引っ越し作業中

北近江めぐり7 イブキドヌシ

伊吹山山頂のイブキドヌシの像滋賀

イブキドヌシ

伊吹山(いぶきやま)には
イブキドヌシ(氣吹戸主神)がいて

ヤマトタケ(日本武尊)
返り討ちにしたといいます。

イブキドヌシといえば
日本最大の祝詞といわれる
大祓詞(おおはらえのことば)
にも登場する神さまです。

ご神徳も、とりわけ
優れているようですね。

けれども、実際に
この地をめぐって感じたのは
ソサノヲ(素戔嗚尊・須佐之男命)
の息吹のようなものでした。

ソサノヲの痕跡

伊吹山の山頂から
ふもとに遷座したという
伊夫岐(いぶき)神社には

伊富岐大神(イブキドヌシ)
のほかに

素戔嗚尊(ソサノヲ)
も祀られているといいます。

また、
伊夫岐神社のあたりには
出雲のかたがたが
移住していた
らしく

「出雲井(いづもい)」
という遺構もあるようです。

伊夫岐神社の案内看板

さらに、伊吹山や金糞岳では
製鉄をおこなっていたようです。

もちろん、
多賀大社(たがたいしゃ)
に祀られる

イサナギ・イサナミの両神は
天照大神の親ですから

天照大神の弟・
ソサノヲの親でもあります。

多賀大社の由緒

「彦根(ひこね)」という地名も
天照大神とスサノオがおこなった
誓約によって生まれた御子

活津日子根命(いきつひこね)
が祀られたことにはじまるといいます。

旧彦根町の由緒

さらに、彦根の
大師寺(だいしじ)
手水にはなぜか

九頭竜(くずりゅう)像
がありました。

大師寺の手水

これらはいったい、
何を示しているのでしょうか?

ホツマツタヱの世界

古事記・日本書紀の
もとになったともいわれる
ホツマツタヱによれば

イブキドヌシとは、
ツキヨミ(月読尊)の子だそうです。

天照大神・ツキヨミ・ソサノヲは
兄弟ですから

イブキドヌシは、
ソサノヲの甥っ子にあたります。

さらに、
ホツマツタヱの世界では

ヤマトタケ(日本武尊)とは
ソサノヲが転生した姿


だというのです。

そして、ヤマトタケが
イブキドヌシの返り討ちにあい

その傷がもとで
なくなったという事件が

ホツマツタヱが編纂される
きっかけになった
ようなのです。

ソサノヲ

この流れを
ひもとくためにまず

ホツマツタヱからみた
ソサノヲの生い立ちに
せまってみたいとおもいます。

出生

ホツマツタヱでは、
「スサノオ」ではなく
「ソサノヲ」というようです。

『ソサ』というのは、当時の
紀州あたりの呼び名であり

ソサの地で生まれた男」から
ソサノヲ」といったようですね。

イサナミが月経のさいに
交わって生まれた子ともいわれ

血の穢れが降りたために
ソサノヲは性格が
荒れてしまったようです。

青年期

ソサノヲは田を荒らして
ひとびとの食料を欠いたそうです。

母・イサナミは責任を感じて
子・ソサノヲの罪を償うため

山焼きをして
農地開拓をおこなっていたところ

イサナミは火にまかれて
なくなったといいます。

じぶんのせいで
母を失ったということで

ソサノヲは、さらに
心が荒れていったようですね。

天岩戸

そんな
心の空白を埋めるためなのか

遠い親戚であり
兄・天照大神の側室である

モチコ・ハヤコ姉妹
相談をしていたようですね。

ところが、これも
不祥事(スキャンダル)と
とられてしまい

モチコ・ハヤコ姉妹は
失脚してしまいます。

激怒したソサノヲは
力をもって兄・天照大神に
詰めよったところ

兄・天照大神は岩室に
こもってしまったといいます。

ソサノヲは罪を問われて
権威権力をすべて剥奪され
流離刑を言い渡されたようです。

流離刑

食うにも寝るにも困る
苦しい放浪生活だったようです。

そんななか、ソサノヲは
父・イサナギの思いを継いで
根の国へと向かったようです。

そうして、流れながれて
サホコチタル(細戈千足国)
たどりついたといいます。

これはのちに、
出雲(いづも)となる国
のことですね。

ハタレの動乱

ソサノヲ放浪のあいだに
天照大神の朝廷を
動乱が襲っていたといいます。

反乱軍・
ハタレが蜂起して
大軍勢となって
せまっていたようです。

反乱軍には、朝廷を追われた
モチコ・ハヤコ姉妹も
参加していたといいます。

この姉妹をはじめ
堕落の道におちたひとびとは
オロチ(堕落霊)
ともいわれたようです。

ヤマタノオロチ

そんなハタレの一派で
8人の頭目がいた集団を
ヤマタノオロチ
いっていたようですね。

かれらは、奥出雲のあたりで
製鉄をおこなっていたようです。

そうして、
この地の村長の娘たちを
嫁に迎えていたといいます。

放浪の身であったソサノヲは
嫁に出されそうになっていた娘・
イナタヒメに一目惚れすると

ソサノヲみずからが
イナタヒメに化けて忍び込み

ヤマタノオロチらを
酒で酔わせてから
討ち倒したといいます。

ソサノヲは
製鉄によってつくられた
ムラクモの剣を得ると、

イナタヒメと結ばれて
子にも恵まれたようですね。

妻や子という
守るべきものを迎えて

ソサノヲにもおおきな
心境の変化があったようです。

皇軍・イブキドヌシ

ソサノヲが
朝廷を追われてから
8年が経ったころ

天照大神ら、皇軍はようやく
反乱軍を追い詰めたようです。

ハタレの首領を討つため
サホコチタル国に派遣されたのが
イブキドヌシです。

神馬にまたがり
猛々しくく進軍する
イブキドヌシのもとに

汚い身なりの男がひとり
飛び出してきます。

何者だ、と
激怒するイブキドヌシに

頭をあげたのは
流離いの身となった叔父・
ソサノヲでした。

ソサノヲは目に
大きな涙を浮かべながら

これまでの罪や後悔を
懺悔して許しを乞う

再起の機会をあたえて
皇軍に参加させてくれるよう
願い出たといいます。


かつての姿からは
想像もできない叔父の姿に

イブキドヌシは心をうたれると

ソサノヲの手をとり
ともに戦うことを誓ったのでした。

ハタレ討伐

ソサノヲの力を得て
奮起した皇軍はいよいよ

反乱軍・ハタレの一団を
根絶したといいます。

そのなかには、あの
モチコ・ハヤコ姉妹も
いたようです。

こうして、ようやく
乱れた世も治まって

朝廷でも
勝利を祝ったようですね。

兄・天照大神も
ソサノヲの武功をみとめると
政界復帰をゆるしたといいます。

ソサノヲはひとびとを
外敵から守るという役職・

ヤエガキ(八重垣)臣
就任したといいます。

そうして、以後は、
国のため尽力したそうです。

妻や子など
大切なものを守り育むため

ソサノヲは皇軍となり
反乱軍を斬ったようなのです。

伊吹山山頂のイブキドヌシの像
伊吹山山頂のイブキドヌシの猪像

ソサノヲの転生

ですから、甥・
イブキドヌシというのは

ソサノヲが
朝廷へともどる
糸口をひらいた恩人

というわけです。

そして、のちに
ソサノヲの御霊は

ヤマトタケ(日本武尊)
転生したというのです。

ヤマトタケ

「ヤマトタケル」ではなく
「ヤマトタケ」というのは

古代史の世界でも
通説になりつつあるといいます。

第12代・
景行(けいこう)天皇
の御子であり

景行天皇の
治政を実現するために

日本各地の反乱勢力を
平定していったといいます。

クサナギの剣

ヤマトタケが手にしていたのは
ムラクモの剣だったといいます。

これは、かつて
ソサノヲがヤマタノオロチから
勝ちとった剣であり

伊勢に保管されていたものを
斎宮である叔母・ヤマトヒメから
譲りうけたようですね。

反乱勢力からの
火ぜめにあったときには

ムラクモの剣で
「草を薙いで」
危機を逃れたといいます。

このとこから、ムラクモの剣あらため
クサナギの剣といったようです。

ミヤヅヒメ

日本を西へ東へと
駆け抜けてようやく

すべてを平定しおえた
ヤマトタケは

遠征の帰路で、愛知の妻・
ミヤヅヒメ(宮簀媛命)
をたずねたといいます。

けれども、そこでまた
伊吹山(いぶきやま)
荒ぶる神がいるという
話をききつけると

ヤマトタケはすぐさま
伊吹山に向かったといいます。

しかも、このとき
ヤマトタケはクサナギの剣を
妻のもとに置いていったそうです。

のちに、この剣は
妻・ミヤヅヒメに祀られて

熱田神宮(あつたじんぐう)
の御神体となったといいます。

伊吹山

伊吹山にやってきた
ヤマトタケのまえに

イフキドヌシは
大蛇の姿に化けて
あらわれたといいます。

ヤマトタケはこれは
神の使いにすぎないと思い

踏み越えてゆくという
失礼な行為をとったために

イブキドヌシは
「つらら」を降らせたといいます。

これが、
氷柱のようなものだったのか
呪いだったのかはわかりませんが

ヤマトタケはたちまち
高熱がでて足に重症をおった
ようですね。

そして、この傷がもととなって
ヤマトタケは都まで帰ろうとする
道半ばで力尽きたといいます。

ソサノヲの恩人であるイブキドヌシに
礼を欠いてしまったから
このようなことになったのでしょうか?

景行天皇

子・ヤマトタケの訃報を
父・景行(けいこう)天皇は
おおいに悲しんだようです。

そして、そんな
景行天皇の枕もとに
ソサノヲが現れたといいます。

ソサノヲは
かなしむ景行天皇にむかって

今一度、
天下のために働きたかった


と告げたようです。

そしてそれは、

ヤマトタケとして生きたことで
願いは叶った


というのでした。

景行天皇はここで、生前
ヤマトタケが言っていたことを
思い出します。

ひとはかみ かみはひとなり
なもほまれ みちたつのりの
かみはひと ひとすなほにて
ほづまゆく まことかみなり

ホツマツタヱ40アヤ

人は神である
神は人である

どんな名誉ある神でも
道をあやまり法をはずれれば
下民へと堕ちることになります

また、どのような人でも
素直な心にしたがって
ホツマの道をゆけば
真の神となるのです

ホツマツタヱ

景行天皇は
この言葉にしたがって

『ホツマツタヱ』
編纂させたのでしょう。

また、別の観方をすれば

「歴史」を知っていれば
死を避けられたかもしれない
子・ヤマトタケのために

「歴史書」を編纂させた
のかもしれません。

ホツマツタヱの後半
29アヤ~40アヤは

このときに、三輪(みわ)の
オオタタネコ(大田田根子命)
によって編纂されたようです。

そして、
多賀大社(たがたいしゃ・アワの宮)
に納められていた

1~28アヤまでの
前半とあわせて

全40アヤの
歴史書として完成
して

現在にまで
伝わっているようです。

ホツマツタヱ考

けれども、どうでしょう?

こうなると
ヤマトタケの死も必然だった
かのように思われてきます。

もし、ヤマトタケが
ムラクモの剣を持って
伊吹山に向かっていれば

イブキドヌシは
ソサノヲの生まれ変わりだと気づいて
ヤマトタケに敵意をみせなかった
かもしれません。

しかし、それでは、
ホツマツタヱは生まれなかった
ことでしょう。

そう考えると、

ソサノヲの御霊は
ヤマトタケとしてなくなることで

この国の未来を支える歴史書を
作るきっかけを与えた


ということになるのではないでしょうか?

ここには、そんな
壮大な転生の物語が
垣間見えるような気がします。

参照

北近江めぐり ~終~

 
 ☆北近江全記事リスト☆

コメント

タイトルとURLをコピーしました