倭姫命の旧跡地
伊雑宮より
200メートルほど
北へゆくと
倭姫命の旧跡地
があるといいます。
こちらは
伊勢神宮(いせじんぐう)
伊雑宮(いざわのみや)
を創建したといわれる
倭姫命(やまとひめ)
の旧跡地とされるようです。
倭姫命
第11代・
垂仁(すいにん)天皇の娘
倭姫命(やまとひめ)は
叔母にあたる
豊鍬入姫命(とよすきいりひめ)
の後を継ぐと
天照大神の御霊を祀る
聖地を探して各地をめぐった
といいます。
こうして、
たどり着いたのが
現在の伊勢(いせ)
内宮(ないくう)の地
だといわれていて
それまで
一時的に祀られた地は
元伊勢(もといせ)
とされるようですね。
天照大神の御霊につかえる
神官(巫女)を
斎宮(さいぐう)や
斎皇女(いつきのみこ)
といいまして
豊鍬入姫命は
初代・斎宮
倭姫命は
二代目・斎宮
とされるようですね。
伊勢の地に定まったのちは
神宮祭祀や経営の礎を築いた
といいます。
また、
ヤマトタケ(日本武尊)とは
叔母・甥の関係にあり
草なぎの剣を渡したのも
倭姫命だそうです。
天井石
倭姫命の旧跡地とは
鏡楠(かがみくす)の根と
天井石(てんじょういし)
のことだそうです。
大正時代末期に
大楠の根本を掘ったところ
天井石があらわれて
その下から
室町時代のものとされる
白銅鏡2面や
勾玉などが
出土したらしく
地元では
倭姫命の遺跡ではないか?
とされたようです。
やはり、なんらかの
祭祀跡なのでしょうか?
千田の御池
鎌倉時代に
書かれたともいわれる
『倭姫命世紀(やまとひめのみことせいき)』
には
『
垂仁天皇27年
秋9月
鳥の声が高く聞こえて
昼夜やむことがなかったので
調べさせてたところ
嶋(志摩)国の
伊雑(いざわ)の方上の
葦原のなかに
稲が一基あり
末は千穂に実っていた
その稲を
白い真名鶴がくわえて回り
つついては鳴き
これを見顕す(発見する)と
鳥の鳴き声はやんだ。
倭姫命はこれをきいて
鳥すらも田を作って
天照大神に奉るのだといい
伊佐波登美神(いざわとみ)
に稲を抜かせて
天照大神の御前に奉った。
(中略)
この稲の生る地を
千田となづけた。
』
とあります。
この聖蹟である
千田の跡地とされるのが
天井石のとなりにある
千田の御池(ちだのみいけ)
です。
真名鶴が稲をつくった
聖地とされるようですね。
なぜだかこの池には
すごく惹かれるものがありました。
千田寺
かつて、ここには
千田の御池を祀る
千田寺(ちだじ)
があったといいます。
千田寺には
古来3つの鳥居があり
中央には
大己貴大神(おほなむち)
右には
少彦名大神(すくなひこな)
左には
久延彦大神(くえびこ)
が祀られていたそうです。
どうやら、
千田寺はもともと
杵築社(きづきのやしろ)
という神社であり
正式には
杵築宮御光大神宮
といったようですね。
出雲ゆかりの社が
この地にあったようです。
千田寺を創建したのは
聖徳太子(しょうとくたいし)
といわれていて
千田の御池に感嘆して
おおくの堂を築くと
山号を
「無量山」
寺名を
「千田寺」として
みずから
三歳の御姿を彫って
安置したようですね。
勅使門
さらに、後年
第41代・
持統(じとう)天皇は
この地に行幸して
勅賜門(ちょくしもん)
を築いたといいます。
元旦の朝から
7日間のみしか
門が開かないので
地元では
不開門(あかずのもん)
ともいわれたようです。
秋葉堂
千田の御池のとなりには
秋葉堂(あきばどう)
がありました。
なかには
秋葉(あきば)社と
庚申(こうしん)碑が
祀られていて
「秋葉さん」
「庚申さん」
などといわれるようです。
かつては、それぞれ
別の所に祀られていたようですね。
ご祭神は
天照大神の両親
イサナギ(伊弉諾尊)
イサナミ(伊弉冉尊)
だといいます。
また、
この地の豪族だった
伊佐波登美命(いざわとみ)
も祀られていました。
もしかすると
伊佐波登美命の住居があった?
のかもしれませんね。
ほかには、
風呂屋の谷(ふろやのたに)
もちかくにあるらしく
清水が湧いている
といいます。
伊雑宮に参るさいには
そこで身を清めたようです。
上之郷の石神
このあたりは
上之郷(かみのごう)
というようですね。
倭姫命世紀にある
伊雑の『方上』が
上之郷となったのでしょうか?
旧跡地の
西の方上につづく一帯を
かつては
神森(かみのもり)
といったらしく
ソサノヲ(素戔嗚尊)を
祀る宮があったといいます。
上之郷とは
神之郷のことであり
神の森には
ソサノヲの宮居や
天照大神の妃
モチコ・ハヤコの宮があった?
のかもしれませんね。
そんな、上之郷には
石神(いしがみ)
という磐座がありました。
雑木林のなかに、
ここだけぽっかりと、
巨石がならんでいます。
古代の祭祀場でしょうか?
倭姫命もここを
訪れたのでしょうか?
もしかするとここが
ソサノヲや
モチコ・ハヤコの旧跡地
でしょうか?
さまざまな思いがあふれる
素晴らしい場所でした。
所在地
倭姫命の旧跡地
〒517-0208 三重県志摩市磯部町上之郷441
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