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北近江めぐり6 彦根

彦根城の碑・琵琶湖八景 月明 彦根の古城滋賀

彦根

北近江にきたのだから
彦根城(ひこねじょう)
を観ようとおもい

街をぶらりと歩いていると
こんな看板を見つけましました。

旧彦根町の由緒

「彦根」という名前にも
神さまが関係しているようです。

活津日子根命

天照大神とスサノヲの
『誓約(うけい)』
によって生まれた

五男三女(ごなんさんじょ)
の御子のひとり

活津日子根命(いきつひこね)
が祀られたことから

この地を
『彦根(ひこね)』
というようになったそうです。

誓約

誓約(うけい)とは
古代の占いのことであり

はじめにある条件を決めて
その結果によって
正否を問うのだそうです。

ここでは、スサノヲが
「清い心ならば男児が生まれ
 悪い心ならば女児が生まれる」

というような誓約をおこない

男児を産んで疑いを晴らした
という流れのようです。

ちなみに、
古事記・日本書紀の
もとになったといわれる
『ホツマツタヱ』では

5男3女はすべて
天照大神と側室の御子

となっていますから

活津日子根(イクツヒコネ)の
「日子」とは

「日」=天照大神の
「子」=御子


ということでしょう。

彦根城

彦根市の
ランドマークにもなっている
国宝・彦根城です。

彦根城の碑・琵琶湖八景 月明 彦根の古城

標高50メートルほどの
彦根山(ひこねやま)に
築かれたことから

彦根城(ひこねじょう)
といったようですね。

この彦根山に
活津日子根命(いつくひこね)
が祀られていたようです。

また、彦根山は
金亀山(こんきやま)
ともいうため

彦根城には
金亀城(こんきじょう)
の別名もあるといいます。

彦根城のお堀

井伊直正

江戸時代には
彦根藩の政庁がおかれ

初代藩主は
井伊直正(いいなおまさ)
だったようです。

井伊直正といえば
徳川四天王のひとりとか
徳川三傑のひとりといわれ

徳川氏の基礎固めに
貢献したかた
のようです。

井伊直政像
彦根駅前にある井伊直正像

ただ、直正公は当初
石田三成(いしだみつなり)
居城であった

佐和山城(さわやまじょう)
入城していたといいます。

そしてそのまま
関ヶ原の戦いの傷がもとで
なったそうです。

その翌年から
彦根城の築城がはじまり

井伊直正の長男・
井伊直継(いいなおつぐ)
が入城したようです。

以来、
井伊氏14代の居城
だったようですね。

彦根城とひこにゃんのパネル

マスコットキャラクターの
ひこにゃんは不在でしたが、
パネルは置いてありました。

この、ひこにゃんも
井伊氏ゆかりの姿だといいます。

彦根城からの景色

彦根城からは
伊吹山(いぶきやま)
もみえました。

彦根城からの景色

琵琶湖(びわこ)
もすぐ近くですね。

彦根城の下屋敷・玄宮園

下屋敷にあたる
玄宮園(げんきゅうえん)
たいへん美しいものでした。

千代神社

彦根城をあとにして
城下町を散策していると

千代(ちよ)神社
に行き当たりました。

千代神社の鳥居

かつては
千代の宮(ちよのみや)
ともいわれていて

多賀(たが)大社
末社だったそうです。

彦根藩主・井伊家の
崇敬も厚かったようですね。

創建は、第8代・
孝元(こうげん)天皇の皇女・
倭迹迹姫(ヤマトトトヒメ)
降誕にはじまるといいます。

千代神社の由緒1
千代神社の由緒2

もともとは、
佐和山(さわやま)のあたりに
祀られていたそうですが

石田三成が
佐和山城を築くさいに

彦根山のふもとに
遷されたようですね。

天宇受賣命

ご祭神は
天宇受賣命(あめのうずめ)
だそうです。

天岩戸(あめのいわと)こもった
天照大神を誘いだすさいに
裸で踊ったといわれる女神です。

芸能の神様、
俳優(わざおき)の神様として
信仰されているようです。

また、その夫にあたる
猿田彦(サルタヒコ)
も祀られていました。

こちらは
道案内の神様といわれます。

目は真っ赤であり
巨大な鼻をもつことから

天狗(てんぐ)とも
混同されているようですね。

この方々についても、いずれ
くわしくみてゆきたいと思います。

大師寺

千代神社を出て
駅まで向かう途中に

大師寺(だいしじ)
がありました。

大師寺の表門
大師寺の手水

閉門ぎりぎりに訪ねてしまったようで
すっかり私服に着替えた住職さんと
すこしお話しすることができました。

寝弘法さん

大師寺には
寝弘法(ねこうぼう)さん
といわれる

弘法大師・空海さまの
寝仏像が安置されていまして

撫でるとご利益がある
といわれているようです。

また空海さまに出会ったのかと
驚きましたが

よくよく話を聴いてみると
ちょっと違いました。

こちらのお寺は
とある尼さんが開いたそうですが

そのかたがとても
スピリチュアルな方だったらしく

寝ている間にご神託を得ることで
有名だったそうです。

このかたが
92歳で往生したので

御遺徳を偲んで
寝仏像を作ることになったのですが

お寺という場所で
女性像をベタベタ触るわけにもいかない
ということになり、

そのお姿だけ
弘法大師となったそうです。

大師寺の寝弘法さん

なんという興味深い話でしょう。

ありがたく撫でさせていただきました。

彦根縁起

彦根駅まえには
井伊直正像ととにも

彦根縁起(ひこねえんぎ)
という碑もたっていました。

これを読むだけで
ざっくりと彦根の歴史を
知ることができてしまいます。

彦根縁起

なんてありがたい石碑でしょう。

その街の空気にふれてから
その土地の歴史を知ることで

より楽しく、より親しみをもって
学ぶことができているのかもしれません。

北近江めぐり7 へ つづく

 
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