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京丹後めぐり10 比沼麻奈為神社

比沼麻奈為神社の鳥居と社号碑京都

比沼麻奈為神社

月の輪田(つきのわでん)から
南西に1キロほどゆくと

比沼麻奈為(ひぬまない)神社
があります。

この地に縁のある
豊受大神(とようけおおかみ)
を祀る神社です。

比沼麻奈為神社の鳥居と社号碑

久次岳

このあたりは神代の世に
豊受大神が稲作をはじめた地
といわれていて

その霊験から
奇霊(くしひ)
と呼ばれていたそうです。

それがやがて
久次比(くじひ)
とかわって

久次(ひさつぎ)
と呼ばれたといいます。

比沼麻奈為神社の鳥居と社号碑

比沼麻奈為神社から
西へ2キロほどゆくと

久次岳(ひさつぎだけ)
の山頂があります。

久次岳は
豊受大神降臨地
ともいわれ

比沼麻奈為神社の
ご神体山でもあるようです。

比沼麻奈為神社の砂山

久次岳の山頂には
真名井の水が湧いたことから

真名井岳(まないだけ)
ともいわれたようです。

ほかには
咋石嶽(くひしだけ)
石ヶ岳(いしがだけ)

などとも呼ばれたようです。

比沼麻奈為神社の紅葉

山のなかには
大饗石(おおみあえいし)

もしくは
應石(おういし)
といわれる磐座があり

豊受大神が天照大神へ
御饌物を捧げた
という
伝承もあるといいます。

比沼麻奈為神社の石碑

比治

このあたりは
比治(ひじ)
とも呼ばれていたようです。

南へ5キロほどゆくと
磯砂山(いさなごやま)
がありますが、

この山はかつて
比治山(ひじやま)
といわれており

天女伝説などがある
信仰の山だったといいます。

比沼麻奈為神社の鳥居

ですから
比沼麻奈為という社名も

もとは
比治真名井(ひぢのまない)
だったのではないか?
ともいわれているようです。

比治真名井といえば
外宮の元宮される社名です。

比沼麻奈為神社の参道

元伊勢

第21代・
雄略(ゆうりゃく)天皇
の時代には

丹後国の
「比治乃真奈井」から

豊受大神の御霊が
伊勢に呼び寄せられて

外宮の祭祀がはじまった
といわれています。

比沼麻奈為神社の由緒

豊受大神の御霊が
もともと鎮まっていた

「比治真奈井」というのは
「比沼麻奈為」神社のこと
とも考えられることから

元伊勢(もといせ)
ともいわれるようです。

ただし、
豊受大神の元伊勢は
ほかにも

福知山市にある
豊受大神社(とゆけだいじんじゃ)や

宮津市にある
籠(この)神社奥宮の
眞名井(まない)神社
ともいわれています。

比沼麻奈為神社の案内看板

豊受大神

ご由緒によれば
豊受大神は

この地で田畑を耕し
米・麦・豆等の五穀を作り

さらには蚕を飼って
衣食の糧となる技を始めた
といわれるようです。

こうしたことから
天照大神の食事を司る神
として

伊勢の地に呼び寄せられた
のでしょうか?

比沼麻奈為神社の鳥居

ところが、
古事記・日本書紀には
豊受大神について
ほとんど記述がありません。

また、そのうちの一節に
「トヨウケビメ」とあることから
豊受大神は女神とされています。

けれども、ここ
比沼麻奈為神社では

豊受大神が
男神として祀られている

ともいわれます。

比沼麻奈為神社の狛犬

ホツマツタヱでも
豊受大神は男神です。

天照大神の
母方の祖父にあたり

日本の精神文化の
礎を築いたかたです。

若き天照大神に
帝王教育をほどこしたことから

天照大神は
豊受大神をのことを
とても慕っていたようです。

比沼麻奈為神社の狛犬

ホツマツタヱでは
東北地方一帯のことを
ヒタカミ(日高見)
と呼んでいて

ヒタカミを治める一族の長を
タカミムスビ(高皇産霊神)
といっていました。

豊受大神は
5代目タカミムスビであり

ヒタカミの地に
暮らしていたのですが

6代目タカミムスビを
息子に譲ったあとは

ミヤヅ(宮津)に遷って
山陰地方を治めた
ようです。

そしてそのまま
ミヤヅの地に眠ったといいます。

比沼麻奈為神社は
豊受大神がなくなった地


もしくは、なくなった
豊受大神の御霊を祀る地
といわれています。

久次岳にある
大饗石という磐座は

豊受大神が最期にはいった
洞(ほら・祠)の跡であり
墓所とも考えられるようです。

比沼麻奈為神社の花

さらに
ホツマツタヱでは

豊受大神を慕っていた
天照大神も

最期はこの地にやってきて
豊受大神とともに眠った
とされています。

この地は
天照大神の聖地でも
あるようです。

豊受大神の墓所はほかにも
眞名井神社(籠神社の奥宮)
豊受大神社(元伊勢)

など諸説があります。

兵庫県の
六甲山(ろっこうさん)にある
六甲比命(ろっこうひめ)神社
の磐座には

天照大神の后である
瀬織津姫(せおりつひめ)
が眠っているとされていますが

その磐座はここ
比沼麻奈為神社のほうを
向いているともいわれます。

最期を悟った天照大神は
后の瀬織津姫に

わたしは
豊受大神とともに眠って
背(おとこ)の道を守ります

あなたは
ワカヒメとともに廣田の地で
妹(おんな)の道を守りなさい

と伝えたといいます。

こうした
男女の和合の在り方を

ホツマツタヱでは
妹背(ゐもせ)の道とか
伊勢(いせ)の道といって
とても大切にしてきました。

豊受大神と天照大神は
京丹後の地で
男の道を諭している
ようです。

社日塔

階段をのぼったさきに
拝殿と本殿があります。

比沼麻奈為神社の社殿

社殿のまわりには
玉砂利が敷かれていて
とても神秘的です。

本殿周辺の空気は
いかにも男神である
といった感じで

威厳がありつつも
穏やかに見守る父のような
雰囲気でした。

本殿の横には
五角形の塔がありました。

比沼麻奈為神社の社日塔
農業祖神・天照大神(あまてらす)
徐疫の神・少彦名命(すくなひこな)
土の祖神・埴安姫命(はにやすひめ)
五穀祖神・倉稲魂命(うかのみたま)
国土守護神・大己貴命(おほなむち)

とあるようです。

これは
社日塔(しゃじつとう)

もしくは
地神塔(ちじんとう)
というものだそうです。

春分や秋分にちかい
戌(つちのえ)の日を
社日といって

土地の神さまに
豊作を祈願したり
収穫を感謝したり
していたそうです。

大神社

神社から久次岳まで
つづく道でしょうか

獣避けのために
塞がれていました。

山道とフェンス

久次岳に登って
大饗石などの磐座や

真名井の水がわく
穂井の段(ほいのだん)

山頂にある
大神社(かうさ)[おおかみのもり]
参拝しようと思っていたのですが

近隣のかたに
道をたずねたところ

「熊が出るから、気をつけてね。
熊は、ひっかくから」

といわれたので
怖気づいてやめました。

比沼麻奈為神社の山道

早朝にいったところ
本殿では

宮司さんと
奥さんの巫女さまが

舞や謡を
奉納しておりました。

神域にひろがる声や
その美しさに
おもわず息を呑みました。

所在地

〒627-0054
京都府京丹後市峰山町久次661

京丹後めぐり11

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京丹後めぐり
京都の北にある丹後半島周辺をめぐります。

参考動画

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