引っ越し作業中

葛城めぐり6 大倉姫神社

大倉姫神社の社号碑奈良

大倉姫神社

奈良県御所(ごせ)市の
古瀬(こせ)と
戸毛(とうげ)には

それぞれ
大倉姫(おおくらひめ)神社
があります。

曽我川

高鴨(たかがも)神社
巨勢(こせ)山の
西をながれる
葛城川(かつらぎがわ)
の河辺にありましたが

大倉姫神社は
巨勢山の
東をながれる
曽我川(そががわ)
の河辺にあります。

曽我川は
巨勢山を水源として

奈良盆地をうるおし
大和川へつながるようです。

巨勢氏

御所(ごせ)
巨勢(こせ)
古瀬(こせ)
という地名のように

このあたりは、古代氏族・
巨勢(こせ)氏の本拠地
だったといいます。

葛城氏とおなじく
武内宿祢(たけうちのすくね)
の子孫とされる氏族だそうです。

2つの大倉姫神社の
ちょうど真ん中あたりには

巨勢氏の氏寺とされる
巨勢寺(こせでら)
があったようです。

古瀬にある
大倉姫神社のほうが
本社であるらしく

戸毛にある
大倉姫神社は御霊をうつした
分社とされるようです。

雲櫛社

平安時代中期にまとめられた
延喜式(えんぎしき)という法典の
神名帳(じんみょうちょう)には

大和国[奈良]の
葛上(かつじょう)郡にある
17座のひとつに

大倉比賣神社【一名雲櫛社。】

延喜式 卷第九 神祇九 神名帳上

とありますから

大倉姫神社はかつて
雲櫛(くもくし・うんぐし)社
といわれていたようです。

これがなまって
宇久比須(うぐいす)宮
ともいわれたそうです。

ただ、この地は
『古瀬 字 鶯谷』
というようですから

鴬谷(うぐいすだに)
という地名がさきだった
のかもしれません。

大倉姫命

祭神は
大倉姫命(おほくらひめ)
だといいます。

古事記・日本書紀には
登場しない謎の神さまです。

ただ、
先代旧事本紀(せんだいくじほんき)には

先取坐宗像都嶋神田心姫命生一男一女
兒味鉏高彦根神
坐倭國葛上郡高鴨神云捨篠社
妹下照姫命
坐倭國葛上郡雲櫛社

先代旧事本紀 巻第四 地神本紀

とありまして、


大己貴命(おほなむち・大国主命)は
田心姫命をめとって
一男一女をもうけた。

兄・アチスキタカヒコネは
大和国葛上郡で
高鴨神として祀られている

この社は
捨篠(すてしの)社という。

妹・下照姫命は
大和国葛上郡の
雲櫛(くもくし)社で祀られている

と読めることから
雲櫛社に祀られるのは
下照姫命であるとして

大倉姫命=下照姫命
とされるようです。

大倉姫神社の社号碑
御所市戸毛の大倉姫命神社の社号碑

オクラヒメ

ホツマツタヱでいうと
アチスキタカヒコネの妻となった
オクラヒメのことだそうです。

アチスキタカヒコネの
親友であり、妹婿であった

アメワカヒコ(天若日子、天稚彦)
が亡くなったさい

弔問におとずれた先で
出会ったのが

アメワカヒコの妹・
オクラヒメだったといいます。

アチスキタカヒコネの相関図
相関図

故人に間違えられて激怒する
アチスキタカヒコネを

オクラヒメは歌を詠って
しずめたようです。

歌の見事さに見惚れた
アチスキタカヒコネは
すぐさま歌を返して

おふたりは結ばれる
ことになったようですね。

結婚後はおそらく
葛城の地にうつりすんで
ともに暮らしたのでしょう。

その名残が、葛城の
高鴨神社ではないでしょうか?

また、オクラヒメは
天照大神の姉・ワカヒメから
歌の指南をうけて
歌の奥義を伝授されたといいます。

クモクシフミ

わかうたの くもくしふみは
おくらひめ さつけてなおも
したてると

ホツマツタヱ 9アヤ
「
天照大神の姉・ワカヒメは
じぶんの歌のすべてが記された

クモクシフミという文書を
オクラヒメにさずけると

名もあたえて
シタテルヒメ
としました
」

シタテルヒメ
という称え名はもともと
ワカヒメの尊称でした。

ワカヒメは
天照大神の世継ぎ御子を
養育したことから

子を「したてた」ということで
「シタテル」ヒメとなったようです。

この尊称を継いだのが
オクラヒメだったようですね。

歌を「したてる」のが
上手かったのでしょうか?

そして、この
クモクシフミの「クモクシ」が

大倉姫命(下照姫命)が祀られる
雲櫛社の「雲櫛」なのでしょう。

ですから、もしかすると
クモクシフミが納められた社
だったのかもしれません。

大川神社

ですが、
大倉姫神社がある場所は

夫・アチスキタカヒコネが祀られる
高鴨神社からはすこし離れています。

どうやら、いまある
大倉姫神社はもともとは
別の神社だったらしく

延喜式にのこる
「大倉比賣神社」の地だろうと
比定されているにすぎない
ようですね。

では、
ほかに大倉姫神社の
候補地はないのかというと

「神光寺高鴨神社記」
にはこうあるといいます。

南佐味村 大川大倉ト云、雲櫛ト云

「神光寺高鴨神社記」

高鴨神社のちかくの
南佐味(みなみさび)には

大川杉という巨木があり
大川神社が祀られている
といいます。

どうやら、そこが
大倉姫命を祀る雲櫛社だと
考えられるようですね。

ここであれば、
風の森峠や葛城川をはさんで
高鴨神社と向かいあっている
ようにみえます。

大倉姫命の神社

ほかには、

奈良・吉野(よしの)にある
大蔵(おおくら)神社

奈良・長谷寺(はせでら)ちかくの
與喜天満(よきてんまん)神社にある
鍋倉(なべくら)神社

などで祀られているようです。

いずれこの地も
訪ねてみたいです。

アユミテルメ

オクラヒメ(シタテルヒメ)の
別名としてはほかに

アユミテルメ
というお名前もあるようです。

この「ユミテル」から
「シタテル」をたまわった
ともいえそうですね。

出自としては、
兄・アメワカヒコとおなじく

岐阜県の
南宮(なんぐう)大社
で祀られている

カナヤマヒコ(金山彦命)
の孫であり

アマクニタマ(天津国玉神)
の子であるようです。

南宮大社のちかくには
アメワカヒコの墓ともいわれる
喪山古墳があるといいます。

さて、つぎの記事では
オクラヒメの歌とは
どのようなものだったのか
詳しくみてゆきます。

葛城めぐり7 へ つづく


☆葛城めぐり全記事リスト☆

コメント

タイトルとURLをコピーしました