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葛城めぐり2 鴨都波神社

鴨都波神社の社碑奈良

鴨都波神社

奈良県の御所駅から
南へ500メートルほどゆくと

鴨都波(かもつば)神社
があります。

こちらは、
古代の有力氏族である

カモ(鴨・賀茂・加茂)氏
発祥の地とされるようです。

鴨都波神社の社碑

鴨都波遺跡

神社の周辺からは
鴨都波(かもつば)遺跡という

弥生時代の遺跡がみつかっていて

古代においては
一大勢力地であったようです。

葛城川

大和葛城山(やまとかつらぎさん)
からながれる
柳田川(やなぎだがわ)

金剛山(こんごうさん)
からはじまる
葛城川(かつらぎがわ)

合流地点にあたるようです。

鴨都波神社の参道と石橋

葛城川は北上して
大和川(やまとがわ)
に合流すると

やがて
大阪湾(おおさかわん)
にそそぎます。

河川を
古代の交通網と考えるなら

葛城川が流れているのも
この地が栄えた理由でしょう。

創建

創建は、第10代・
崇神(すじん)天皇の時代
だといいますから

西暦にあわせるならば
紀元前100年ごろ
でしょうか?

大賀茂都美命[大鴨積
(おおかもつみ)によって
祭祀がはじめられたといいます。

このかたは
カモ(鴨・賀茂・加茂)氏の始祖
ともいわれるようです。

鴨都波神社の鳥居と扁額

大賀茂都美命

出雲(いずも)の
大国主命(おおくにぬし)より

11代子孫にあたる
太田田根子命(おおたたねこ)

さらに孫にあたるのが
大賀茂都美命(おおかもつみ)
だといいます。

出雲の大国主命といえば
天照大神の弟・ソサノヲ(素戔嗚尊)
の子にあたりますから

カモの一族とは
ソサノヲ(素戔嗚尊)の血統
であるようです。

また、
大田田根子命(おおたたねこ)
といえば

奈良県桜井市の
大神(おおみわ)神社
祭祀をになったといいます。

ですから、
鴨都波神社は「大神神社の別宮」
ともいわれるようです。

鴨都波神社の参道

そして、
大田田根子命といえば

『ホツマツタヱ』の後半を
編纂したかたでもあります。

オオカモ

ホツマツタヱには
こんな記述があります。

      きみきこしめし
たたねこか まこくらまろお
いわひぬし なもおおかもと
かもやしろ さらにつくらせ

ホツマツタヱ 37アヤ

第11代・
垂仁(すいにん)天皇は

京都のカモの宮が
荒廃しているときいて

オオタタネコの孫にあたる
クラマロを斎主として

名まえも
『オオカモ』と改めると

カモの社を
あらたに造営した。

京都には
賀茂別雷(かもわけいかつち)神社
賀茂御祖(かもみおや)神社

がありますが

このふたつの社を
造りなおしたことから

オオカモ(大賀茂・大鴨)
の称え名を賜ったようですね。

どうやら、
諱(いみな・本名)は
クラマロというようですね。

鴨都波神社の扁額

鴨君

もしかすると
この功績によって

大賀茂都美(大鴨積)の領地にも
社が建てられたのかもしれません。

伝承によれば
鴨都波神社を建てたことから

鴨君(かものきみ)
という姓を賜ったともいうようです。

鴨都波神社の神籬

上下(かも)

京都の賀茂神社は

賀茂別雷神社を
上賀茂(かみがも)社

賀茂御祖神社を
下鴨(しもがも)社

ともいうようです。

これは
「上(かみ)」と
「下(しも)」で

上下(かも・賀茂)
にかかっているようです。

葛城でもおなじく

鴨都波神社は
下鴨(しもがも)社

高鴨(たかかも)神社は
上鴨(かみがも)社

葛城御歳(かつらぎみとし)神社は
中鴨(なかがも)社

というようですね。

地祇系

カモ氏にはおおきくわけて
3つの系統があるといいます。

京都の
賀茂神社に奉斎した
『天神(てんじん)系』

奈良の
大鴨積命を始祖として
鴨都波神社に奉斎した
『地祇(ちぎ)系』

岡山の
児島(こじま)郡を本拠とする
『備前鴨(びぜんかも)氏』

だそうです。

鴨都波神社は
地祇系カモ氏発祥の地
といえるようですね。

積波八重事代主命

鴨都波神社の祭神は

積羽八重事代主命
(つみはやえことしろぬし)


といいいます。

鴨都波神社のご由緒

このかたは、
鴨氏の祖神だそうです。

事代主命(ことしろぬし)は
もともと鴨氏に祀られていた神
といわれるらしく

鴨都波神社が
事代主信仰の本源である
ともいうようです。

いわゆる
事代主(えびす)信仰の地
ということでしょうか?

コトシロヌシ

古事記・日本書紀では

出雲の大国主命の御子を
事代主命(ことしろぬし)
といいまして

父・大国主命に
国譲りを勧めるとそのまま
なくなった(かくれた)
とされているようですね。

しかし、
ホツマツタヱでは

事代主命以降も代々
血は受け継がれていて

朝廷につかえる
重要な氏族となったようです。

そもそも、
ホツマツタヱでは

コトシロヌシ(事代主)
とは役職名であり

オオモノヌシ(大物主)
という官房長官のような
役職をささえる
副大臣のことをいうようです。

ツミハ

オホナムチ(大己貴命)[大国主命]
ひ孫にあたり

2代目・コトシロヌシ
に就任したかたの名を

ツミハといいます。

このかたが
鴨都波神社で祀られている

積羽(つみは)八重事代主命
のようです。

ざまな活躍をみせる
とてもすぐれた官人なのですが
もっとも興味深いのは

初代・
神武(じんむ)天皇の后・

タタライスズヒメ
(媛蹈鞴五十鈴媛)


の父親であるということです。

天照大神の血をついだ
神武天皇と

ソサノヲの血をついだ
タタライスズヒメが

結ばれたということで
これによって

「天皇」という
あらたな世がはじまってゆきます。

鴨都波神社の八坂神社の由緒

ヱミスカミ

ひめたたら ゐそすすひめは
くにのいろ あわみやにます
これよけん すへらぎゑみて
きさきとす ことしろぬしお
ゑみすかみ 

ホツマツタヱ 29アヤ

『タタライソススヒメは
この国でもっとも美しいかたで
いまはアワ宮にいらっしゃいます。
このかたを后にされるとよいでしょう』

という大臣のすすめるままに
ヒメと顔をあわせると

神武天皇はひとめみるなり
笑顔(ゑみ)となって
ヒメを后にむかえました。

そうして、后の父・
ツミハ八重事代主には

ヱミス神』
の称え名をあたえました。

『笑み』というのは
ホツマツタヱにおいて
とても重要な言葉です。

とくに、
オオモノヌシ・コトシロヌシ
の一族というのは

「笑み」によって
ひとびとを治めてきた


とってもいえますから

ひとびとに
笑顔をはこんだ神
ということで

ヱミスカミ
といわれたのでしょう。

ヱミス神がやがて
エビス神といわれて

げんざいの
事代主(えびす)信仰
につながっているようです。

下照姫命

祭神としては、ほかに
下照姫命(したてるひめ)
も祀られています。

この神名は
シタテルオクラヒメ
のことともとれますが

エビス信仰の本源
というのであれば

天照大神の姉・
ワカヒメ(ヒルコ)
のことかもしれません。

このかたも、
ヱミス顔にゆかりがあり

兵庫の
西宮(にしのみや)神社では

蛭子(えびす)大神
として祀られています。

「蛭子」は、ワカヒメの本名(諱)
「ひるこ」からきているようです。

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