
ムナカタの娘だったから
ともいわれるようです。

そんなかたが、なぜ
高良大社で祀られているのかは
謎のようです。

ご先祖様

わたし、NAVI彦は
本家筋をたどればここ
高良大社の社家であるらしく

幼いときはよく
高良大社まえの山中にある
父方の実家を訪ねていました。

ですが、祭祀のほうは
高良大社のふもとにある

高良下宮社の神職を
つとめていたようですね。

およそ2千年まえから
この地に暮らした一族
ともいうようで

高良山の山中には
古墳まであるといいます。

また、わたしの本名には
「木」の字がはいることから

もしかすると
追い落とされた地主神

高木神の子孫にあたる
のかもしれませんね。

下宮社は、通称を
「祗園(ぎおん)さん」
ともいいますから

祗園信仰の
素戔嗚尊(すさのお)
[牛頭天王(ごずてんのう)]
が祀られていたのでしょう。

祗園の神は、疫病神として
祟りを鎮めるために祀られた
ようですから

追い落とされた高木神の
怒りを鎮めるために祀られた
のでしょうか?

下宮社のちかくには
祗園山古墳(ぎおんやまこふん)
という古墳があります。

こちらは、
卑弥呼(ひみこ)の墓では?
ともいわれるらしく

かつてはこの地も
おおいに栄えていたようです。

高良大社の延命飴

高良大社には
今後もたびたび訪ねますので

またそのときに
詳しくみてゆきたいと思います。

高良大社とご先祖さま ~終~

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