目神山
越木岩(こしきいわ)神社から
北山公園の東を抜けて
目神山(めがみやま)
へ向かいます。
六甲山(ろっこうさん)の
東麓でひときわ目立つ
甲山(かぶとやま)の
南にある小高い丘のことです。
北山公園の東から
甲山の南麓の一帯を
目神山町(めがみやまちょう)
ともいうようですね。
おそらく、
「目神」とは
「女神」のことなのでしょう。
巨石磐座群
六甲山周辺は
奇岩巨石の宝庫らしく
目神山や北山公園にも
たくさんの巨石・
磐座があるといいます。
また、目神山町では
民家の敷地内にも
巨石が残っているそうです。
どうやら、
すでに破壊されてしまった
巨石磐座群もあるらしく
それは本当に残念でなりません。
ただ、高級住宅地として
開発されてはいますが
起伏に富んだ地形は
そのまま残されているので
ぶらりと散歩するだけでも
興味をそそられます。
目神山や北山公園では
こうした巨岩をつかった
ボルダリングやクライミングも
盛んなようですね。
山頂の磐座
目神山の山頂にも
巨大な磐座があります。
かたちも美しく
とても見ごたえがあります。
山頂は、樹々がすくなく
ぽっかりと禿げたようになっています。
夜になれば
満点の星空がみえることでしょう。
甲山
目神山の北には
お椀を返したような形をした
甲山(かぶとやま)
があります。
大神(おおみわ)神社の
ご神体山である
三輪山(みわやま)も
このような形をしていました。
お椀型の山は
富士山にたとえられて
日本各地で
祀られているようです。
目神山を
女神の山とするならば
甲山は
男神の山であり
ホツマツタヱからすれば
男神・天照大神を祀る地
だったのかもしれません。
神呪寺
甲山のふもとに
神呪寺(かんのうじ)
がみえています。
「神」「呪」というと
字面は物騒ですが
これは、
「神」を敬う「真言」
のことだそうです。
真言宗(しんごんしゅう)の
お寺のようですね。
真名井御前
如意輪観音(にょいりんかんのん)
への信仰が厚い
真名井御前(まないごぜん)が
ひらいたといいます。
真名井御前は、この地で
真言宗の開祖である
空海(くうかい)と
3年間修行したそうです。
本尊の如意輪観音像も
空海が彫ったのだといいます。
おふたりの御関係は
とても深いものだったらしく
それはまた、のちに
記事にすることにします。
甲山八十八ヶ所
甲山から目神山にかけて
空海ゆかりの霊場・
四国八十八ヵ所巡りを模した
甲山八十八ヶ所があり
88か所に石仏が
祀られているといいます。
甲山から目神山にかけての
広大な土地はすべて
神呪寺の境内地
となっているようです。
瀬織津姫
ではなぜ、
甲山・神呪寺ではなく
目神山へ来たのかというと
ここは、
男神・天照大神の正室である
瀬織津姫(セオリツヒメ)さまが
晩年を過ごされた地
とされているからです。
ですから、
神呪寺に祀られている
如意輪観音も
瀬織津姫さまのこと
だといいます。
役行者
日本古来の山岳信仰である
修験道(しゅげんどう)の
開祖・
役行者(えんのぎょうじゃ)は
目神山の山頂で
瀬織津姫さまの御霊に
出会ったといいます。
そこで、役行者は
六甲修験道をひらいて
六甲山を
修験の山にしたそうです。
和歌山の天野の里で
丹生都比売(にうつひめ)[ワカヒメ]
と出会った空海さま
兵庫の目神山で
瀬織津姫(せおりつひめ)
と出会った役行者さま
平安時代・飛鳥時代と
生きた時代は違えども
おふたりには
同じものが見えていた
のかもしれませんね。
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