山の辺の道
日本最古の古道といわれる
山の辺の道(やまのべのみち)にある
元伊勢(もといせ)の
檜原(ひばら)神社から
さらに北へとのぼってゆきます。
纏向遺跡
纏向遺跡(まきむくいせき)は
邪馬台国(やまたいこく)があった地とか
前方後円墳発祥の地と
いわれているようですね。
![纏向遺跡の案内看板](https://navihico.com/wp-content/uploads/2022/10/makimuku-ruins-img3.jpg)
どうやらここは、
第11代・
垂仁(すいにん)天皇や
第12代・
景行(けいこう)天皇の
暮らした宮があった地
ともいわれるようです。
![巻向遺跡の日代宮跡の案内看板](https://navihico.com/wp-content/uploads/2022/10/makimuku-ruins-img1.jpg)
こちらの案内看板には、おわりのほうに
「ホツマツタヱ」について
しっかりと書かれています!
ホツマツタヱ
![纏向遺跡のホツマツタヱの説明](https://navihico.com/wp-content/uploads/2022/10/makimuku-ruins-img2.jpg)
つい先日[2018年6月当時]、
「ホツマツタヱ」を知ったばかりで
ぼくはとても驚きました。
ホツマツタヱとは
古事記や日本書記のもとになった
といわれる歴史書で、
「ヲシテ文字」という
古代文字によって
五七調で書かれた叙事詩
だそうです。
読み解き方によって
さまざまな解釈もできるため
暗号文のようでもあるといいます。
ホツマツタヱを編纂したといわれる
オオタタネコ(大直禰子命)は
大神(おおみわ)神社でも祀られていました。
ほんとうに興味は尽きません。
相撲神社
![相撲神社の案内看板](https://navihico.com/wp-content/uploads/2022/10/sumo-shrine-img2-768x1024.jpg)
大相撲が大好きなぼくとしては
訪れておきたい神社さんです。
相撲の祖といわれる
野見宿禰命(のみのすくね)が
祀られているといいます。
![相撲神社の案内看板](https://navihico.com/wp-content/uploads/2022/10/sumo-shrine-img3.jpg)
全国の
天満宮や天神社で祀られる
菅原道真(すがわらみちざね)の
ご先祖にあたるかたのようですね。
大兵主神社
![大兵主神社の社号碑](https://navihico.com/wp-content/uploads/2022/10/daihyouzu-shrine-img2-768x1024.jpg)
歴史の古い、
重要な神社であるようです。
謎がおおい神社
ともいわれているようですね。
語られない裏の歴史が
残っている場所のような気がします。
![大兵主神社の案内看板](https://navihico.com/wp-content/uploads/2022/10/daihyouzu-shrine-img1.jpg)
衣食住の神様を
祀っているそうです。
一説には、中国の水神・武神でもある
「兵主神(ひょうすのかみ)」から
きているといわれるようです。
「ひょうすべ」という
妖怪の由来にもなっているそうです。
こうした謎をたどるとき
ホツマツタヱにゆきつくようですね。
ホツマツタヱには、
「兵主神(つはものぬし)」について
くわしく載っているといいます。
景行天皇陵
ヤマトタケ(日本武尊)の父にあたる
第12代・景行(けいこう)天皇
の眠る前方後円墳です。
天皇や皇族の古墳は、
陵(みささぎ)・御陵(ごりょう)
というようですね。
![景行天皇山邊道上陵](https://navihico.com/wp-content/uploads/2022/10/Mausoleum-of-Emperor-Keiko.jpg)
神社めぐりと平行して、
陵めぐりもはじめています。
とくに歴代天皇の御陵は
宮内庁管轄となって
立入禁止となるようですね。
どちらの陵も、とても静かで
平穏な時間が流れます。
崇神天皇陵
第10代・崇神(すじん)天皇が
眠るといわれている前方後円墳です。
![崇神天皇山邊道勾岡上陵](https://navihico.com/wp-content/uploads/2022/10/Mausoleum-of-Emperor-Sujin.jpg)
神話(歴史)については
諸説あるらしく
歴代天皇についても
2代~9代までは記述もすくないため
欠史八代(けっしはちだい)
などともいわれていて
実在の可能性が低い
とされてるのだそうです。
第10代・崇神天皇からは
記述もおおく残っているため
実在した可能性が高い最初の天皇
といわれているようです。
濠が高く、水位も高いので、どこか
天空都市のような不思議な感覚になりました。
黒塚古墳
![黒塚古墳の案内看板](https://navihico.com/wp-content/uploads/2022/10/Kurozuka-Burial-Mound.jpg)
黒塚(くろつか)古墳です。
三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)
が出土した古墳として知られるようです。
崇神天皇陵から
ほど近くにあります。
公園として整備されていまして
古墳上部まで登ることもできます。
さて、ここからは
山の辺の道をあとにして
JR柳本駅にむかい
そのまま、こんどは
橿原神宮へ向かいました!
橿原神宮
![橿原神宮の鳥居](https://navihico.com/wp-content/uploads/2022/10/Kashihara-Shrine-torii.jpg)
橿原神宮(かしはらじんぐう)は
初代天皇・
神武(じんむ)天皇
神武天皇の皇后・
媛蹈韛五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)
を祀る神社です。
![橿原神宮の案内看板](https://navihico.com/wp-content/uploads/2022/10/Kashihara-Shrine-Explanatory-text.jpg)
神話に魅入られているいま
初代天皇陛下にお会いしたかったのです。
神武天皇陵
![神武天皇畝傍山東北陵](https://navihico.com/wp-content/uploads/2022/10/Mausoleum-of-Emperor-jimmu-img2.jpg)
橿原神宮のちかくに
神武天皇の陵もあります。
ここもまた、すごく広くて
とても静かで穏やかな場所でした。
![神武天皇御陵の碑](https://navihico.com/wp-content/uploads/2022/10/Mausoleum-of-Emperor-jimmu-img1-768x1024.jpg)
綏靖天皇陵
第2代・天皇の
綏靖(すいぜい)天皇が
眠るといわれる地です。
![綏靖天皇桃花鳥田丘上陵](https://navihico.com/wp-content/uploads/2022/10/Mausoleum-of-Emperor-Suizei.jpg)
まとめ
大神神社の参拝から
三輪山の登拝、そして
山の辺の道を
崇神天皇陵までたどったあと
橿原神宮へむかい
初代・神武天皇を参拝するという
長い距離を一日で歩いたのですが
これも三輪大明神のご神徳なのか
とても楽しい道中となりました。
なにより、
奈良の大自然とともに
散策できたのが嬉しかったです。
大神神社と山の辺の道 ~終~
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