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六甲山と女神さま5 まとめ

六甲山を流れる川兵庫

六甲山

六甲山(ろっこうさん)
はじめて登ってみて

その印象は1日で
がらりと変わりました。

なぜなら、六甲山は
ホツマツタヱに登場する女神・
瀬織津姫(せおりつひめ)さまの
お山だったからです。

六甲山山頂の碑 最高峰931m

廣田神社

そもそも、
「六甲山」という名称も
瀬織津姫さまによるそうです。

というのも、
六甲山の全域はかつて
廣田(ひろた)神社
社領だったといいます。

六甲山山頂からの風景

廣田神社といえば
阪神タイガースが先勝祈願をする
ことでも知られる大社です。

廣田神社の御祭神は
撞賢木厳之御魂天疎向津媛命
(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)

といいまして

いわゆる
向津媛命(むかつひめ)
という女神だといいます。

向津峰

向津媛の祀られた山から
向津峰(むかつみね)
といっていたものが

武庫津峰(むこつみね)
となり

六甲山(むこやま)
とよばれて

江戸時代以降に
六甲山(ろっこうさん)
となったようです。

向津媛

ホツマツタヱによれば
男神・天照大神の正室を
瀬織津姫(せおりつひめ)
というのですが

このかたは、
天照大神に向かい会うことができる存在
ということで

ムカツヒメ(向津媛)
ともいわれたようです。

そして、この
瀬織津姫(向津媛命)は
晩年を六甲の地で暮らした

というのでした。

ですから、この地で
天照大神の后・瀬織津姫さまが
祀られているのでしょう。

神功皇后

「六甲」という漢字の由来は
神功皇后(じんぐうこうごう)
によるといいます。

第14代天皇・
仲哀(ちゅうあい)天皇の后であり

本名を
息長足姫(おきながたらしひめ)
というようです。

三韓征伐

筑紫への遠征中に夫・
仲哀天皇が崩御するも

神託にしたがって
皇軍をまとめあげると
朝鮮半島にまで出兵し

馬韓(ばかん)
弁韓(べんかん)
辰韓(しんかん)の

三韓を征伐したといいます。

この、三韓征伐の帰路に
政敵だったものたちの
6つの甲(かぶと・首)を
山に埋めたという伝説が
あるのだといいます。

廣田神社の創建

また、神功皇后は
三韓征伐の帰路に
廣田神社も創建した
といいます。

ほかにも、このとき
生田(いくた)神社
長田(ながた)神社
住吉(すみよし)神社

も創建したといいます。

廣田神社には
向津媛命(むかつひめ)こと
瀬織津姫さま

生田神社には
稚日女尊(わかひるめ)こと
ワカヒメさま

長田神社には
事代主命(ことしろぬし)こと
クシヒコさま

住吉神社には
表筒男・中筒男・底筒男こと
カナサキさま

という、
ホツマツタヱゆかりの
神さまを祀る神社を創建した
というのも興味深いところです。

神功皇后は、ここが
女神ゆかりの地だと
知っていたのかもしれません。

六甲山神社

六甲山の山頂ちかくにある
六甲山(ろっこうさん)神社は
六甲山(むこやま)神社ともいい

廣田神社の奥宮だった
といいます。

現在の祭神は
菊理媛命(きくりひめ)
となっていますが

これは、のちに
白山(はくさん)信仰という
山岳信仰がはいってきて

白山の女神である
菊理媛命が祀られたようですね。

もともとは、
六甲山大権現こと
向津媛命が祀られていたようです。

また、神功皇后はここに
朝鮮半島より持ち帰った
「神の石」「金の鶏」を埋めた
とも伝わるようですね。

弥生時代の当時から
六甲山は山頂までの道も
ひらかれていたのでしょう。

六甲山神社の石宝殿

六甲比命神社

六甲比命大善(ろっこうひめだいぜん)神社
瀬織津姫(向津媛命)の御霊が眠る地
だといいます。

巨大な磐座(いわくら)
御神体とする神社です。

巨石を人工的に組んで
墓とすることは

支石墓(しせきぼ)
ドルメン


などといわれて
全世界的に存在するようです。

ホツマツタヱでも、たびたび
晩年になると磐にはいるような
記述がみられます。

六甲比命神社の磐座

法道仙人

この磐座の地を
飛鳥時代のはじめごろに
復興したのが

インドから渡来したという
法道(ほうどう)仙人
だといいます。

六甲比命神社の磐座 心経岩

六甲比命神社のそばにある
雲ヶ岩(くもがいわ)での
修行中に

毘沙門天(びしゃもんてん)
を感得したのだそうです。

そうしてこの地を
奥の院とさだめて

巨大磐座には
吉祥天(きっしょうてん)
を祀ったといいます。

おそらく、これも

毘沙門天とは
天照大神のことで


吉祥天とは
瀬織津姫のこと


なのでしょう。

弥生時代に、神功皇后が
ホツマツタヱの神々を祀ったあとは

仏教や山岳信仰によって
ホツマツタヱの神々は
守られていったようですね。

六甲山吉祥院多聞寺奥ノ院の看板

役行者

飛鳥時代のおわりには
修験道の開祖とされる
役行者(えんのぎょうじゃ)

目神山(めがみやま)
瀬織津姫さまを感得したといいます。

そうして、六甲山に
修験の道をひらいたようです。

これは、いまでも
六甲修験道(ろっこうしゅげんどう)
として残っているらしく

  • 神呪寺(かんのうじ)
  • 鷲林寺(しゅうりんじ)
  • 六甲山神社
  • 六甲山山頂
  • 仙人窟(せんにんくつ)
  • 天狗岩(てんぐいわ)
  • 三国岩(みくにいわ)
  • 行者堂(ぎょうじゃどう)

をとおって、
多聞寺(たもんじ)
行きつくといいます。

おもしろいのは、この点を結ぶと
六甲山に北斗七星(8星)が浮かぶ
のだといいます。

柄杓のなかには、
六甲比命神社がおさまっていて
瀬織津姫を取りこぼさないよう
守っているようにもみえます。

真名井御前

平安時代のはじめには

第53代天皇・
淳和(じゅんな)天皇の側室・
真名井御前(まないごぜん)

甲山(かぶとやま)に
神呪寺(かんのうじ)
ひらいたといいます。

甲山と神呪寺

真名井御前は、ここで
幼いころから縁の深かった
空海(くうかい)
修行をしたといわれていて

神呪寺の本尊も
空海が彫ったといわれる
如意輪観音(にょいりんかんのん)
だといいます。

真名井御前が帰依した
如意輪観音というのは

京都の
六角堂(ろっかくどう)
祀られていたもので

聖徳太子(しょうとくたいし)
ゆかりのものだといいます。

この、如意輪観音像もまた
瀬織津姫につながるといいます。

目神山が
瀬織津姫ゆかりの
女神の山とするならば

甲山は、
夫・天照大神ゆかりの
富士山にみたてている

のではないでしょうか?

空海

六甲山の西には
再度山(ふたたびさん)
大龍寺(たいりゅうじ)

という寺があるのですが

ここも、
空海が二度おとずれた
というゆかりがあり

本尊は
如意輪観音像だといいます。

また、奥の院には
空海が彫ったとされる
「亀の岩」があるそうです。

六甲比命神社の磐座は
ウサギの形をしているそうですが

兎と亀の対比も
気になるところです。

また、亀石のちかくにはいま
女性の顔の像もあるのだそうです。

六甲比命神社の磐座

花山法皇

平安時代のなかごろには
第65代・
花山(かざん)天皇
瀬織津姫に帰依したといいます。

六甲比命神社の
仰臥岩(ぎょうがいわ)には

  • 花山法皇
  • 熊野権現
  • 佛眼上人

ときざまれた
石碑がのこっています。

六甲比命神社の石碑 花山天皇 熊野権現 佛眼上人

17歳で即位したのですが
19歳で出家したので

花山法皇という名のほうが
よく知られているようです。

花山法皇は、修行中に
熊野権現(くまのごんげん)
感得したらしく

仏眼(ぶつげん)上人とともに
西国三十三所(さいごくさんじゅうさんしょ)
の霊場の復興をおこなったといいます。

仏眼上人も生まれは
叡福寺(えいふくじ)という
聖徳太子の墓所らしく

本尊も、また
如意輪観音だそうです。

熊野権現といえば
ホツマツタヱでは

天照大神の母・
イサナミのことですから

これもまた
女神に通じています。

花山法皇もまた
ホツマツタヱの復興や

女神信仰の復興を
行っていたのかもしれませんね。

聖徳太子

時代はふたたび
飛鳥時代までもどって

法道仙人と同時代でもある
聖徳太子(しょうとくたいし)
に目をむけてみます。

聖徳太子といえば
日本に仏教を取り入れた
といわれるかたですから

神社とは相反するようにも
思えてしまいますが

じつは神道への理解も
とても深かったといいます。

そうして仏教のなかで

毘沙門天=天照大神
吉祥天=瀬織津姫

として

毘沙門天と吉祥天の御子
善膩師童子(せんにしどうじ)

天照大神と瀬織津姫の御子
オシホミミ(天忍穂耳尊)

とすることで
ホツマツタヱの思想を守っていた
ともいうようです。

仏教と習合することで
神道では消されかけたものが
残ったのだとしたら

それもまた、
とても興味深いことです。

まとめ


六甲山に祀られている
向津媛命(むかつひめ)こと

天照大神の后・
瀬織津姫(せおりつひめ)は

六甲比命神社の
磐座に眠ったのち

弥生時代の
神功皇后(じんぐうこうごう)

飛鳥時代の
聖徳太子(しょうとくたいし)
法道仙人(ほうどうせんにん)
役行者(えんのぎょうじゃ)

平安時代の
真名井御前(なまいごぜん)
空海(くうかい)
花山法皇(かざんほうおう)

へと、脈々と継がれてゆき
現在にもその姿を残しているようです。

天照大神が晩年を過ごした地は
伊勢神宮(いせじんぐう)として
ひとびとの崇敬を集めていますが

后・瀬織津姫が晩年を過ごした
六甲の地もまた、おおくの
信仰や崇敬を集めていたのでしょう。

伊勢神宮に供えられるお酒が
六甲の灘の酒(白鷹株式会社)
というのも

こうした縁があってのこと
なのかもしれません。

瀬織津姫さまは、すべての
水の神さまでもあるといいます。

登山の途中に
清流に手を触れましたが
とても気持ちの良いものでした。

六甲山を流れる川

ミネラルの多い六甲の水は、
赤道を超えても腐らない水として

神戸港に寄航する
世界の船舶関係者からも
称賛を受けていたといいます。

六甲山と女神さま ~終~

 
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