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龍田めぐり1 龍田大社

龍田大社の拝殿奈良

龍田大社

奈良県の
生駒郡三郷町には

龍田(たつた)大社
があります。

龍田大社の鳥居

「龍」の字は、
ただしくは最後の3画を

横棒3本の「三」ではなく
「テ」のように書くようです。

こうすることで
「りゅう」ではなく
「たつ」と読ませるそうです。

(龍田大社HPの右上バナー参照ください)

風神 龍田大社 公式ホームページ | 奈良県三郷町
龍田大社,奈良,三郷町,風鎮祭,風鎮大祭

朝廷から
特別の奉幣をうけた
二十二社(にじゅうにしゃ)
のひとつであり

上7社・中7社・下7社のうち
中7社に属しているといいます。

歴史的にみても
とても重要な神社のようです。

龍田大社の参道

風の神

ご祭神は

天御柱大神(あめのみはしらのおおかみ)
国御柱大神(くにのみはしらのおおかみ)


だといいます。

古事記・日本書紀には
登場しない神ですが

平安時代にまとめられた
延喜式(えんぎしき)
のなかにある

龍田風神祭
(たつたのかぜのかみのまつり)
という祝詞によると

第10代・
崇神(すじん)天皇
の世に
疫病がつづいたため

崇神天皇みずからが
祈念したところ

夢の告げによって
教え諭した神だといいます。

天下乃公民乃作作物乎
悪風荒水尓相都都不成傷波
我御名者
天乃御柱乃命
國乃御柱乃命止
(中略)
龍田能立野乃小野尓
吾宮波定奉氐

『延喜式』卷第八 祝詞 「龍田風神祭」
天下のひとびとが
作った作物が

悪しき風や
荒れた水にみまわれて

傷んでしまい
実らなくなるのなら

わが御名は
天乃御柱乃命と
國乃御柱乃命といい

(中略)

龍田の立野の小野に
わが宮を定めて
祀りなさい

龍田大社では
これを由緒として
主祭神をさだめ

創建は
崇神天皇の時代にあたる
2100年前としているようです。

龍田大社の狛犬

ただし、この祝詞は
勅使が神社にやってきて

御柱神を祀るよう
伝えている内容なので

御柱神が祀られる以前から
龍田神社は存在していた
ともとれるようです。

龍田大社の狛犬

また、日本書紀には
第40代・
天武(てんむ)天皇


4年(西暦675年)
4月10日の条に

祠風神于龍田立野
(中略)
祭大忌神於廣瀬河曲

日本書紀 天渟中原瀛眞人天皇 下 天武天皇
風神(かぜのかみ)を
龍田の立野に祀らせ

(中略)

大忌神(おおいみのかみ)を
廣瀬の河曲に祀らせた

とあり、以後はたびたび
龍田大社と広瀬大社にて
祭をおこなったといいます。

天武天皇の時代に
風の神が祀られたことから

天御柱大神と
国御柱大神は
別名として

志那都比古神(しなつひこ)
志那都比売神(しなつひめ)


という
風の夫婦神の名が
つけられている
ようです。

龍田大社の拝殿
左右の柱にそれぞれ、右巻き左巻きのしめ縄がある拝殿

秋の女神

龍田大社の本殿前には
摂社として

龍田比古命(たつたひこ)
龍田比売命(たつたひめ)


が祀られています。

龍田大社の本殿
写真左(鳥居の奥)にならぶ2つの社が摂社・
龍田比古命社と龍田比売命社

おそらく
第10代・崇神天皇の
天御柱命・國御柱命や

第40代・天武天皇の
風の神が祀られる以前から

龍田神社に
もともと祀られていた神

なのでしょう。

なかでも
龍田比売命(竜田姫)は

日本の秋を司る
秋の女神
といわれているようです。

ほかにも、
四季を司る女神はいて

春の女神は
佐保姫(さほひめ)

夏の女神は
筒姫(つつひめ)

冬の女神は
宇津田姫(うつたひめ)

だといいます。

とくに、
平城京の西に祀られる
佐保姫とは

平城京の東に祀られる
竜田姫とともに

東西・春秋の一対の神
とされるようですね。

これは
陰陽五行説による考え方で

「東西南北」を
「春秋夏冬」に
対応させているようです。

方位石
神紋も八方位にかかわる『八重の楓』

龍田の地は
紅葉(楓)の名所
でもあるらしく

秋のイメージと
結びつきやすかった
のかもしれません。

ですから、竜田姫は
秋の季語でもあるといいます。

とはいうものの、
古事記・日本書紀をはじめ

正史には登場せず
神話伝承もない
ことから

竜田姫は
謎に包まれているようです。

高橋虫麻呂の和歌解説

タツタヒメ

ホツマツタヱでは
タツタヒメ(竜田姫)
が大活躍しています。

人物ではなく
自然神のような存在
であったらしく

火の災いを鎮める神
とされていたようです。

      やおとのかみは
ほのしづめ たつなみをさむ
たつたひめ おのおのみなお
たまはりて こよみおまもる
やまさかみなり

ホツマツタヱ 22アヤ
8番目は女神であり
火の災いを鎮める神で

立(たつ)波を
鎮めて治(た)す

タツタヒメ(竜田姫)
です。

8柱の神々は
それぞれ名をたまわって

「暦」を守護する
ヤマサカミ(八将神)
となりました。

ひとびとの
暮らしを守る8神である

ヤマサカミ(八将神)
の8番目だといいます。

      もしもほわざの
あらんとき たつためのかみ
あらはれは たとひほのほに
はたるとも たつたにしづめ
のぞくべし

ホツマツタヱ 22アヤ
もしも
火の災いがおこったとき

タツタの女神が
あらわれたならば

たとえ
炎が燃えあがるような
大惨事になっていても

立(たつ)炎を
治(た)すように

タツタの業によって
火を消しとめてしまい
災いをとり除いてくれます

こうした
ご神徳があることから

天照大神の孫の后となる
コノハナサクヤヒメ

疑いを晴らすために
室に火をつけてこもったときも

タツタの神があらわれて
火を消し止めたといいます。

また、第12代・
景行(けいこう)天皇の子・
ヤマトタケは

妃・オトタチハナヒメ
城ごと火にまかれたとき

タツタの神をよびよせて
火を消し止めたようです。

さらに、
天照大神の曾孫の后となる
トヨタマヒメ

タツタ神になぞらえて
称えられたようです。

おそらく、この
龍田の地はそんな

タツタヒメゆかりの地であり
タツタの神の故郷の地でもある

のかもしれません。

「たつた」は
立(たつ)波によって
火を治(た)すという
意味だけでなく

災いを断(たつ)て
治(た)すという意味や

最高点に至る
達足(たつた)という
意味もあるようですね。

龍田大社のキノコ

龍田山

龍田大社はもともと
2キロほど西にある

龍田山(たつたやま)
の頂上付近にあったようです。

遷座時期はよくわからない
といいますが

いまでも、そこには
本宮跡の碑などがあるようです。

龍田古道

龍田山を越えて
大和(奈良)と
河内(南大阪)を
結ぶルートは

龍田古道(たつたこどう)
といわれていて

飛鳥時代に整備された
官道だったといいます。

主要な山越えルートとして
使われていたようですね。

龍田大社の地は
見送りや出迎えの人がやってくる
送迎の地でもあったらしく

この地を起点として
国を発つことから

「発った(たつた)」
にも掛かっていたといいます。

龍田川

龍田川(たつたがわ)
というと現在は

生駒山から流れ
平群の地を南下して

斑鳩町の神南で
大和川(やまとがわ)
に合流する川のこと
をいうのですが

もともとは
大和川のうち

大和(奈良)と
河内(南大阪)を結ぶ

亀の瀬(かめのせ)
一帯のことを

龍田川(たつたがわ)
と呼んでいたようです。

小倉百人一首の
17番にもなっている
在原業平の和歌

千早ぶる 神代もきかず 龍田川
からくれなゐに 水くくるとは

『古今和歌集 四巻 秋上』

もまた、この地を詠んだ
秋の歌のようです。

境内社

本殿前の南側には
龍田比古命社・龍田比売命社
が祀られていますが

本殿前の北側には
天照大御神住吉大神社
枚岡大神春日大神社
高望王妃社
の3社がならんでいます。

高望王妃社が気になりますが
今回は割愛します。

ほかにも境内には
いくつか社があります。

龍田大社の由緒

白龍神社は
水が大好きな白蛇様が
いらっしゃるようです。

磐に水を
たくさんかけてくださいと
ご案内がありました。

白龍神社の磐

龍田恵美須神社さんは
西宮(にしのみや)神社の
勧請といいますから

ご祭神は
ワカヒメさまででしょうか。

三室稲荷神社は
土地神かもしくは
方位守護でしょうか?

龍田大社の下照神社

こちらは、
池のなかにある
下照神社です。

ご祭神は
大國主大神(おおくにぬし)と
祖神霊だそうです。

祖霊社にしては
弁財天を祀っていそうな
雰囲気がありまして

すごく由来が
気になるところです。

鳥居をくぐったときには
気がつきませんでしたが
小さな磐座もありました。

龍田大社の磐座

鳥居の扁額には
『龍田本宮』とあるのですが

これは、どうやら
法隆寺(ほうりゅうじ)の
近くにある分社

龍田神社と
区別するためのもので

法隆寺のほうの
龍田神社は『新宮』

龍田大社は『本宮』
というのだそうです。

さて、ここからは
龍田古道をたどって

本宮跡まで
行ってみたいと思います。

龍田大社の看板

所在地

〒636-0822
奈良県生駒郡
三郷町立野南1丁目29−1

龍田めぐり2

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