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北近江めぐり4 伊吹山

伊吹山山頂の日本武尊の像滋賀

伊吹山

日本最古の歴史書である
古事記(こじき)
日本書紀(にほんしょき)にも
記述がのこっている

伊吹山(いぶきやま)
に登ってきました。

伊吹山の登山道

標高は滋賀県最高峰の
1377メートルであり

山域は全体が
琵琶湖国定公園に
指定されているといいます。

日本列島のほぼ中心にあたり
古代より日本の東と西をむすぶ
交通の要衝だったようです。

伊吹山の登山道

古代

ふもとには縄文時代から
ひとびとが住みついていたと
いわれるようです。

古事記・日本書紀には

第12代・
景行(けいこう)天皇の子・
ヤマトタケ(日本武尊)

この山にすむ
イブキドヌシ(気吹戸主神)
という神に戦いを挑んで

返り討ちにあった
という話が残るようです。

伊吹山と麓のまち

中世

飛鳥時代には
修験道の祖といわれる
役行者(えんのぎょうじゃ)

白山(はくさん)をひらいた
泰澄(たいちょう)も訪れたらしく

奈良時代には
山岳信仰の聖地としても
栄えたようです。

平安時代には
密教(みっきょう)ともむすびついて
修行の地にもなったようです。

伊吹山の風景

近代

昭和2年には、積雪量が
11・82メートルとなり

これは、現在でも
積雪量世界一位
記録しているといいます。

伊吹山の登山道

さまざまな歴史はあるものの
登っているあいだは

ただひたすらに
素晴らしい景色を堪能しました。

伊吹山と麓のまち

山頂

山頂で迎えられた
この御山の息吹のような風は

すべての迷いを吹き飛ばし
生きることそのものを肯定されるような
力強いものでした。

イブキドヌシ

伊吹山に棲むといわれる
吹戸主神(イブキドヌシ)

大祓詞(おおはらえのことば)
にも登場する霊験あらたかな神さまです。

伊吹山山頂のイブキドヌシの像
伊吹山山頂のイブキドヌシの像
古事記では猪、日本書紀では蛇の姿

伊吹山を平定しようとした
ヤマトタケ(日本武尊)

イブキドヌシの返り討ちにあい
その傷がもとで亡くなってしまいます。

猛々しい逸話ばかりの
ヤマトタケを

死に追いやるほどの力をもった
イブキドヌシが棲む
伊吹山ですから

ここは日本屈指の
パワースポットともいわれるようです。

伊吹山山頂の日本武尊の像

実際に登ってみると
その力やエネルギーのようなものを
ひしひしと感じることができました。

伊吹山と琵琶湖

多多美比古

遠くに
竹生島(ちくぶしま)
も見えています。

近江国風土記(おうみのくにふどき)
によれば

浅井岳(あざいたけ)の姫神と
伊吹山の男神が
高さくらべしたところ

一晩のうちに
浅井岳が頂上を高くしたので

怒った伊吹山の男神が
浅井岳の神の首を斬ったといいます。

伊吹山の一等三角点

伊吹山の男神は
多多美比古命(たたみひこ)
という鍛冶の神だそうです。

「伊吹」は「息吹」でもあり
「ふいご」のことかもしれません。

かつてここは製鉄・
「たたら」で栄えたといいます。

タタミヒコはもしかすると
タタラヒコだったのでしょうか?

製鉄民

浅井比売命(あざいひめ)
が暮らした浅井岳は

いまでは、
金糞岳(かなくそだけ・きんぷんだけ)
というそうです。

「金糞」というのは
製鉄の際に出てくる廃棄物

「金屎(かなくそ)」
由来するといいます。

浅井氏と伊吹氏

金糞岳(浅井岳)は

戦国大名の
浅井長政(あざいながまさ)など

浅井(あざい)氏の里
でもあるといいます。

ですから、
近江国風土記のはなしとは

伊吹氏と浅井氏による
勢力(
製鉄)争いがあった
ことを記したのかもしれません。

 
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