検証ほつまつたゑ
ホツマツタヱ研究の専門同人誌・
『検証ほつまつたゑ よみがえる縄文叙事詩』の
第132号(令和6年4月号)に
掲載していただきました!
本当にいつも
ありがとうございます🥰
今回も、
ホツマツタヱをもとにした
『小説』を投稿しています。
天照大神の父母である
イサナギ・イサナミ
を描く連載の第4回です。
↓これまでの全記事はこちらにまとめてあります。
(※当ブログでは掲載にあたり
やや改訂したものを投稿しています)
『おふかんつ実』 その4
《ホツマツタヱ異文小説》
内海
内海は、いつだって静かだ。
淡海(琵琶湖)のさざ波とまではいかないが
寄せては引き、引いては寄せる穏やかな波にはいつも
心が安らいでゆく。
西の水面には、淡路の島が漂っている。
ヒヨルコを弔うために「吾恥」と名づけた島。
しばらくはこの島を、遠くから眺めることさえできなかった。
はらの底から思いがあふれてきて、こらえることができなかった。
けれどもいま、こうしていられるのは
夫イサナギのおかげだ。
「ソサ国へ向かう前に、寄りたいところがある」
伊予阿波二名(四国)を発つときに、
イサナギは真っすぐにこちらを見つめながらいった。
この瞳は幼いころから変らない。
7代天神となってもまだ澄んだ瞳でいられるのは
民を信じる心があればこそなのか。
「どこへだって、付いてゆきます」
こう応えたものの、かの地でなにが待っているのかは
イサナミにもわかっていた。
あの子が帰ってくる!
きっとあの子を迎えにゆくのだ。
船は住江(河内湾)のはずれの斎津に着いた。
ここは、臣のカナサキに斎きつかえる民が暮らす津(港)である。
川のほとりには、村も栄えている。
「わたしたちも、すっかり歳をとりましたね」
「ふたりの世継ぎをもうけたのだ。もうなにも、憂うことはない」
「あんなに恐れていたのが、嘘みたい」
蓬莱山(富士山)で、ワカヒト(天照大神)が産まれた日から
イサナミは悪い夢をみなくなった。
それまでは幾度となくうなされてきたのに、
近ごろは夢そのものをみていない。
それというのも、夢のような日々が続いているからだろう。
父の豊受大神も、ワカヒトが産まれたときには
泣いて喜んでいた。
「めでたきことだ」という父のかすれた声が
いまでも耳に残っている。
父も歳をとるのだ。
そんな当然のことを、まざまざとみせつけられた気がした。
けれどもまだ、
父と話すときには途切れ途切れになってしまう。
いまでも父に慣れるということはない。
「遠くまで、晴れているのね」
「ああ、良き日になりそうだ」
浜を歩こうといったのはイサナギだ。
白い砂浜と、青々と茂る松林がとても美しかった。
言うか、言うまいか、すこし迷ってから、イサナミはこう続けた。
「ヒルコはもう、わたしがあの子を産んだときと
おなじ年ごろになっているのね」
「なんだ、わかっていたのか?」
イサナギも、とりたてて隠すつもりはなかったようで
すぐに認めてしまう。
「だって今日は、年のうちでもっとも日が長い日。
あの子が産まれた日でもあるのよ」
日の光をたっぷりと身に宿して生まれた日霊の子を
わたしはあまり愛してあげることができなかった。
それはヒルコが、あまりに眩しかったからだ。
でもいまなら、いまだったら、
母として、わが子と向き合えるかもしれない。
「廣田の浜は、向こうの山の、東の麓にある」
イサナギが指すほうには、
たしかに船影がぽつりぽつりと浮かんでいる。
「廣田」というのは、船に乗せて「捨てた」ヒルコを
臣のカナサキが「拾った」地である。
父母の厄年の災いが子に降りないよう
ヒルコとはひととき縁を切り、離れ離れに暮らさなくてはならなかった。
臣のカナサキは、そんなヒルコを養い育ててくれた恩人である。
海に出て船を操る一族の長であり
亀船(大型船)を生みだした功労者だ。
ヒルコを乗せた船は、いまふたたび、海を渡ってこちらへ向かっている。
まだ粟粒のようにみえる船も、やがては大きな姿をあらわすだろう。
それにあわせて、まだ幼かったヒルコが
あっという間に大人になってしまうようで、
イサナミはなんだか信じられなかった。
「これからは、3人でゆっくり暮らすことにしよう。
筑紫(九州)にも伊予阿波二名(四国)にもアワウタをひろめたいま
残すはソサ(紀伊半島)の荒れ山を拓くだけだ。焦ることはない」
「ワカヒトに次ぐ
継世の御子のツキヨミを産んだわたしたちは
筑紫の地で民に意を尽くしたといえます。
それはひとびとを慈しむ心が
いよいよ世に満ちたということです。
ツキヨミの諱を『モチキネ』としたのは
満月の夜に産まれたからだけではなく
世の願いを満たした子という思いからでした。
わたしたちはもう役目を果たしたのです」
「じつは、ソサ国に築いた宮のあたりは、
あらたに紀州と名づけた。
ソサに来て静かに居たいという願いのほかに
常世の木を植えて『シヰタラサヤワ』の道を
イサコとともに成したいと思ったのだ。
どうか最期まで、ともに居てほしい」
イサナギの温かな手が、イサナミの冷たい手を包んだ。
あぁ、そうそう、イサナギの手はいつも熱いくらいだった。
「ええ、ありがとう」とイサナミは、にこ笑んだ。
アワウタの後半24音は、女の歌である。
前半24音の男の歌が、天の叡智を降ろす歌とすれば
後半24音の女の歌は、地の豊穣を捧げる歌である。
アワウタは人の一生を詠っている。
天より降りてきた命は、地の世界を生きて事を成し
新たな命を育んだのちに、ふたたび天へと昇ってゆく。
「シヰタラサヤワ」とは、天へと還る最後の句だ。
「欲(シヰ)」を「満たした(タラサ)」のちに
男と女が「和(ヤワ)」し合うことで
ひとはようやく天に還ることができる。
また「常世の木」というのは「橘」のことだ。
初代天神の教えの象徴であり
この教えが永遠に継がれて欲しいという願いが込められている。
「橘」を植えて「シヰ」タラサヤワを歌う「キシヰ」国とは
妻と夫が永遠に結ばれるよう願った名だ。
イサナギは紀州を晩年の地と定めて
イサナミと魂魄までひとつになりたいと考えているのだろう。
こんなに幸せなことはない、とイサナミは思った。
イワツ
船が、斎津の浜に着いた。
かなたより手を振るヒルコの姿に
イサナギとイサナミはともに手を振り返しては、涙を流した。
先導して櫂を操るカナサキ翁は
老いを感じさせないどころかさらに逞しくなっている。
髪を後ろに留めているせいか、顔の皺まで消えたようにみえる。
船が着くと、櫂を手にしたまま浜に飛び降りて
誰よりもはやくイサナギのもとに駆けつけた。
「イサナギ殿、お久しぶりでございます」
差しだされた土くれのような手を、イサナギは思いきり握り返した。
そして歯を食いしばりながら、あらんかぎりの笑顔を浮かべる。
「カナサキ翁も、お変わりないようで」
が、カナサキのほうは涼しげである。
「ほう、殿はすこしばかり逞しくなられましたな」
「翁の言いつけとおりに、鍛えていたからな」
「では、いまいちど『櫂引き』をいたしましょう」
「受けて立とう。さあ櫂足を持ってください」
「なあに、それには及びません」
いうが早いか、ふたりはともに櫂の両端を持って引きはじめる。
けれども、すぐにイサナギが櫂ごと持ち上げられて
砂浜に投げ飛ばされてしまった。
「強うなられましたな、殿」
「翁というのに、老いを知らぬとはおそろしいものだ」
「まだまだ戦にも出られますぞ」
倒れ伏したイサナギに手をかして起こすと
カナサキは今度はイサナミへと向きなおった。
「御前は美しくなられましたな。
日々、御前に似てゆくヒルコ姫を育てることができたのは
わたしの生涯の誇りです」
「あなたに養われて、あの子もひろく世を知ることができました。
ありがとう」
「これはこれは、嬉しいお言葉を」
大きな身体を縮めながら照れるのは、翁の癖だ。
これをみたくて、カナサキをよく褒めていたなとイサナミも思い出した。
砂を払って起きあがったイサナギがこれに続ける。
「カナサキの恩に応えるため
この地にあらたな宮を築き与えることとする。
淡海国の水門にあたるこの住江を
どうかこれからも守り治めて欲しい」
「あい、受け賜りました。かならずや務めましょうぞ」
カナサキは櫂を砂浜に置いてから、深く頭を下げた。
するとお付きのものを従えて
ヒルコがようよう両親のもとに姿をあらわした。
「お父さま、お母さま、ずっと、お逢いしたかった」
泣き崩れるヒルコを、
イサナギとイサナミはふたりで優しく抱きとめる。
「石樟船を流したあの日から、
忘れたことはなかったよ、ヒルコ。
いまこうして、お前を迎えることができたのは
わたしたちの厄も尽きたからだ。
筑紫での斎祀によって、
しこりのように残っていた穢もようやく崩れた。
お前を泣くなく石樟船に乗せたのは
厄を祓う願いを掛けてのことだった。
どうか許してくれ」
「わかっております。だからこそ、
斎を尽くした、斎津の地にお呼びになったのでしょう」
「廣田の地で翁がお前を拾ったように
斎津の地でお前の還りを祝ったのだ」
「それではどうか、この地を新たに石津太と呼び
わたしの帰りを祝った地としてください」
「ああ、そうしよう」
イサナギはかたく誓うと、かたわらの妻に言葉を譲った。
イサナミとヒルコはまるで鏡をみるかのように
ゆっくりとたがいの顔を見つめあった。
「ヒルコ、大きくなったあなたに、どんな声を掛けたらよいのか。
もう取り返しはつかないけれど、わたしはずっとあなたに会いたかった」
「お母さま。お母さまはわたしが産まれたときからずっと
わたしをひとりの女として見てくださっていました」
「ひどい母でした」
「いいえ、良き母でした。
わたしははやくから、わたしが女であることを
深く知ることができたのです。
これを女心というのだと、カナサキが教えてくれました」
「どうかもう一度、わたしを母としてください」
「わたしもそう願います。
血の繋がった女どおしにしか
わからないこともたくさんあるのです」
「あぁ、ヒルコ」
母と娘のむせぶ涙も、波のうたかたに溶けてゆく。
満ち干く潮のはやい浪速の地とはいえ
日の長い今日ばかりは、とてもゆるやかだった。
カナサキはヒルコのともを連れて船へと戻ってゆく。
荷をさばくためというのは、もちろん親子を思ってのことである。
「ヒルコ、これを渡したい」
イサナギは腰の麻袋から
赤い石が結わえられた首飾りを取り出した。
「勾玉だ。アワ国の淡海と淡島に似せた形にしてある。
これを身に着けていてほしい」
「なんて綺麗な赤でしょう」
イサナギはそっとヒルコの首に飾りをかけた。
「これは水銀が閉じ込められた石だ。
4代天神のウビチニ・スビチニの名は
水と土が溶けた泥にちなんでいるが
水銀もまた水と銀が溶け合っている。
そこで男女神がたがいを思う『和心』に掛けて
この石を『丹』ということにした」
「明けゆく空のような色です」
「ワカヒトもはじめは
胞衣に包まれた赤玉として産まれてきた。
そしてアワウタも『アカハナマ』ではじまっている。
丹の赤とは、まさに世明けの色、暁の色といえる」
真っ赤に燃える日の光に、ヒルコは丹の勾玉を透かしてみた。
赤い石のなかで、光の筋がまるで脈打つように走った。
「淡路に似せた勾玉ということは
さきに身罷ったヒヨルコの御霊でもあるのでしょう?
ヒヨルコとともに生きろと、わたしにおっしゃっているのですね」
「昼の名をもつヒルコと、夜の名をもつヒヨルコが
ともに和し合うこともまた和心といえる」
「廣田の西殿(西宮)から、淡路の島を眺めては
日々ヒヨルコのことを思っていました」
ヒルコは丹の勾玉をそっと胸元にあてると、
そこに血の温もりを感じたかのように、ほほ笑んだ。
イサナギは麻袋から、また別の丹を取り出した。
こちらはまだ磨かれておらず、鈍い光を放っている。
「和心をひろめるために、わたしたちはいま『丹』を求めている。
筑紫から、伊予阿波二名をたどってきたのもそのためだ。
これからソサ(紀伊半島)へと向かうのも
まだおおくの丹が眠っていると聞いたからだ」
『丹』によって、男女の和心を教えひろめる。
イサナギはこれを、みずからの最期の使命と定めていた。
「わたしはすでに、女心を授かっています。
これからはお父さまお母さまから、和心を学んでゆこうと思います」
ヒルコもまた、カナサキ翁のように深く頭を下げた。
「さあヒルコ、わたしたちは一度お前を捨てた。
ふたたび縁組みをなすためには、新たな名を授けなければならない」
「あい、謹んで受け賜ります」
「お前は、いちばん末の娘として還ってくることとなる。
世継ぎのワカヒトにもいずれ、斎きつかえることとなるだろう。
そこで名も新たに『ワカヒルメ(稚日女尊)』とする」
「あい、わかりました」
「ワカヒルメ、とても良き名ですね」
「ありがとう、お母さま」
汚穢隈を逃れたヒルコは、
父の恵みと、母の慈しみを受けて、ワカヒルメとなった。
この名には、なきヒヨルコへの思いも受け継がれている。
「わたしはもう新たに子を作るつもりはない。
これからはキシヰの国で、3人で睦まじく暮らしてゆこう」
イサナギの優しい声もまた、すぐに潮のうたかたに消えていった。
これのさき をゑくまにすつ
ひるこひめ いまいつくしに
たりいたり あめのいろとと
わかひるめ
(つづく)
解説
ヲシテ文献の空白部分を
想像力によって補ってみようという小説企画です。
「異文」としているのは
あくまで可能性のひとつということです。
今回は、イサナギとイサナミのもとに
長女ヒルコが帰ってくるシーンです。
堺市の仁徳天皇陵の東のあたりには石津太神社があり
蛭子命の漂着伝承が残っています。
ホツマツタヱには描かれていない場面なのですが
住吉大社もほど近いことから、ここを再会の舞台としてみました。
また、イサナギ・イサナミが熊野の地へやってきた理由として
丹(辰砂)の探索をあげてみました。
みなさまのご研究の一助になれば幸いです。
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