ひなぶり
古事記・日本書紀によれば
アメワカヒコの葬儀のさいに
アチスキタカヒコネ
が交わした歌は
ヒナブリ(夷曲・夷振)
といわれたらしく
歌舞や大歌のひとつとして
雅楽寮にも残っていたといいます。
オクラヒメ
古事記では、
アチスキタカヒコネの妹・
タカヒメが歌い
日本書記では、
アチスキタカヒコネの妹・
下照姫命(したてるひめ)が歌った
とあるようです。
それぞれ、
相関図がことなっていて
より難解になっています。
ホツマツタヱでは
被葬者アメワカヒコの妹・
シタテルオクラヒメ(下照姫命・大倉姫命)
が歌ったとあり
この歌がきっかけで
アチスキタカヒコネと
シタテルオクラヒメは
結ばれます。
こうしてふたりが
仲睦まじく結ばれたことから
これ以降、結ばれるさいは
男女で歌を交わすことを
「ヒナブリ」といったようです。
婚姻前に歌のやり取りをして
相手の内面を知るてだてとした
のかもしれませんね。
オクラヒメは歌の名手であり
和歌の始祖・ワカヒメから
歌の奥義をたくされたといいます。
ワカヒメもおなじく
歌によって夫をえたことも
関係しているのでしょう。
あめなるや
そんな、和歌の神・
ワカヒメをもうならせる
オクラヒメの歌というのが
こちらです。
あめなるや おとたなばたの
ホツマツタヱ 10アヤ
うながせる たまのみすまる
みすまるの あなたまはやみ
たにふたわ たらずあちすき
たかひこねぞや
ここには、
何重もの意味が掛けられているので
さまざまな解釈ができます。
とれだけ訳しても
抜ける部分もあるでしょうか
ぼくなりに解釈してみますと
「 天上の世界へとのぼった 義弟のアメワカヒコの弔いに はるばる訪ねてくださった あなたの御心には とても感謝いたします。 けれども、その 素晴らしい御心を病まれて この場に遺恨をのこしても よいものでしょうか? それは、(虫害によって) 3田(みた)のうち 2田(ふた)分の収穫を うしなうこととなったさい 獣の肉を食べることを許して 民の命をちぢめたあなたの父・ オホナムチ(大己貴命)と おなじこととなりますよ。 「アチスキ」とは 「アチ(巴鴨)」を食べるという お名前ではないでしょう。 オホナムチは熟慮して ワカヒメの祓い歌をさずかり 歌によって田畑が よみがえったのを お忘れですか? そうして、あなたの妹・ タカテルヒメ(高照姫命)は わたし(下照姫命)とともに ワカヒメに仕えたではありませんか? 朝廷がつむいできた歴史や治政は 機織りにもたとえられて 法の経糸(たていと)と 人の緯糸(よこいと)で 布(は・天下)を敷いています。 その、皇統の治政をたすけ 治政がとどかぬ谷(闇)にまで 法をひろげてひとびとを 満たす(足らす・渡す)のが 「アチスキ(彼方まで敷く・たすける)」 というお名前でしょう。 タカヒコネというお名前も 天照大神の父・イサナギの諱 タカヒトからきていて 病みを救うことから 多賀(たが)の神といわれます。 あなたの祖父・ソサノヲも ひとびとを助け外敵からまもる 大臣として尽くしました。 あなたの刃は朝廷ではなく ひとびとを助けるために もちいるのが あなたの名にふさわしい 行いではないでしょうか? 」
おそらく、このように
やりこめられたのでしょう。
また、
「みすまる」とは
「昴(すばる・プレアデス星団)」
のことだけではなくで
天井の世界にひろがる星々を
原初神・アメミオヤ[北極星]
八皇子・トホカミエヒタメ[北斗七星]
にたとえていて
「フトマニ」という
ヲシテ文献に残される魔法陣
ことをいっているのでしょう。
こうした、
「星(玉・音)」の輪を
「糸」でむすぶためには
「穴」を通さなくてはいけない
その穴を通して
世に治政をひろめてゆくのが
あなたの役目ですとも
いっているようです。
アルヤツヅウタ
この歌は、全体で
55音のツヅウタ(続き歌)
になっています。
こうした歌のさいは
最初の音と
真ん中の音と
最後の音の
3文字をぬきとって
歌の真意をしめす
という、歌詠みの
ルールがあるようです。
そこでもういちど
歌をみてみると
「ア」めなるや おとたなばたの
ホツマツタヱ 10アヤ
うながせる たまのみすまる
みすま「ル」の あなたまはやみ
たにふたわ たらずあちすき
たかひこねぞ「ヤ」
最初の音の「ア」と
真ん中の音の「ル」と
最期の音の「ヤ」で
「アルヤ」となります。
これは、
「あるやなしや?」
と問う言葉で
「そうではありませんか?」
と諭しているといいます。
ですから、この歌は
アルヤツヅウタ
ともいわれるそうです。
あまさがる
オクラヒメの歌に諭され
冷静さを取り戻した
アチスキタカヒコネは
オクラヒメの歌に
すっかり惚れこんでしまい
返歌をしたといいます。
歌の名手といわれる
オクラヒメですが
ここは
アチスキタカヒコネも
巧みな歌で返します。
あまさがる ひなづめのいは
ホツマツタヱ 10アヤ
たたせとひ しかはかたふち
かたふちに あみはりわたし
めろよしに よしよりこねい
しかはかたふち
「 あなたのおっしゃる通りです。 わたしはわたしの名を さげてしまいました。 モモヒナギ・モモヒナミからつづく 婚姻関係というものは ただ個人間のものではなく 家族・血族を結ぶものです。 なくなった義弟・ アメワカヒコに間違われるほど 似ていることを喜びこそすれ 怒りにまかせて 喪屋を斬り壊すというのは 名折れ、形無しです。 これでは、 わが妹・タカテルヒメと 義弟・アメワカヒコの 関係まで壊れてしまうでしょう。 そこで、 わたしから提案があります。 この関係をとりもどし よりつよい絆とするために いま結ばれている このひとすじの血縁関係を ふたすじとして編(あみ)こめば 壊れた関係を回復して さらに深い絆を 築くことができます。 それは、 朝廷と出雲とのあいだに よこたわる深い溝(谷)に 妹・タカテルヒメと 義弟・アメワカヒコが 綱を通したように こんどは、 私・アチスキタカヒコネと あなた・オクラヒメが 結ばれれば 綱ではなく 網(あみ)となり 谷を渡すための 架け橋となるでしょう。 そうして、 わたしたち血縁の めぐりをよくすることを わたしはこいねがっています。 でなければ、わたしの 「タカ」という称え名も 反転して落ちてゆき 「カタ(片)」においやられ わたしたち一族も 「フチ(淵)」へと 追い込まれてしまうでしょう。 」
というようなことが
歌われているようですね。
怒りに任せたとはいえ
アチスキタカヒコネの暮らす
出雲の地というのは
朝廷から目をつけられていて
不穏な空気がながれていました。
公式の場での揉め事は
国の政治や民にまで
影響をあたえかねない時期であり
アチスキタカヒコネの立場は
追いこまれていたといえるでしょう。
そして、この窮地を救えるのは
あなただけですと
みずからの危機までも詠みこんで
オクラヒメに求愛しているようですね。
この婚姻関係はまさに
「アミ(網・編)」と
いえるのではないでしょうか?
アチチツヅウタ
こちらも、
55音のツヅウタですから
最初の音と
真ん中の音と
最後の音の
3文字を抜き出してみますと
「ア」まさがる ひなづめのいは
ホツマツタヱ 10アヤ
たたせとひ しかはかたふち
かたふ「チ」に あみはりわたし
めろよしに よしよりこねい
しかはかたふ「チ」
「ア」「チ」「チ」となります。
「アチチ」とは
「天(あ)父(ちち)」であり
天照大神の父・イサナギ
のことでもあり、諱・
「タカヒト」をいっているのでしょう。
病みをたすける
タガ(多賀)の神にあやかって
「タカヒコネ」という
名をもつからには
「タカ」をおとして(逆にして)
「カタ」なしにするわけには
いかなかったのでしょう。
またこれは、
すべての御祖である
アメミオヤ(天御祖神)の
につかえるという意味や
アチスキタカヒコネの
一族(出雲)の父である
ソサノヲの思いを受けつぎ
朝廷をたすける存在となります
という告白をしているのでしょう。
もちろん、ここには
「アチスキ」の名の
「アチ」も掛けられた
返歌になっていまして
「アチ(スキ)」は
「チ」血統にしたがい治める
という意味もあるようです。
このように、
見事な歌のやりとりが
交わされていたようです。
ひな
原初神・アメミオヤから
天照大神以前の世代へつづく
7代のかみがみを
アメナナヨ(天神七代)
というのですが
4代目にあたる
ウビチニ・スヒヂ
の代ではじめて
男女の別がわかれて
夫婦神になったといわれます。
おそらく、この世代で
新たな法整備がおこなわれて
群婚の状態から
一夫一婦制がとられたのでしょう。
ですから、
スビチニ・スヒヂは
はじめて婚姻をおこなった神
ともいわれていて
このときの儀式が
のちの世にも受け継がれます。
ウビチニ・スヒヂは幼名を
モモヒナギ・モモヒナミ
といいまして
桃(もも)の木に
由来するようです。
「ヒナ」というのは
このおふたりからきていて
「ひな祭り」「ひな人形」も
ここからきているといいます。
つまり、
「ひな」というのは
「男女の仲が睦まじいこと」であり
「ひなぶり」というのは
「モモヒナギ・モモヒナギのように
男女の仲が睦まじいこと」
でもあるのでしょう。
けれども、このおふたりは
天照大神以前の世代まで
さかのぼることから
「ひなびた」というと
「ふるめかしい」とか
「田舎めいた」という意味
にもなるようですね。
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