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伊勢めぐり8 丹生大師

丹生神社の本殿三重

丹生大師

三重多気郡多気町丹生には
丹生大師(にうだいし)
といわれるお寺があります。

丹生大師の案内看板

正式名称は
丹生山 神宮寺 成就院
(にうさん じんぐうじ じょうじゅいん)

というそうです。

「神宮寺」というように
神仏習合の時代には
すぐとなりにある

丹生(にう)神社
の境内に建てられた
お寺のようですね。

丹生神社の鳥居

明治時代の神仏分離のあとも
神社と寺院の敷地をわけることで
残ってきたようですね。

女人高野

丹生「大師」というように
お大師さまこと
空海(くうかい)
ゆかりの寺だといいます。

空海が
真言宗(しんごんしゅう)
修行場としてしてひらいた

高野山(こうやさん)
は女人禁制だったようですが

ここ、丹生大師は
女性の参拝が許されたことから

女人高野(にょにんこうや)
ともいわれたようですね。

丹生都比売

空海は高野山をひらくとき
丹生都比売(にうつひめ)神社
のご祭神である

丹生都比売を感得して
高野山の地を譲ってもらった
といいます。

その後、
高野山をひらくにあたり

空海は伊勢参詣へと
旅立ったそうなのですが

その道中に、ここ
丹生神社に立ち寄ったところ

鳥居をくぐったところで
丹生都比売と再会した
といいます。

鳥居の下には
「丹生都比売 弘法大師 対面石」
がありました。

対面石の看板
対面石

丹生都比売さまに
丹生神社の神宮寺を
案内された空海は

ここが、兄弟子・
勤操(ごんぞう)大徳
開山した地だと知ったそうです。

そこで空海は、まずはこの地で
人々の苦悩を救おうと
お堂を建立されたといいます。

水銀の産地

丹生とは、
丹砂(たんしゃ・辰砂)こと
水銀の産出地のこと
だといいます。

丹生神社の創建は
523年(継体天皇16年)
だといいますが

丹砂の採掘は
縄文時代からすでに
行われていたらしく


丹砂を利用した
縄文土器が発掘されている
といいます。

犬の絵

また、
奈良時代には第45代・
聖武(しょうむ)天皇が

東大寺の大仏殿建立のさい
水銀の産出をこの地に祈ると

たちまち水銀が湧いた
という伝承もあるようです。

中世には、全国唯一の
同業者組合も存在したらしく

全国から
商人や鉱夫が集まったことから

「丹生千軒」と呼ばれるほど
栄えていたようですね。

水銀の産地として
1700年代まで
にぎわっていたようです。

奈良の吉野と
三重の松坂をむすぶ
和歌山街道沿いにあるので
交通の便も良かったのでしょう。

丹生神社

まずは、
丹生(にう)神社
からみてゆきます。

丹生神社の本殿

社殿も大きく
立派なたたずまいでした。

ご祭神は
埴山姫命(はにやまひめ)
水波賣命(みずはのめ)

だといいます。

水のような鉱物
水銀にかけて

土の神(埴山姫)と
水の神(水波賣)を
祀ったのでしょうか?

丹生神社の由緒

平安時代にまとめられた
延喜式の神名帳にものこる
式内社だといいます。

丹生中神社

また、境内には
丹生中(にゅうなか)神社
もありました。

丹生中神社の本殿

ご祭神は
金山彦命(かなやまひこ)
金山比女命(かなやまひめ)

という鉱山の神ですね。

神宝として
金山槌・金山樋などが
あるといいます。

こちらも、
延喜式にのこる
式内社のようですね。

丹生中神社の由緒

この方々を祀るのか
こんな磐座もありました。

男神の磐座
女神の磐座
山の神の磐座

やはり、鉱物や石を
大切にしているようですね。

とはいえ、丹生神社なのに
丹生都比売さまが祀られていない
というのはとても気になります。

神宮寺

つづいて、
神宮寺に入ってゆきます。

弁財天社
弁財天社

創建は
774年(宝亀7年)で

第49代・
光仁(こうにん)天皇の
勅願によって

秦氏の僧・
勤操(ごんそう)大徳が
開いたといいます。

神宮寺の案内看板

唐に留学していた空海は
真本密教をひろめる地をもとめて

三鈷(さんこ)という
仏具を投げたところ

海を越えて、この地へ
飛んできたといいます。

しかし、
力強く投げすぎたため

この地で跳ね返って
高野山の地に落ちたので

高野山を真言密教の
拠点と定めたようですね。

兄弟子の導きによるのか
三鈷の導きによるのか
丹生都比売の導きによるのか
わかりませんが

空海はこの地をとても
重要視していたようですね。

空海像

立派な空海さまの
銅像もありました。

胸元に這うミノムシが
とても可愛らしかったです。

大師堂と壺

こちらは、大師堂です。

御本尊は
「弘法大師像」で

空海42歳の
自画像だといいます。

古そうなお堂ですが
どこか愛おしくもあります。

88地蔵

傍らには
四国88か所霊場の

石仏88体が
ならんでいました。

丹生都姫神社

大師堂(神宮寺)の裏手を覗くと
丹塗りの鳥居が見えました。

案内板には
「丹生都姫神社」とありました。

丹生都姫神社の由緒

丹生都比売は
神宮寺の鎮守社として
祀られているようですね。

高野山の境内でも
丹生都比売神社が
鎮守社とされていますから
同じことかもしれません。

とはいえ、
丹生神社の神宮寺の鎮守社とは
なんだか頭がこんがらがってきます。

丹生都姫神社の参道

由緒によれば
丹生採掘をおこなった一族・
丹生(にう)氏の女神として
丹生都比売が祀られたといいます。

九州で興り
丹生を求めながら

瀬戸内・紀州・伊勢へと
ひろがっていったといいます。

こちらもまた、
すごく気になる一族です。

丹生都姫神社

丹生都姫神社です。

木々の根元に
小さな祠と磐座が
祀ってありました。

やや谷間に鎮座しているためか
女性的な印象があります。

地場のようなものが
満ちているようにも感じました。

神社とお寺に守られて
のびやかに鎮座しておられる
そんな豊かな場所でした。

愛宕大権現

ここから、さらに
丘の上まで登れそうな
小道がありました。

案内看板には
愛宕(あたご)大権現
とあります。

愛宕大権現の案内板

土肌がむきだしの
参道を登ってゆくと
丘の上に祠がありました。

愛宕大権現

丹生都姫神社さまとも
また違う雰囲気です。

愛宕というからには
火の神・カグツチ
を祀っているのでしょうか?

丹生神社の祭神と合わせれれば
「火・水・土」の神となり
「ひ・み・つ」とも読めそうです。

ホツマツタヱにものこる
「ヒミツの祓い」にも通じている
のかもしれませんね。

所在地

神宮寺 (丹生大師)
〒519-2211
三重県多気郡多気町丹生3997

伊勢めぐり9

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