検証ほつまつたゑ
ホツマツタヱ研究の専門同人誌・
『検証ほつまつたゑ よみがえる縄文叙事詩』の
第132号(令和6年4月号)には
小説とあわせて論考も掲載いただきました!
富士山(ふじさん)
の由来について考察してみました。
フジ考 ~富士山~
ホツマツタヱによれば
富士山のことを
フジノヤマと命名したのは
7代・孝霊天皇だといいます。
天照大神の孫ニニキネを崇敬していたかたで
みずからも3つ子を2組もうけたそうです。
そこで臣民問わず
3つ子を産んだものには褒章を与えたといいます。
またニニキネゆかりの富士山の絵と
琵琶湖の絵が同時に献上されたので
これを瑞兆として富士山への登拝をおこないました。
ハラミヤマ
富士山はもともと
ハラミヤマといわれていました。
日本一高い山ですから
天界の星(神)がひろがる「天の原」と
ひとびとが暮らす「地の原」を「見る」ことができるので
原見山とされていたようです。
のちにイサナギとイサナミはこの地で
天照大神を孕んだことから
孕山の意味も掛けられました。
これに合わせて
この地に生える3種類の長命草も
「ハ」「ラ」「ミ」と名づけられたので
蓬莱山の意味もあります。
ほかにも、さまざまな名があります。
- 橘を植えたことから橘山
- 天照大神の生誕地から大日山
- 雪が溶けないので豊居雪山
天孫ニニキネはこの山にフトマニ図を写して
8つの湖と1つの峰を築きました。
中峰は「アウワ」の中心円であり
8つの湖は「トホカミヱヒタメ」の第二円をあらわします。
合わせて
九星ともいわれる神々ですから
九山といわれました。
藤
ところが
7代孝霊天皇が登拝をおこなったときには
火山活動によってすでに長命草は絶滅しており
8つあった湖も3つが溶岩で埋まっていたといいます。
長命草が失われては「蓬莱山」と呼べず
湖が失われては「九山」とも呼べず
噴火したので「豊居雪山」とも呼べません。
また「橘山」や「大山」という名は
ハラミヤマを遥拝する名として全国各地にひろまっていましたから
固有名詞ではなくなっていました。
そこで孝霊天皇は、みずからも天孫ニニキネのように
この山にあらたな名をつけようと考えました。
そんなとき山麓の田子の浦のひとびとから
藤の花が献上されたといいます。
孝霊天皇はこれを天啓としてこんな歌を詠みました。
はらみやま ひとふるさけよ
ホツマツタヱ 32アヤ
ふじつるの なおもゆかりの
このやまよこれ
「フジ」には、噴火を鎮めるという
「伏」の願いが込められています。
また「藤蔓」は「伏連」に掛かり
それが長く続くことを意味しています。
こうして「藤」からとって
富士山と命名されました。
ここにはさらに
フトマニ図も関わっているようです。
天孫ニニキネはフトマニ図の
中心円と第二円を写したように
孝霊天皇はフトマニ図の
第三円を描いたようです。
第三円の「アイフヘモヲスシ」は
「フ」と「シ」が並んでいます。
「フ」ではじまり
「シ」でおわる右回りの
「連(蔓)」によって
中心円と第二円を囲むことで
九山(蓬莱山)を鎮めようとしたようです。
フトマニ図でみれば
「九山」とは「天の山名」であり
「富士山」は「地の山名」ともいえます。
山麗(大和)のひとびとには
「地の山名」が必要だったのでしょう。
天照大神の勅撰歌集『フトマニ』によれば
「フ・ハラ」と「シ・ハラ」の歌はこうあります。
フのハラの みやはたからお はらませて
フトマニノフミ 34番歌
したうほつまの たみそうみける
シのハラは かみのふしみの たまくしお
フトマニノフミ 114番歌
あみのめくみの みやこたつなり
ともに吉の歌です。
フ・ハラは民の繁栄を歌い
シ・ハラは琵琶湖を称える歌のなかに
「伏」が詠まれています。
「ハラミ」の山にとっても
「フシ」は縁起の良い言葉だったようです。
(おわり)
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