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検証ほつまつたゑ125号 神功皇后考2

検証誌125号の表紙検証ほつまつたゑ

検証ほつまつたゑ

ホツマツタヱ研究の専門同人誌・
『検証ほつまつたゑ よみがえる縄文叙事詩』
第125号(令和5年2月号)に
掲載していただきました!

本当にいつも
ありがとうございます🥰

今回は、
前回の神功皇后考1
完結編です。

日本初の女帝ともいわれる
神功皇后(じんぐうこうごう)
について

ホツマツタヱから
ひもといてゆきます。

検証誌125号神功皇后考その2

神功皇后考 その2

前号では、第14代・
仲哀(ちゅうあい)天皇の后である
神功皇后(じんぐうこうごう)

天照大神の姉・
ワカヒメが転生した姿では?
という話をしました。

今号では、神功皇后の
オキナガタラシヒメ
という名に目をむけて

息長(おきなが)氏
という古代氏族について
ホツマツタヱからみてゆきます。

皇統保守においても
重要な役割を果たした
息長氏の血統をたどってみます。

※[息長氏の系図]をご参照ください。

米原市・伊吹山より
滋賀県米原市(伊吹山より)

息長氏と本拠地

息長氏は
近江国坂田(さかた)郡
[滋賀県米原市のあたり]
を本拠とするそうです。

神功皇后の父・
息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)
はこの地を治める首長だったらしく

山津照(やまつてる)神社には
息長宿禰王の墓所ともいわれる
古墳があるようです。

山津照神社
山津照神社[山津照神社古墳]
(息長古墳群の一画にある)

南の鈴鹿(すずか)山脈と
北の伊吹(いぶき)山地が
とぎれる地にあたり

琵琶湖から
美濃国や越国へぬける
交通の要衝をおさえていたようです。

峠を越えれば、
東はすぐ関ヶ原です。

『息長』というように
水中でも「息が長く」つづく
琵琶湖の海人族であるとか

「長い息」によって火を燃やした
伊吹山の製鉄民族である
といわれるようですが

定説はないようです。

アメミカゲと三上山

古事記・日本書紀における
「息長」の初出は
息長水依比賣(おきながのみずよりひめ)
だといいます。

第9代・
開化(かいか)天皇の子
ヒコヰマス(彦坐王)の妻
となったかたであり

おふたりの曾孫が
息長宿禰王にあたるようです。

息長水依比賣は
琵琶湖南東の
三上山(みかみやま)
で祀られている

天之御影神(アメミカゲ)の娘
といわれているようです。

三上山
三上山
(御上神社で天之御影命を祀る)

アメミカゲといえば
天照大神の子・
アマツヒコネ(天津彦根)の子
にあたるのですが

ホツマツタヱによると
第7代・
孝霊(こうれい)天皇の世に

      しらひげのまこ
あめみかげ あわうみのゑお
たてまつる

ホツマツタヱ 32アヤ

とあることから

シラヒゲ(白髭神)こと
サクラギ[海幸彦]の子孫に

もうひとりべつの
「アメミカゲ」というかたがいて

琵琶湖の絵を
朝廷に奉納したといいます。

これは、三上山の
御上(みかみ)神社の
創建時期とも重なることから

三上山のアメミカゲは
海幸彦の子孫といえるようです。

御上神社のご由緒

だとしたら、
息長氏は海幸彦の親類にあたり

これによって神功皇后は
三韓遠征(さんかんえんせい)において

潮満珠(しおみつたま)・
潮干玉(しおひるたま)を
使うことができたのかもしれません。

けれども、ホツマツタヱには
ヒコヰマスの妻の名や
神功皇后につらなる系譜も
記されていないのでよくわかりません。

ただ、
近江との関係は深かったようです。

ヒコヰマスの孫・
オオタンヤワケ(意富多牟和気)は
古事記では安(やす)国造といわれ

三上山のある
野洲(やす)市のあたりを
治めていたようです。

ホツマツタヱでは、
オオタンヤワケの娘・
フタヂイリヒメ(両道入姫命)

ヤマトタケ(日本武尊)が結ばれて
第14代・仲哀天皇が生まれます。

ヒコヰマスの血統というのは
神功皇后だけでなく
夫の仲哀天皇にも関わっていたようです。

息長田別と稚野毛二派皇子

「息長」は、
ホツマツタヱにも記述があるようです。

ヤマトタケ(日本武尊)と
オトタチバナヒメ(弟橘媛)の子に

イキナガタワケ(息長田別)
が記されています。

オトタチバナヒメといえば
ヤマトタケの航路を守るために
海に身を投げて波を鎮めた
といわれています。

一般的には、
オトタチバナヒメの父親は
忍山宿禰(おしやまのすくね)
とされています。

忍山神社
忍山神社(弟橘媛の養育地か)

けれども、ホツマツタヱでは
忍山宿禰はあくまで養父であり

本当の父親は
タジマモリ(田道間守)
だといいます。

タジマモリの祖先は
新羅の皇子
アメヒボコ(天之日矛)
であり

但馬(たじま)国の
発展に貢献した一族です。

垂仁天皇陵と田道間守の墓
垂仁天皇陵(菅原伏見東陵)と
田道間守の墓

ところが、記紀では
アメヒボコ・タジマ一族は
神功皇后の母方の血筋

とされています。

ホツマツタヱでは
アメヒボコとイキナガ(息長)は
「オトタチバナヒメ」でつながる
のですが

記紀では
「神功皇后」でしかつながれません。

ここにも、
意図的なものを感じてしまいます。

神功皇后の子である
第15代・応神(おうじん)天皇

イキナガタワケ(息長田別)の
孫娘とむすばれて
稚野毛二派皇子(わかぬけのふたまたのみこ)
が生まれます。

第16代・仁徳(にんとく)天皇の
異母弟にあたるかたです。

このかたや、このかたの御子・
意富富杼王(おおほどのおおきみ)
息長氏の祖とされるようです。

仁徳天皇の血筋が
第25代・武烈(ぶれつ)天皇
で途絶えてしまうと

仁徳天皇の異母弟・
稚野毛二派皇子をたどって
血縁をたずねたといいます。

そうして、迎えられたのが
第26代・継体(けいたい)天皇
です。

継体天皇は
近江国高島の生まれであり

当時は
越前国を治めていたといいます。

息長氏の血を引くかたが
天皇に即位したようですね。

支持母体は
近江の周辺諸国ですから

大和にはいったのは
晩年だったようです。

それまでは
枚方の樟葉宮(くすはのみや)
京田辺の筒城宮(つつきのみや)
長岡の弟国宮(おとくにのみや)と

近江にもちかい地域を
都にしていたといいます。

広姫と舒明天皇

稚野毛二派皇子の曾孫・
広姫(ひろひめ)

第30代・
敏達(びだつ)天皇の皇后
となります。

おふたりの子・
押坂彦人大兄皇子
(おしさかのひこひとのおおえのみこ)


第34代・
舒明(じょめい)天皇の父
となりますが

舒明天皇は
息長足日広額天皇
(おきながたらしひひろぬかのすめらみこと)

といい『息長』がはいります。

また、舒明天皇は
押坂彦人大兄皇子の孫・

皇極(こうぎょく)天皇
[重祚して斉明(さいめい)天皇
と結ばれて

第38代・天智(てんぢ)天皇
第40代・天武(てんむ)天皇

を生むこととなります。

息長氏が
政界にあたえた影響は
ただならぬものがあったでしょう。

けれども、
大和国の飛鳥では
武内宿祢(たけうちのすくね)の子孫・
蘇我(そが)氏が台頭していました。

押坂彦人大兄皇は
蘇我氏の対抗勢力としても
支持されていたらしく

大和国春日の
和邇(わに)氏がついていたようです。

飛鳥宮跡
飛鳥板蓋宮跡

息長氏と和邇氏の関係も
ホツマツタヱまでさかのぼる
ことができます。

和邇氏の祖・
アメタラシヒコクニ(天足彦国押人命)
は春日の地をたまわったそうですが

その子・チチハヤは
第7代・孝霊天皇に仕えたさい

アメミカゲが奉納した
琵琶湖の絵をともに見ていたようです。

チチハヤの孫娘・オケツヒメは
第9代・開化(かいか)天皇と結ばれて
ヒコヰマスを産んだといいます。

『ヒコ』とは「ヒコクニ(平国)」
春日の地を治めるという意味もあるらしく

和邇氏と息長氏には
時代を越えた深い縁があったようです。

開化天皇陵
開化天皇春日率川坂上陵

息長氏の系図

ここで、
息長氏に関する系図をまとめてみました。
ご参照いただけたらと思います。

息長氏の系図

息長氏と神功皇后

前号では、
斉明天皇がモデルとなって
神功皇后が創作された
という話もしましたが

系図からみるならば
武烈天皇で途絶えた皇統を

息長氏ゆかりの
継体天皇でつなぐために


『神功皇后』が創出されて
息長氏の名声を高めた


ととることも
できるのかもしれません。

もしくは、実在した
神功皇后という人物に

息長氏の血統を
仮託したともとれそうです。

皇統にこれだけの影響をあたえた
息長氏ですが

奈良時代以降は
記述がなくなってゆきます。

派生氏族としては、
坂田・酒人・三国・筑紫米多・波多
などがあるようですが

表舞台にあらわれなくなる
という点では

秦(はた)氏
鴨(かも)氏と似たようなものを感じます。

牽牛子塚古墳
牽牛子塚古墳
(斉明天皇の陵墓か?)

ホンツワケ

さいごに、
もうひとつ面白い説があります。

息長氏というのは
第15代・応神天皇こと
『ホンダワケ』の子孫ではなくて

ヒコヰマスの娘・サホヒメと
第11代・垂仁(すいにん)天皇の御子・
『ホンツワケ』の子孫だったのではないか?
ともいわれるそうです。

1字違いで混同された
というのは暴論のようでもありますが

捨て置けないのは
「ホンツワケ」もまた
謎のおおい奇妙な人物であるうえに
末裔の記述がみられません。

また、
応神天皇こと「ホンダワケ」は
気比(けひ)神宮の地で

『名を易(か)えた』
という謎の記述があります。

もしかすると、それがこの
『ホン「ダ」ワケ』と
『ホン「ツ」ワケ』の
「1文字」なのかもしれませんね。

(おわり)

高穴穂神社の啞宮社
啞宮社[高穴穂神社境内]
本牟地別命(ホンツワケ)を祀る

巻末の告知

前回につづいて
NAVI彦のYouTube動画

公式イチオシとして
ご紹介いただいています✨

検証誌の巻末

覚書き

ご拝読ありがとうございます。

神社めぐりをつづけるうちに
古代氏族との関わりにも
興味をもつようになりました。

なかでも、
神功皇后の出身氏族である
息長氏についてはいつか
じっくりまとめてみたい
と思っていました。

秦氏や鴨氏とおなじく
さまざまな考察があふれている
息長氏ですが

こうして
ホツマツタヱからみることで
新たな視点や活路となれば
幸いです。

血縁をたどるものですから
文章としてはすこし
読みづらくなってしまいました。

掲載している
「息長氏の系図」と
照らしながら見ていただけると
理解の手助けになるかと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

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