六甲比命神社
六甲山(むこやま)神社から
六甲山(ろっこうさん)山頂をこえて
3キロほど南西にすすむと
六甲比命(ろっこうひめ)神社
があります。
六甲比命大善(ろっこうひめだいぜん)神社
ともいうようですね。
舗装された道路から
山道にはいった
さきにありますので
場所はちょっと
わかりずらいです。
多聞寺奥ノ院
『六甲スノーパーク』
の駐車場のとなりにある
『六甲山の上美術館さわるみゅーじあむ』
の裏手の丘のうえにあり
美術館から道なりに
まわり込むようにすすみます。
すると、
「六甲山吉祥院多聞寺奥ノ院」
とかかれた看板があらわれます。
六甲比命神社は
多聞寺(たもんじ)の
奥の院でもあるようです。
多聞寺をひらいた
法道(ほうどう)という
インド渡来の仙人は
六甲山比命神社の地で
修行をしていたときに
毘沙門天(びしゃもんてん)を
感得したといいます。
心経岩
巨大な岩にお経を刻んだ
心経岩(しんきょういわ)も
法道仙人が作ったもの
といわれるようです。
ただ、現在のものは
大正時代に再建されたもの
であるようです。
高野山真言宗
多聞寺は、のちに
高野山(こうやさん)の
僧が再興したことから
真言宗(しんごんしゅう)の
寺院になったといいます。
空海(くうかい)がひらいた
密教の一派ですね。
四鬼氏
また、西六甲の地や
六甲修験道(ろっこうしゅげんどう)
を管理していたのは
修験道の開祖・
役行者(えんのぎょうじゃ)
にゆかりのある
四鬼(しき)氏
だといいます。
ですから、
六甲比命神社は
仏教や修験道とも
ふかい関係にあるようです。
いまでは、
六甲比命講と多聞寺が
共同管理しているようです。
六甲比命大善神
そして、こちらが
六甲比命大善神を祀る
巨大な磐座(いわくら)です。
ただでさえ、
六甲山周辺は巨岩・奇岩・
磐座だらけなのですが
こちらの磐座は
存在感もスケールも
群を抜いています。
六甲比命大善神は、
仏教からすると
弁財天(べんざいてん)
吉祥天(きっしょうてん)
とされるようですね。
神社(神道)からすると
六甲山を社領としていた
廣田神社の祭神でもある
撞賢木厳魂天疎向津姫命
(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)
略称・
向津姫(むかつひめ)
とされるようです。
ホツマツタヱでは
男神・天照大神の正室は
瀬織津姫(せおりつひめ)
というのですが
このかたは、天照大神と
向かい合うことのできる存在
ということから
ムカツヒメ(向津媛)
ともいったようです。
ここは、そんな
向津媛=瀬織津姫さまの
御霊が眠っている磐座
とされているようなのです。
念願の地にくることができた
多幸感につつまれながら
ゆっくりと
参拝させていただきました。
拝殿
磐座のしたから、さらに
梯子を登ってゆくと
磐座にすえられた
拝殿がありました。
拝殿では神主さんらしき方が
掃除をしていらっしゃいました。
初めてきましたと伝えると
「でしたら奥にどうぞ」と
拝殿裏の岩と岩の隙間に
祠が据えてある
祭祀場へ通してくださいました。
その厳かな雰囲気に
またしても気持ちが高まります。
ここでも、精一杯
ご挨拶をさせていただきました。
瀬織津姫
瀬織津姫さまは
天照大神の后として
世継ぎとなる
オシホミミ(天忍穂耳尊)を
お産みになられたかたですね。
天照大神の治政を
伴侶としてともにささえ
人々の繁栄にも尽力された
心優しいかたでもあります。
そしてときには厳しさをもって
人々を導いてくださるかたでもあります。
さらに晩年は、
目神山(めがみやま)のあたりに
暮らしていたようなのです。
ぼくにとっても
とくに心惹かれるかたです。
ここにいるだけで、そんな
時を越えためぐり逢いに
胸が熱くなってしまいます。
大江先生
祠での参拝を終えると
神主さんらしきかたに
こんどは拝殿のほうへと
ご案内いただきました。
そこにはお供えものに混じって
瀬織津姫さま天照大神さまの絵や
ヲシテ文字・ホツマツタヱの
研究資料にあふれていました。
わたしも
ホツマツタヱを勉強していて
きょうは瀬織津姫さまに
会いにきたことと伝えると
とても喜んでくださって
色々とお話を聞かせてくださいました。
そのかたは
神主さんではなく
神話伝承研究家の
大江幸久(おおえゆきひさ)先生
といいまして
年老いてしまった
神社の管理人にかわって
掃除に来ているそうなのです。
大江先生は
ホツマツタヱの研究者でもあり
六甲比命大善神の磐座に
瀬織津姫さまの御霊が眠っている
ということを発見したかた
でもあるといいます。
さらには、ここで
瀬織津姫さまのお声を聞いて
『トノヲシテ《瀬織津姫さま》言霊リメンバリング』
という本をご出版なさっているといいます。
ぼくはもう、驚きの連続で
ただただ目を丸くしていました。
ホツマツタヱの話
大江先生は、ほかにも
さまざまなことを教えてくださいました。
たとえば、
ホツマツタヱの思想を
日本に残すために
神社神道から日本仏教に
姿を変える必要があり
それに尽力したのが
聖徳太子(しょうとくたいし)
役行者(えんのぎょうじゃ)
空海(くうかい)
なのだといいます。
また、ホツマツタヱには
原初神・クニトコタチの御子
ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メの
8皇子のうち
「カ」の一族が中国に渡って
夏(カ)王朝を開いた
というような話があるのですが
この思想が、のちに
密教(みっきょう)として残り
恵果(けい「カ」)和尚から
空海(くう「カ」い)に伝えられた
とも考えられるそうです。
ですから、
密教や真言宗の教えとは
もとをたどれば
ホツマツタヱの思想であり
日本にも広まりやすかった
というのです。
こうした話が
つぎつぎとあふれてきまして
すっかり聞き入ってしまいました。
下山
あまりに楽しくて
聞き入っていましたら
時刻はあっという間に
17:00になっていました。
すると、大江先生から
「帰りはどうされるんですか?
もしよかったら駅まで送りますよ?」
とご提案いただいたので
「ほんとうですか!? たすかります!」
と甘えさせていただきました。
ここに来ることが目的で
帰りのことは考えておらず
くわえて、今日一日すべて
徒歩でまわったものですから
あまりの疲労で下山する気力も
なくなっていたところでした。
本当に、心から
ありがたいご提案だったのです。
送っていただいた車内でも
ホツマツタヱトークはつづきまして
とてもとても楽しい時間を
過ごすことができました。
瀬織津姫さまには、このように
素敵なご縁までいただいたのでした。
本当に本当に感謝しています。
☆六甲山と女神さま全記事リスト☆
コメント
NAVI彦さんこんにちは!
六甲此命神社はいつか行きたいと願っている場所でした。
沢山情報をありがとうございます。
しっかり勉強出来て、来てもいいよと神様に言われた頃に
きっとご縁あって参拝できると
思います。
それまでこちらで勉強させていただきます!
はなさん
こんにちは!いつもありがとうございます!
ここも本当に素晴らしい場所です。
思いはかならず通りますので
いつかご縁が叶いましたら
ぜひぜひご堪能くださいませ!
NAVI彦さんまたまた失礼いたします(*^-^*)
今回の記事を読み終えて驚いたリンクがありました。
以前Youtubeで見たことのある【トの教えチャンネル】の
林泰寛先生が著書を描かれる際に使っていらっしゃるという
お名前が大江幸久先生というのを以前そのチャンネルで知ったのですが、その先生と、六甲此命神社で出会われたというのは凄い引き寄せですね!驚きました。
さすがNAVI彦さん、瀬織津姫様に喜ばれたんですね。
羨ましいです!
大江先生の著書の「トノオシテ《瀬織津姫》言霊メンバリング」気になります。購入したいと思いました。
瀬織津姫様を追った一年だったので菅、NAVI彦さんの記事はとてもリアルで勉強になりました。
いつもありがとうございます。