月讀宮
伊勢(いせ)の
皇大神宮(こうたいじんぐう)
別宮(べつぐう)である
月讀宮(つきよみのみや)
です。
常用漢字をもちいて
月読宮(つきよみのみや)
ともいうようです。
別宮
伊勢神宮には
内宮(ないくう・皇大神宮)と
外宮(げくう・豊受大神宮)という
2つの
正宮(しょうぐう)がありますが
正宮につづいて
重要とされるお宮のことを
別宮(べつぐう)といい
内宮には
別宮が10社
外宮には
別宮が4社
合わせて
14社の別宮がある
といいます。
志摩・磯部の
伊雑宮(いざわのみや)も
内宮別宮にあたります。
月讀宮には
内宮の別宮10社のうち
4社があるようです。
東から順に
月讀荒御魂宮(つきよみのあらみたまのみや)
月讀宮(つきよみのみや)
伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)
伊佐奈弥宮(いざなみのみや)
がならんでいます。
祭神
ご祭神はそれぞれ
月読尊荒御魂(つきよみのあらみたま)
月讀尊(つきよみ)
伊弉諾尊(いざなぎ)
伊弉冉尊(いざなみ)
だといいます。
ツキヨミは
天照大神の弟にあたり
イサナギ・イサナミは
天照大神の両親にあたります
詳しくは、こちらの動画を
ご覧いただけたらとおもいます。
ツキヨミ
イサナギ・イサナミ
荒御魂
伊勢内宮の境内には
別宮として
荒祭宮(あらまつりのみや)
があり
天照大御神荒御魂
(あまてらすおおみかみのあらみたま)
が祀られています。
神さまの御霊のうち
荒々しく格別に顕著な
神威をあわらす御魂の働きを
荒御魂(あらみたま)
とたたえるそうです。
けれども、
一説によると荒祭宮には
天照大神の后・
瀬織津姫(せおりつひめ)が
祀られているともいうようです。
だとすれば、
月讀荒御魂宮では
ツキヨミの后を祀っている
のかもしれません。
イヨツヒメ
おとつきよみは
ホツマツタヱ 6アヤ
ひにつきて たみのまつりお
たすけしむ いよのふたなの
をさまらで つきよみやれは
いふきあけ とのみやにたす
『 天照大神の弟・ツキヨミは 日神・天照大神につきしたがい 民の政治を手伝っていました。 そんなとき イヨ(伊予)アワ(阿波)という フタナ(2つの名)をもつ国 [四国]が治まらなかったので ツキヨミを遣わせたところ 神の『初の一息』を思わせるように 息吹をあげて勢力的にはたらき ト(突)の宮を築いて 四国を治めることができました 』
つきよみのつま
ホツマツタヱ 6アヤ
いよつひめ うむもちたかは
いふきぬし
『 ツキヨミの妻となった イヨツヒメ(伊予津姫)は 諱(本名)・モチタカこと イフキヌシ(伊吹戸主神) を産みました 』
ホツマツタヱによれば
四国に派遣された
ツキヨミ(月読尊)は
伊予(愛媛)の
イヨツヒメ(伊予津姫)
をめとって
イフキヌシ(伊吹戸主神)
を産んだといいます。
愛媛
愛媛県の
伊予市上野にある
伊豫(いよ)神社では
月夜見尊(つきよみ)
愛比賣命(えひめ)
が祀られていて
伊予郡松前町にある
伊豫(いよ)神社では
愛比賣命(えひめ)
伊予津姫命(いよつひめ)
が祀られているといいます。
どうやら、
愛比賣命と伊予津姫命は
同神か同族のようです。
だとしたら、
『愛媛県』というのは
ツキヨミの妻の名からきている
のかもしれません。
男神と女神が
睦まじく祀られていると
どこか胸が熱くなります。
月夜見宮
外宮(豊受大神宮)の
別宮にも
月夜見宮(つきよみのみや)
があるようです。
月読尊と荒御魂を
1つの社でお祀りしている
のだそうです。
月讀宮と月夜見宮を
区別するために
月讀宮のほうは
「げつどくさん」
月夜見宮のほうは
「つきよみさん」
ともいわれるようです。
どうして
ツキヨミを祀る宮が
2つもあるのでしょう?
また、どうして
おなじく天照大神の弟・
ソサノヲ(素戔嗚尊)を
祀る別宮はないのでしょう?
暦
伊勢神宮によれば
ツキヨミというのは
月讀・月夜見とあるように
月の満ち欠けを教え
暦を司る神様だといいます。
そうして農作業の時期を
はかっていたそうです。
神宮といえば
日本の暦をつかさどる神社
といわれていますが
だとすれば、
暦はツキヨミの管轄ではく
神宮の祭神・
天照大神に関わる
のではないでしょうか?
ホツマツタヱにおいても
暦を司る職業は
ヒヨミ(日夜見・日読)
といわれています。
旧社地
創建時期は不明ですが
853年に洪水で流れてしまい
855年に現在地に祀られた
といいいます。
旧社地は、やや北の
久世戸坂下の二光の森
にあったというようです。
いまでも、
久世戸(くせど)町という
地名がのこっていて
久世戸坂があったようです。
月読荒御魂宮は
月読宮に付随する
小殿だったといいます。
現在のように整備されたのは
明治時代になってからのようです。
式内社
平安時代にまとめられた
延喜式(えんぎしき)の
神名帳(じんみょうちょう)
にのこる神社を
式内社(しきないしゃ)
といいますが
月讀宮と月讀荒御魂宮は
月讀宮二座
に比定されていて
伊佐奈岐宮と伊佐奈彌宮は
伊佐奈岐宮二座
に比定されているようです。
伊佐奈岐宮と伊佐奈彌宮は
『続日本紀』の
宝亀三年(772年)にも
記述がのこることから
すくなくとも
奈良時代にはあったと
されるようですね。
こちらも、
月讀宮とおなじときに
洪水でながされて
おなじときに
現在地に再建された
といいます。
旧社地まで
おなじだったのでしょうか?
葭原神社
月讀宮境内の東には
内宮(皇大神宮)の末社・
葭原(あしはら)神社
があります。
式内社・荻原神社
に比定されているといいます。
内宮末社16社のうち
第三位そうです。
祭神は
佐佐津比古命(ささつひこ)
宇加乃御玉御祖命(うかのみたまのみおや)
伊加利比売命(いかりひめ)
だといいます。
いずれも
五穀豊穣の神とされるようです。
境内地は
伊賀井の森(いがいのもり)
といわれるようです。
祭神
佐佐津比古命は
大歳神(おおとし)の御子
とされるようです。
ただし、
『皇太神宮儀式帳』にしか
記述のない神のようですね。
ササといえば
ホツマツタヱ用語のひとつ
でもありますから
お酒や言祝ぎに関わる
のかもしれませんね。
宇加乃御玉御祖命は
ウカノミタマの親であるなら
ウケモチ(保食神)
カダマロ(荷田神)
のことでしょうか?
伊加利比賣命は
京都・舞鶴に
伊加里姫(いかりひめ)神社
があるといいます。
また、
「イカリ」は
「イヒカリ」からきたとして
初代・神武天皇が東征のさい
吉野で出会ったという
井氷鹿(いひか・井光)のこと
とする説もあるようです。
創建
創建は不明ですが
倭姫命(やまとひめ)
によるといいます。
一説には、元伊勢の
佐々牟江宮(ささむえのみや)で
白夜真名鶴が
葦原のなかへはいり
八百穂に茂る稲を
咥えて鳴いていたので
そこに
八握穂神社を創建した
といわれているのですが
八握穂神社が荒廃して
再建されたのが
当社・葭原神社である
ともいうようですね。
ササツヒコと
ササムエノミヤや
葦原と
葭原の関係も
近いようですね。
もしかすると
ササツヒコ・イカリヒメも
夫婦神であり
神宮の御饌を担っていた
のかもしれませんね。
所在地
月讀宮
〒516-0028
三重県伊勢市中村町742−1
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