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西宮めぐり2 甲山

甲山兵庫

甲山

兵庫県西宮市には
甲山(かぶとやま)
があります。

六甲山(ろっこうさん)
の東にあたり

309メートルほどの
低山なのですが

お椀を返したような
うつくしい山容は

六甲山におとらず
とても目を惹きます。

甲陽園(こうようえん)
甲東園(こうとうえん)

などの地名も
甲山にちなむといいます。

火山の火道

甲山は
約1200万年前にできた
火山の名残
であり

六甲山系の花崗岩を
貫いて噴出したマグマが

冷え固まってできた
安山岩(あんざんがん)
でできているといいます。

甲山の山道

当初は
大きな山だったようですが

1000万年前から
500万年前のあいだに

雨風によって
大部分が削られてゆき

火口付近にあった
マグマの通り道である

火道(かどう)あたりだけ
残ったようです。

甲山の山道

また、
300万年前には
沈降によって海に沈んで

土砂や泥が堆積した
ともいわれるようです。

それが、
30万年前に隆起して
現在の形になったようです。

六甲山とは
地質が異なるというのも
とても面白いです。

たしかに、磐座のおおい
六甲山や目神山からすると

甲山には目立った磐が
なかったように思います。

むしろ、ここは
マグマが冷えて固まった
場所ですから

甲山そのものが
磐座なのかもしれません。

そのせいか、山頂に立つと
じっとしていられませんでした。

甲山の頂上

靴を脱いで
芝のうえを走りまわり

転げまわり
樹に登りました。

エネルギッシュな場所
のようですね。

甲山で木登り

神の山

甲山はかつて
廣田(ひろた)神社の
御神体山だった
らしく

神の山(こうのやま)
といわれていたようです。

それが転じて
甲の山(こうのやま)
となり

甲山(かぶとやま)
といわれたようですね。

廣田神社はご祭神を
向津媛命(むかつひめ)
というのですが

ホツマツタヱによれば
このかたは

天照大神の后・
瀬織津姫(せおりつひめ)
のことだといいます。

天照大神はなくなると
京丹後の地に眠ったらしく

瀬織津姫はひとり
晩年をこの地で過ごした
ようなのです。

だとすると、甲山は
天照大神を祀るための
神奈備山
でもあり

甲山のうつくしい形を
夫・天照大神に縁ある
富士山にみたてて
お祀りした
のでしょうか。

それは、ちょうど
北にある京丹後に眠る夫を
祀るかのようでもあります。

弥生遺跡

弥生時代のものとされる
青銅製の銅戈(どうが)が
みつかったといいます。

全長28・6センチ
幅3センチの大きさであり

地中に突き刺さった状態で
発見されたようです。

甲山の銅戈出土地

また、甲山の周辺にも
弥生時代中期の遺跡も
あることから

ここで、なんらかの
祭祀が行われていたと
考えられるのだそうです。

神功皇后

甲山のふもとには
神呪寺(かんのうじ)
がありまして

甲山を守護するように
如意輪観音像が
祀られているのですが

そんな、
神呪寺の境内には
甲山の由緒もありました。

甲山の由緒

日本初の仏教通史である
元亨釈書(げんこうしゃくしょ)
によると

第14代・
仲哀(ちゅうあい)天皇
后である

神功皇后(じんぐうこうごう)
は国家安寧を願って

甲山の山頂に
如意宝珠(にょいほうじゅ)
をはじめ

金甲冑・弓箭・宝剣・衣服等
を埋めたそうです。

「甲」冑を埋めたことから
「甲山」になった
ということのようですね。

気になるのは、
宝珠は摩尼ともいい

そのため甲山は
摩尼峰(まにのみね)
とも呼ばれていたそうです。

神功皇后
廣田神社を創建した

ともいわれますから

ご神体山である
甲山にも神宝を埋めた

としてもおかしくないでしょう。

甲山からの眺め

ソランジン

神呪寺の
本殿の屋根には
このような紋がありました。

神呪寺の如意宝珠の紋

こちらは、
宝珠が火をまとった
火炎宝珠(かえんほうじゅ)
というようです。

神呪寺を開基した
如意尼(にょいに)

弘法大師(こうぼうだいし)・
空海(くうかい)とともに
この地で修行していたとき

麁乱荒神(ソランジン)
という巨大な鷲の神があらわれ

火を噴いて
寺社を燃やそうとしたといいます。

如意尼は
井戸の水をつかって
撃退するのですが

たびたび訪れる
ソランジンに悩まされていた
といいます。

神呪寺
屋根のうえにも火焔宝珠がある

神呪寺の西にある
鷲林寺(じゅうりんじ)
にも

ソランジンの言い伝えが
残っているそうです。

廣田明神のお告げに従い
六甲山の東のふもとに
寺を開こうとした空海は
ソランジンに会ったといいます。

火を噴き
行く手をはばむ大鷲を

空海は
樹に封じこめたそうです。

そして、その樹に
十一面観世音菩薩
を刻むと

それを本尊として
鷲林寺を建てたといいます。

すると
ソランジンの怒りはおさまり

以後はこの地の
守護神になったといいます。

宝塚市にある
清荒神(きよしこうじん)
でも祀られているようですね。

そこでは、
三宝荒神(さんぽうこうじん)
となっているようです。

3つの宝珠が
火炎に包まれている紋は
清荒神も神呪寺も同じですね。

役行者

神呪寺の境内地でもある
目神山の磐座と

鷲林寺の境内地の
若宮神社は

役行者(えんのぎょうじゃ)
がひらいた

六甲修験道(ろっこうしゅげんどう)
の起点になっています。

この道は
目神山(めがみやま)
六甲比売(ろっこうひめ)神社
結ぶものでしょう。

だとしたら、
このルートの守護神として

役行者は荒神である
ソランジンを使役していた
のではないでしょうか?

荒神とは
牛頭天王(ごずてんのう)
とおなじように

神仏習合で生まれた
日本独自の神だといいます。

そして
荒神をはじめて感得したのは

金剛山(こんごうさん)
で修業していた
役行者だといいます。

役行者は
前鬼(ぜんき)後鬼(こうき)
という鬼だけでなく

葛城一言主(かつらぎひとことぬし)
をいう神も使役していたというので

荒神を使役して
六甲修験道の守護にした
ということもありそうです。

そうすると、
ルートの起点に寺を建てようとした

如意尼や空海のもとに
あらわれて

邪魔をしたというのも
辻褄が合いそうです。

さらに、
和解して守護神になった
というのも

たがいに
瀬織津姫を尊崇していたから
でしょうか?

もし、そうであるならば
火炎宝珠の火というのは
火山の火ということでもあり

水神ともいわれる
瀬織津姫との対比
であるだけでなく

日の山、つまり
天照大神をあらわしており

甲山の天照大神と
六甲山の瀬織津姫を
つなぐ道
として

ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ
の八王子の比喩でもある

北斗七星(ほくとしちせい)
が六甲山に描かれた
のかもしれませんね。

この道によって
夫婦神はいつでも
邂逅できるようになった
としたら素敵ですね。

所在地

〒662-0001
兵庫県西宮市甲山町

西宮めぐり3

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