六甲山神社
六甲山(ろっこうさん)の
頂上ちかくに
六甲山(むこやま)神社
があります。
こちらは、以前にも
ご紹介した神社ですので
こちらもあわせて
ご覧いただけたらと思います。
菊理媛命
ご祭神は
菊理媛命(きくりひめ)
だといいます。
ホツマツタヱでは
天照大神の伯母にあたり
父神・イサナギの姉
だといいます。
生まれたての
天照大神がつぶやいた言葉を
「聞き切った」とこから
キクキリヒメ
と称えられたようですね。
また、そこから
菊桐(きくきり)や
菊栗(きくくり)祝い
にも通じたようで
菊の別名である
ココやココナシにかえて
ココリヒメ
とも称えられたようです。
もともとは、北陸の
白山(はくさん)あたりに
所縁があることから
シラヤマヒメ
といわれていたようです。
いまでは、
菊理媛命とかいて
きくりひめ
くくりひめ
というようですが
ホツマツタヱには
この呼び方はない
というのも面白いところです。
比較的よく
知られている女神さま
なのですが
古事記には登場せず
日本書記では1度しか
登場しません。
そのシーンとは
天照大神の父・
イサナギが黄泉の国から
逃げ帰ってきて
天照大神の母・
イサナミと黄泉平坂にて
言い合いをしたさい
菊理媛神亦有白事
日本書紀
伊奘諾尊聞而善之乃散去矣
菊理媛神が 申すことがあった イサナギは聞いて これを善しとしたので この場を去られた
とあるだけのようです。
これを、菊理媛が
ふたりの仲を取り持った
とすることから
縁結びの神とも
いわれるようですね。
けれども、このとき
何を言ったのか
どう納得したのか
も書かれていないので
どこかしっくりときません。
このかたも、
隠された女神さまのひとり
としたいところです。
白山信仰
そんな
菊理媛命ですが
奈良時代の修験者・
泰澄(たいちょう)が
白山を修行場として
開いたさいに
感得したといわれ
白山権現(はくさんごんげん)
といわれたり
十一面観音(じゅういちめんかんのん)
と習合されたようです。
こうした
白山を祀る信仰を
白山(はくさん)信仰
といいまして
白山の修験者によって
全国に広まったようです。
このおかげで
菊理媛の神徳が
いまに残ったようですね。
六甲山神社にも
白山信仰がはいってきて
祭神は菊理媛命
となったようです。
ですから、
六甲山神社は別名を
白山の宮
ともいうようです。
廣田大神
とはいうものの
六甲山はかつて
廣田神社の社領
であり
六甲山神社も
廣田神社の末社
であることから
かつては
廣田(ひろた)大神
[六甲山大権現]
が祀られていたようです。
これは、
廣田神社の祭神である
向津媛命(むかつひめ)
のことであり
ホツマツタヱでいうところの
天照大神の后・
瀬織津姫(せおりつひめ)
のことのようです。
六甲山は
瀬織津姫ゆかりの地
といわれますから
本来の祭神は
このかただったのでしょう。
石の宝殿
本殿は
石の宝殿とよばれる
石造りの社です。
こちらは江戸時代に
越木岩(こしきいわ)神社の
氏子さんから奉納されたそうです。
豊徳大神
拝殿正面の鳥居から出て
白川明神の石碑前を
まっすぐ歩いていくと
豊徳大神(ほうとくおおかみ)
という磐座があります。
こちらは
東西に2座わかれている
ようですね。
穴が開いているほうが
陰石(いんせき)で
日の当たっているほうが
陽石(ようせき)でしょうか?
ここは
古代祭祀場跡
ともいわれるようです。
山頂近くですから
空気も澄んでいて
とても気持ちのよいところです。
所在地
〒651-1423
兵庫県西宮市山口町船坂
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