本住吉神社
兵庫県神戸市灘区には
住吉大社の元宮ともいわれる
本住吉(もとすみよし)神社
があります。
西宮市からは
離れてしまいましたが
「西宮めぐり」に
まとめてしまいます。
神功皇后
第14代・
仲哀(ちゅうあい)天皇の
后である
神功皇后(じんぐうこうごう)
が創建したといいます。
朝鮮半島への
三韓遠征(さんかんえんせい)
をとげた神功皇后は
都まで帰る途中に
大阪湾で船がとまったので
武庫の港(神戸港)へもどって
神託をうかがったところ
さまざまな神が降りてきて
みずからを祀るよう告げたそうです。
そこで、
神功皇后は
天照大神荒御魂[向津姫]を
廣田(ひろた)に祀り
稚日女尊を
生田(いくた)に祀り
事代主尊を
長田(ながた)に祀り
住吉三神を
大津渟中倉之長峡
(おおつのぬなくらのながさ)
に祀ったといいます。
こうして、
廣田(ひろた)神社
生田(いくた)神社
長田(ながた)神社
本住吉(もとすみよし)神社
が創建されたようです。
ただし、
大津渟中倉之長峡の地
には諸説あるらしく
兵庫の
本住吉神社ではなく
大阪の
住吉大社(すみよしたいしゃ)
であるともいわれます。
そこで、当社では
住吉大社の元宮であるとして
本(もと)住吉神社を
名乗っているようですね。
それぞれの
神社の配置をみると
かつての
波打ち際に築かれていて
ほぼおなじ間隔で
ならんでいるようです。
本住吉神社を
『大津渟中倉之長峽』
としたいところですが
平安時代にまとめられた
延喜式(えんぎしき)に
本住吉神社は載っていない
ことから
否定的な意見も強いようです。
住吉三神
ですから、
本住吉神社の祭神は
住吉(すみよし)三神
神功皇后
だといいます。
日本書紀には
神功皇后の項に
こうあります。
亦 表筒男 中筒男 底筒男
日本書記 巻第九
三神誨之曰
吾和魂宜居大津渟中倉之長峽
便因看往來船
また
表筒男(うわつつお)
中筒男(なかつつお)
底筒男(そこつつお)
の3神が教えさとすことには
「わが和魂を
大津(おおつ)[大きな港のこと]の
渟中倉(ぬなくら)[地名か?]の
長峽(ながさ)[長細い地形のこと]に
居させておくとよい
そうすれば
行き交う船(の安全)を
見守ることができる」
この、3神は
住吉大神(すみよしおおかみ)
といわれていて
神功皇后の
守護神的な存在だったようです。
住吉三神とは
天照大神の父・イサナギが
黄泉の国から帰ってきて
禊をおこなったときに
生まれた神であり
海の底に沈んで
濯いだときに生まれたのが
底筒男命(そこつつお)
潮の中に潜って
濯いだときに生まれたのが
中筒男命(なかつつお)
潮の上に浮いて
濯いだときに生まれたのが
表筒男命(うわつつお)
だといいます。
其底筒男命
日本書記 巻第一
中筒男命
表筒男命
是卽住吉大神矣
底筒男命 中筒男命 表筒男命 これはすなわち 住吉大神である
日本書記にのこる
この記述から
この3神は
住吉大神のことである
とされるようですね。
ところが、
古事記ではすこし
表記が異なるようです。
其底筒之男命
古事記 上巻
中筒之男命
上筒之男命
三柱神者墨江之三前大神也
底筒之男命 中筒之男命 上筒之男命 3柱の神は 墨江(すみのえ・住吉)の 三前(みまえ)大神である
住吉大神ではなく
住吉「三前」大神
となっています。
この表記をみれば
住吉大神というかた
ではなく
住吉大神の
御前に仕えた3神
ともとれそうです。
住吉三神とは別に
住吉大神というかたがいた
ということでしょうか。
カナサキ
イサナギの禊について
ホツマツタヱにはこうあります。
つくしあわきの
ホツマツタヱ 5アヤ
みそきには なかかわにうむ
そこつつを つきなかつつを
うわつつを これかなさきに
まつらしむ
筑紫の
小戸橘のアワキ宮での
禊(世直し)では
那珂川(なかがわ)にて
底筒男・中筒男・表筒男
を任命しました
この3人の守は
カナサキにまとめさせました。
ホツマツタヱでは
禊とは身を清めるだけでなく
乱れた世をただす
というような意味もあり
イサナギは荒れた世を
平定していたようです。
そんななか
筑紫(九州)の平定では
筑紫の北側を
ソコツツヲに治めさせ
筑紫の中ほどを
ナカツツヲに治めさせ
筑紫の南側を
ウワツツヲに治めさせた
といいます。
「ツツヲ」とは
「ツツがなく治(ヲさ)める」
という意味のようですね。
そして、この
3人のツツヲをまとめたのが
カナサキ(金拆命)
だったといいます。
カナサキとは
イサナギ・イサナミにもつかえた
家老のようなかたであり
イサナギ・イサナミの長女
ワカヒメ(ヒルコ)の
養育を担ったかたでもあります。
造船業や航海術にすぐれ
海洋や水運を司っていた
船の一族[海人族]
だったようす。
天照大神の世では
ハタレ(反乱軍)の
動乱を鎮めるため組織された
皇軍の大将を務めたようです。
そして
動乱を鎮めた褒賞として
天照大神から称え名を
賜ったといいます。
またかなさきは
ホツマツタヱ8アヤ
すみよろし かみのをしてと
みはのそを たまふつくしの
たみすべて ゆひをさむへし
わがかはり
また、カナサキには
ハタレ鎮圧の褒賞として
スミヨロシ守(住吉大神)
の称え名と
わたしの
御衣(みは)の裾(そ)と
筑紫(つくし・九州)の地
をあたえます。
これによって
筑紫の民すべてを
わたしの代わりに
まとめ(結ひ)治めなさい。
天照大神の
『衣服の裾』とは
ホツマツタヱでは
とても重要な意味があり
天照大神の教えの象徴
ともいえます。
旗(はた)を掲げる
というのは
天照大神の
『御衣の裾』を掲げる
ところからきている
とさえ思われます。
天照大神の代理として
九州の統治を任されるほど
カナサキは
偉大な重臣として
称えられたようです。
カナサキの本拠地は
いまの住吉大社の地だった
といわれるようですね。
また、
筑前国一宮でもある
博多の住吉神社の地には
となりに
那珂川が流れており
カナサキが治めた宮跡
であるのかもしれません。
那珂川をさかのぼれば
現人(あらひと)神社
がありまして
住吉3神が生まれた地
とも伝わるようです。
こう考えてゆくと
住吉神社の分布も
とてもよくわかります。
ですから、
ホツマツタヱからみると
住吉大神とは
カナサキ(金拆命)のこと
であり
住吉三神とは
配下(御前)である
となるようです。
奥宮
では、
本住吉神社はというと
イサナギ・イサナミの長女
ワカヒメを養育したさいの
カナサキと妻の住居跡?
と考えられるようです。
また、
本住吉神社には
奥宮があるらしく
ここより、
3キロほど北北西の
渦が森(うずがもり)
という住宅地の奥に
鎮座しているといいます。
これを
埋(うず)むが森
ととらえれば
住吉大神が
眠る(埋められた)地
ということとなり
奥宮は
カナサキの墓所では?
ともいわれるようです。
ただ、このあたりは
ホツマツタヱにも
載っていないので
あくまで
可能性のひとつ
かとは思います。
奇岩窓神と豊岩窓神
本住吉神社の
垣内にはいるとすぐ
奇岩窓(くしいわまど)社
豊岩窓(とよいわまど)社
の小さな祠が
東西に向かいあって
ならんでいました。
奇岩窓神(くしいわまど)
豊岩窓神(とよいわまど)
をそれぞれ祀るようです。
天孫降臨のさいに
あらわれた神とか
天の岩戸のさいに
あらわれた神といわれ
あわせて
天石門別神(あまのいわとわけのかみ)
ともいわれるようです。
この2神は
ホツマツタヱにも
登場します。
くしまとは ひのしまおもる
ホツマツタヱ 14アヤ
いわまどは つきのしまもる
櫛岩窓神は 日[表]の シマを守り 豊岩窓神は 月[裏]の シマを守る
「シマ」とは
治める地域や範囲の
「洲」という意味や
窓口を管理するという
「締」という意味があるようです。
ですから、いわゆる
『門』のことをいらしく
門番を司る
門守神(かどもりのかみ)
だったようです。
いまでいうと
神社の入り口にある
随身門(ずいじんもん)
に祀られる神像や
お寺の入り口にある
仁王像(におうぞう)
のようなものですね。
門の神として
天皇の宮殿でも
祀られていたといいますが
こうして神社に
祠として祀られるのは
珍しいようです。
「奇(くし)」と
「豊(とよ)」の
ならびをみると
九州でも
西に筑紫(つくし)の
「くし」と
東に豊前・豊後の
「とよ」がならんでいます。
博多の住吉神社と
からめて考えてみても
面白いかもしれません。
水神宮
境内の北東の
ちょっと小高くなったあたりに
摂社・末社もならんでいました。
どれも興味深いので
西から順にみてゆきます。
まずは
水神宮(すいじんぐう?)
ですね。
水の神さまを
祀るのでしょうか?
西宮から灘にかけて
おおくの酒蔵があるのは
日本酒つくりに最適な
伏流水が湧出するから
だといいます。
江戸時代に
発見されたこの水は
はじめは
西宮(にしのみや)の水
といっていたようですが
やがて略されて
宮水(みやみず)
となったようです。
六甲山で磨かれた水は
「赤道を越えても腐らない水」
として
世界各地の船乗りにも
知れ渡っていたといいます。
大山祇社・猿田彦社
つぎは
大山祇(おおやまずみ)社
猿田彦(さるたひこ)社
がならんでいます。
山の神と
導きの神とされている
かたですね。
いずれくわしく
解説してゆきます。
塞之神・大海社
摂社・末社ゾーンの
鳥居の正面には
塞之神(さいのかみ)
大海(たいかい?おおわたつみ?)社
があります。
邪気ふさぎの神
海神と御子
の説明書きがあります。
住吉大社の境内にも
大海(たいかい)神社があり
龍神とその娘を祀るようです。
塞之神は
岐(ちまた)神ともいわれ
イサナギとイサナミの
黄泉平坂(よもつひらさか)
での別れのシーンに登場します。
ここでは、
道行の神として
航海の無事を祈っている
のでしょうか。
本住吉神社の大海社は
楫取(かじとり)明神
ともいうそうです。
もしかすると、
カナサキ翁(住吉大神)
のことかもしれません。
8社の相殿
つづいて
8社が祀られている
相殿があります。
西から順に
天満ノ神
高良神
木花咲也姫
綿津見神
天水分神
大山咋命
大物主命
大国主命
が祀られるようです。
いずれ、
すべての神々について
ブログにしてゆきます。
大日女社
つづいては
大日女(おおひるめ)社
です。
祭神は
天照大神のようですが
ホツマツタヱ的には
ワカヒメ(稚日女尊)
となるのでしょう。
やはり、カナサキが
ワカヒメを養育したことに
よるのでしょうか?
菟原稲荷大神
境内の鬼門(北東)を
守護するように
菟原稲荷(うはらいなり)大神
が祀られていました。
地主神を
祀っているのでしょうか?
菟原(うはら)というのは
このあたりの古い地名で
六甲山にはよく
兎が駆けていたからとか
「海原」が転じて
「莵原」になったと
いわれるそうです。
延喜式神名帳の
菟原(うばら)郡には
3社があり
そのうちのひとつが
大國主西神社
だといいます。
菟原郡には
芦屋市全域と
生田川より東の
神戸市中央区・
灘区・東灘区が
含まれていたといいます。
けれども、かつては
夙川の東あたりまでが
菟原郡だったとも
いわれるようで
そうすれば
西宮(にしのみや)神社が
延喜式の
大国主西神社だった
ともいえるようです。
だんじり祭
毎年5月4日・5日には
ダンジリ祭が行われるらしく
近隣地域の
山田
呉田
住之江
空
西
吉田
茶屋
反高林
という
8地区それぞれの
8台の地車が
本住吉神社の車庫に
保管されているようです。
国道2号線
境内の目の前は
国道2号線であり
これはかつての
西国(さいごく)街道
山陽道(さんようどう)
でもあるようです。
京都から
九州までを結ぶ
古代の道のなごり
のようですね。
神功皇后が
創建した神社は
この街道の
ちかくにあります。
どうやら、この道は
縄文海進の時代の
波うち際にもあたるようで
かつては、ここも
浜辺や港だったのかもしれません。
所在地
〒658-0053
兵庫県神戸市東灘区住吉宮町7丁目1−2
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