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尾張めぐり1 能褒野

能褒野墓三重

能褒野

能褒野(のぼの)
とは日本神話のなかでも
よく知られている

日本武尊(やまとたける)
がなくなった地
だといわれます。

第12代・
景行(けいこう)天皇
嫡男であり

次の世を担う
はずだったかたですが

日本中をめぐって
まつろわぬものたちを
平定してゆくなかで

手傷を負ってしまい
この地に眠ったといいます。

能褒野墓の看板

ヤマトタケ

古事記では
『倭建命』

日本書紀では
『日本武尊』

と表記されており
「やまとたける」
と読むのが一般的ですが

ホツマツタヱでは
ヲシテ文字をもって

『ヤマトタケ』
と表記されています。

なんだか語感として
歯切れが悪いように
感じるかもしれませんが

古事記・日本書紀においても
「たける」には
蛮族の意味もあることから

「建」や「武」は
「たけ」と読むのではないか

という研究もあるようです。

慣れてくれば
「ヤマトタケ」というほうが
しっくりしてきます。

伊吹山

朝廷のために
地方平定に尽力した
ようなのですが

さいごは、滋賀の
伊吹山(いぶきやま)
に向かったところ

気吹戸主神(いぶきどぬし)
の返り討ちにあい
致命傷を負ったようです。

なんとか、
大和の朝廷へ帰ろう
とする道すがら

ついに
果ててしまったのが

伊勢(いせ)国の
能褒野(のぼの)だった
といいます。

能褒野墓の石段

能褒野墓

ヤマトタケが眠るのは
三重県亀山市にある

能褒野王塚古墳
(のぼのおおつかこふん)

だといわれています。

能褒野墓

とても静かで、穏やかで
気の鎮まる美しい場所でした。

ただ、ここは
明治時代になって

ヤマトタケの古墳だと
治定された場所ですから

あくまで、
比定地のひとつ
のようですね。

他にも近隣にある
白鳥塚、武備塚、双児塚が
候補地になっているようです。

白鳥陵

古事記・日本書紀では
ヤマトタケはなくなったあと
白鳥となって空に舞い上がり

大和国の
琴弾原(ことひきはら)や

河内国の
旧市邑(ふるいちむら)に
舞い降りたといわれ

これら3つの地も
ヤマトタケの墓所として

白鳥陵(しらとりりょう)
と名づけられたようです。

大阪の
羽曳野(はびきの)市
という名まえも

白鳥となったヤマトタケが
この地に舞い降りたのち

飛び去ってゆくさまが
羽をひくようだったから

という伝説に
由来するといいます。

ホツマツタヱでも
ヤマトタケのオモムロ(御躯)は
「シライトリ」になったとあり

「白い鳥・白い霊鳥」と
訳されるようですが

ここには、何かほかにも
深い意味が隠れていそうです。

能褒野神社

能褒野王塚古墳には
能褒野(のぼの)神社
があります。

こちらは
能褒野墓の治定によって
創建された神社ですから

明治時代にできた
比較的新しい神社ですね。

能褒野神社の鳥居

ただし、そのさい
周辺にあった古社も
合祀されたといいます。

主祭神は
日本武尊(やまとたける)
なのですが

配祀神としては

小天宮に祀られていた
弟橘姫命(おとたちばなひめ)

県主神社に祀られていた
建貝児王(たけかいこのみこ)

をはじめ
30柱もの神々が
祀られているようです。

能褒野墓の本殿

弟橘姫命

弟橘姫命(おとたちばなひめ)
はヤマトタケの妃のひとりです。

東征に同行したさい
ヤマトタケの航路を守るべく

荒れ狂う海に身を投げて
海を鎮めたといわれます。

能褒野神社のある
亀山(かめやま)の地は

弟橘姫命が
養育された地といわれ

弟橘姫命ゆかりの
忍山(おしやま)神社
6キロ南西にあたり

ヤマトタケの最期は
弟橘姫命の御霊が
抱きとめたのか
という気もしてきます。

建貝児王

建貝児王[武卵王]
(たけかいこのみこ)

はヤマトタケの子だといいます。

母親は
大吉備建比売(おおきびたけひめ)
だそうです。

なぜここに
祀られているのかというと
このあたり一帯は

建貝児王が
伊勢之別(いせのわけ)
として赴任した

英多(あがた)郷
にあたるらしく

延喜式にものこる
縣主(あがたぬし)神社
に祀られていたといいます。

父のなくなった地に
赴任したというのも
胸があつくなる話ですね。

また、ほかにも
讃岐綾君(さぬきのあやのきみ)
などの役職も賜ったらしく

讃岐国の
阿野(あや)郡には

建貝児王による
悪魚退治伝承もある
といいます。

「たけかいこ」という名から
「蚕(かいこ)」に由来するのでは
という話もあるようですね。

那久志里神社

ほかにも、おおくの
神社が合祀されているようです。

なかでも、石碑にのこる
那久志里(なくしり)神社
が気になりました。

那久志里神社の碑

「なくし」里とは
意味深に感じてしまいます。

那久志里神社は
能褒野神社の
200メートル南東にあった
といわれるようです。

祭神は
「水神」であり

一説には
瀬織津姫(せおりつひめ)
ともいわれるようです。

能褒野神社の水神の碑

ほかにも、石碑として
「山神」もいらっしゃいました。

能褒野神社の山神

三重

尾張めぐりといいながら
はじまりは三重県でした。

ヤマトタケの
終焉(おわり)の地ということで
どうかご容赦くださいませ。

三重という県名も
傷ついたヤマトタケが

身体を三重に折りまげながら
ずるずると移動したことに
由来するそうです。

所在地

能褒野神社
〒519-0213
三重県亀山市田村町1409

尾張めぐり2

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