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伊勢めぐり9 瀧原宮

瀧原宮の社号碑三重

瀧原宮

伊勢(いせ)の
皇大神宮(こうたいじんぐう・内宮)

別宮(べつぐう)・
瀧原宮(たきはらのみや)
へやってきました。

ここには、おなじく別宮・
瀧原竝宮 (たきはらならびのみや)
もならび祀られています。

内宮別宮

皇大神宮(こうたいじんぐう・内宮)の
別宮は10社あり

となっています。

今回の旅ではそのうち
8社をまわりました!

のこり2社の
荒祭宮と風日祈宮は
内宮の境内にあります。

遙宮

瀧原宮・瀧原竝宮は
神宮125社のなかでも

神宮から
もっとも遠いところにある

といわれるようですね。

伊雑宮とおなじく
遙宮(とおのみや)
ともいわれるようです。

おかげさまで、
すっかり日も暮れてしまい
あまり写真も撮れていません。

神社を尋ねるのなら
日中でなければ!という
学びをえた旅でもあります。

瀧原宮の空

伊勢路

豊受大神宮(とようけだいじんぐう・外宮)
の禊の川ともいわれる

宮川(みやがわ)
上流40キロほどにあたり

うっそうとした
山々に囲まれています。

ここは、
熊野三山への参詣道・
熊野古道(くまのこどう)
のひとつ

伊勢と熊野をむすぶ
伊勢路(いせじ)
の中腹でもありまして

紀伊半島のほうへ
抜けるために

宮川沿いルートから
大内山川(おおうちやまがわ)
沿いのルートへと
入ってゆく
分岐点でもあります。

伊勢の神宮と
熊野の花窟(はなのいわや)神社を
結んでいるのだとすると

皇祖・天照大神と
母神・イサナミを結ぶ道

ということかもしれませんね。

瀧原宮の由緒

祭神

瀧原宮も瀧原竝宮も
ご祭神はおなじく

天照坐皇大御神御魂
(あまてらしますすめおおみかみのみたま)

だといいます。

一説には
瀧原宮と瀧原竝宮の関係は
皇大神宮と荒祭宮の関係と
同じだと考えられていて

瀧原宮では
天照皇大御神の
和魂(にぎみたま)

瀧原竝宮では
天照皇大御神の
荒魂(あらみたま)
を祀るともいわれるようです。

だとすれば、
ホツマツタヱ的にみるならば

天照大神と天照大神の后・
瀬織津姫(せおりつひめ)
ともに祀られているのかもしれません。

瀧原宮は
内宮・外宮につづいて
宮域も広大だといいます。

神宮祭祀においても
重要なお宮といえるようです。

瀧原宮の看板

倭姫命世紀

伊勢神宮を創建した
倭姫命(やまとひめ)
について描かれた

倭姫命世紀
(やまとひめのみことせいき)には

滝原宮一座霊御形鏡坐水戸
 神名速秋津日子神是也
並宮一座遷御形鏡速秋津日子神速秋津比売神
 此二神因河海持別二生八柱

倭姫命世紀

とありまして

瀧原宮では
速秋津日子神(はやあきつひこ)

瀧原竝宮では
速秋津比売神(はやあきつひめ)
を祀るといいます。

速秋津比売神といえば
大祓詞(おおはらえのことば)
瀬織津姫のつぎに出てくる神ですが

ホツマツタヱによれば
天照大神の妃であり
瀬織津姫に次ぐ存在だったようです。

とはいえ、倭姫命世紀は
鎌倉時代に編さんされた
ともいわれているようですから

当時の伊勢神道による
恣意的な解釈もあるといいます。

瀧原宮の由緒漫画

真奈胡神

倭姫命世紀によれば
瀧原宮というのは

神宮創建以前に
天照大神の御霊を祀った

元伊勢(もといせ)
のひとつにあたるといいます。

祭祀の地を求めて
宮川をさかのぼっていたところ

砂の流れる速瀬に
差し掛かかったらしく

倭姫命一行が
難儀していると

この地の神である
真奈胡神(まなごのかみ)
があらわれて

みずからの船で
倭姫命一行を渡したといいます。

そこでその瀬を
真奈胡御瀬といい

御瀬社(みせのやしろ)
を祀ったようですね。

これが、
皇大神宮の摂社・
多岐原(たきはら)神社
だといいます。

瀧原宮の由緒漫画

さらに、そこから
美しき地に至ったので
真奈胡神にたずねると

『大河の滝原の国』
とこたえたので

荒草を刈り掃って
宮を築き

天照大神を祀った
といいます。

これが、
瀧原宮のはじまり
とされるようですね。

瀧原宮の由緒漫画

おそらく、真奈胡神とは
この地に暮らしていた
有力な一族のことであり

倭姫命の巡行によって
大和政権にくだったということ
なのかもしれませんね。

「荒草を刈り掃ひ」とは
そうした隠語なのでしょうか?

祝詞山

倭姫命は
滝原の地を一望できる
山頂までくると

そこに宮を築いて
祝詞を奏上したといいます。

そこで、その山を
祝詞山(のりとやま)
といったようですね。

瀧原宮の南には
標高554メートルの
祝詞山があり

山頂には
『天照大神御行宮之舊跡』
の石碑や磐座があるといいます。

瀧原宮の旧社地
といったところでしょうか。

御船倉

境内には、ほかに
所管社が3社ありまして

そのうち、若宮神社には
御船倉(みふなくら)
が併設されているといいます。

これは、
ご神体を収納する
御船代(みふねしろ)
納めるための倉らしく

瀧原宮のみに存在する
特異なもののようです。

倭姫命が
宮川をのぼってきた船
に由来するともいいますが

真奈胡神の渡し舟にも
関わるのかもしれません。

とても気になります。

瀧原宮の案内板

若宮神社

瀧原宮の境内には
所管社(しょかんしゃ)・
若宮(わかみや)神社
があります。

祭神は
若宮神(わかみやのかみ)
だといいます。

若宮といえば
子神のことですから

天照大神と瀬織津姫の御子
オシホミミ(天忍穂耳尊)
のことでしょうか?

もしくは、
天照大神と速秋津姫の御子
アマツヒコネ(天津彦根命)
のことでしょうか?

若宮神社の別名は
天若宮だそうです。

ほかには、
水神や水分神
ともいわれるようですね。

長由介神社

瀧原宮の境内には
おなじく所管社・
長由介(ながゆけ)神社
があります。

祭神は
長由介神(ながゆけのかみ)
だといいます。

ただ、これも
祭神名がわからないので
神社名を神名にしている
だけのような気もします。

一説には、
長由介(ながゆげ)は
止由気(とゆけ)とされて

止由気こと
豊受(とようけ)大神宮の祭神・
豊受大神を祀るのでは?
ともいうようです。

だとすると、
ホツマツタヱ的には
瀧原宮では

祖父・豊受大神
皇祖・天照大神
后・瀬織津姫
御子・天忍穂耳尊

が祀られている
となるのかもしれません。

川島神社

長由介神社には
おなじく所管社の
川島(かわしま)神社
もともに祀られています。

祭神は
川島神(かわしまのかみ)
だそうです。

宮川の上流一帯を
治める(シマとする)
氏族ということなら

川島神とは、地主神の
真奈胡神(まなごのかみ)
のことかもしれませんね。

ゼロ磁場

瀧原宮は
パワースポットとしても
よく知られているといいます。

というのも、ここが
中央構造線上おおくみられる

「ゼロ磁場」の地
だからだといいます。

地上の磁場がせめぎ合い
ゼロに近い状態で
釣り合っている場所
なんだそうです。

人間でいうところの
秘孔やツボにあたるらしく

気持ちが落ち着いたり
活気が満ちてきたり
不思議な体験があるといいます。

参道には
芳しい杉のにおいが
たちこめていました。

先日の台風で
参道の巨木がなぎ倒され

残された根株から
漂っているようでした。

ここにはとても
静謐な空気が漂っていました。

真っ暗で
写真もほとんどありませんが

だれもいない境内で
ゆっくり参拝できたのは
有難かったです。

所在地

皇大神宮別宮 瀧原宮
〒519-2703
三重県度会郡大紀町滝原872

伊勢めぐり10

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