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京丹後めぐり3 天橋立

特別名勝・天橋立の碑京都

天橋立

日本海に面した
京都の宮津湾には

日本三景のひとつ
天橋立(あまのはしだて)
があります。

天橋立の眺め
桜山からの眺め

宮津(みやづ)湾に
ながく伸びた砂洲(さす)
のことであり

西側に
内海(海跡湖・潟湖)を
きずいています。

京丹後のランドマーク
ともいえるようです。

天橋立の風景
天橋立の風景

日本三景

日本三景(にほんさんけい)
とは

江戸時代の儒学者・
林春斎(はやししゅんさい)が

全国を行脚してまとめた
「日本国事跡考」のなかで

とりわけ素晴らしい
日本の景観として

  • 陸奥の松島
  • 丹後の天橋立
  • 安芸の厳島

の3か所をあげたことに
はじまるといいます。

日本三景の碑

その後、福岡藩の儒学者・
貝原益軒(かいばらえっけん)は

天橋立をめぐった紀行文に
「日本の三景の一とするも宜也」
と記したらしく

ここで初めて
「日本三景」ということばが
登場したようです。

天橋立の風景

3か所すべてが
海辺の景観というのは
島国らしさでしょうか。

いずれも
国指定の名勝のなかでも
とくに価値が高い

特別名勝(とくべつめいしょう)
にも指定されているといいます。

特別名勝・天橋立の碑

特別名勝は、現在
36件が定められているようです。

国の文化財として
保護されているようですね。

こうした景観は
白砂青松(はくしゃせいしょう)
というのだそうです。

白い砂浜と
青々とした松から

海岸の美しさを
あらわす言葉になったといいます。

阿蘇海

天橋立という
南北にのびた砂洲
によって仕切られた

東西の海にも
それぞれ名称があります。

宮津湾に面した
東側の海は
与謝海(よさのうみ)

内海である
西側の海は
阿蘇海(あそのうみ・あそかい)
というそうです。

天橋立の風景

阿蘇海は
金樽鰮(きんたるいわし)
が有名だといいます。

その昔
船上で酔った殿様が

金の樽をうっかり
海に落としてしまったところ

翌日から
美味しいイワシが
大量に採れるようになった
という伝承があるようです。

金樽いわしの由緒

阿蘇海には
大江山(おおえやま)山系の
与謝峠を水源とする

野田川(のだがわ)
が流入しています。

また、阿蘇海は
天橋立の南にある
文殊切戸(もんじゅきれと)
文殊水道(もんじゅすいどう)

外海の与謝海と
つながっているので

塩分濃度は
外海の2⁄3程度
だといいます。

栄養に富んだ海
といわれているのですが

富栄養化や有機汚濁
も深刻らしく

水質改善の取り組みも
行われているようです。

天橋立の風景

宮津湾に
流れこむ海流と

野田川から阿蘇海に
流れこむ海流とがぶつかって
土砂が堆積してゆき

湾を塞ぐように
砂洲が形成された
ともいわれるようですね。

大天橋と小天橋

外海の与謝海と
内海の阿蘇海は

文殊切戸と文殊水道で
つながっています。

文殊水道と
文殊切戸にはさまれた
延長830メートルの部分は

小天橋(しょうてんきょう)
または南砂洲といい

文殊切戸から
北岸(江尻)までの
延長2410メートルの部分は

大天橋(だいてんきょう)
または北砂洲というようです。

さらに、
文殊水道を隔てて
南側にある部分を
第2小天橋
というようですね。

天橋立とは
大天橋・小天橋・第2小天橋
をあわせたものをいうらしく

天橋立公園とは、ここに
北岸の傘松(かさまつ)地区を
あわせたものをいうようです。

また、
南岸と小天橋を結んで
文殊水道にかかる橋は
『小天橋』と名づけ

小天橋と大天橋を結んで
文殊切戸にかかる橋は
『大天橋』と名づけたようですね。

小天橋の案内板

『小天橋』は
廻旋橋となっていて

船も人も
往来できるように
なっていました。

天橋立神社

天橋立は
砂の堆積によってできた
砂洲だといわれますが

不思議なのは
地下水が流れている
ということでしょうか。

だからこそ、天橋立には
総数8,000本ともいわれる
松が生えているといいます。

天橋立の松の解説

『大天橋』から
500メートルほど
北へ進んでゆくと

真水が湧くという
井戸が祀られていました。

磯清水(いそしみず)
といわれていて

名水百選にも選ばれている
のだそうです。

磯清水の案内板
天橋立神社の磯清水

そんな、
磯清水を守護するように
祀られているのが

天橋立(あまのはしだて)神社
です。

天橋立神社

ご祭神は諸説あって
イサナギ(伊弉諾尊・伊邪那岐神)
とか

豊受(とようけ)大神
といわれるようですね。

天橋立神社の由緒

また、かつては
本殿の左右にも祠があり

向かって左は
大川(おおかわ)大明神

向かって右は
八大龍王(はちだいりゅうおう)
が祀られていたようです。

舞鶴には
大川神社があるらしく
そちらの勧請ではないか
ともいわれるようですが

川の神と海の神を
祀ったということかもしれません。

天橋立神社の参道は
南西に伸びていて

阿蘇海に面したところには
鳥居があるといいます。

一説によれば、
阿蘇海を船で渡って
天橋立神社に向かうのが

正式な参拝ルートだった
ともいうようですね。

天橋立神社の参道
天橋立神社の参道

かつては
智恩寺の境内地にある
神社だったらしく

神仏習合の名残も
あるようです。

ですから、
橋立(はしだて)明神
ともいわれるようです。

吉野神社の稲荷社でも
祀られていた方でしょう。

天橋立神社の大砲

イサナギ

古事記によれば
イサナギ(伊弉諾・伊邪那岐)
イサナミ(伊弉冉・伊邪那美)

の夫婦神[天照大神の父母]は

天浮橋(あめのうきはし)
にたって

天沼矛(あめのぬぼこ)
をかきまわして

国生みをしたといいますが

故二柱神立天浮橋
指下其沼矛以畫者
鹽許々袁々呂々邇
畫鳴而引上時

古事記 上巻

この『天浮橋』が
『天橋立』のこととも
いわれるのだそうです。

天橋立の風景

丹後国風土記
(たんごのくにふどき)

によると

イサナギが
天界にゆこうとして
梯子(はしご)を
つくったけれども

寝ている間に
倒れてしまったらしく

倒れた梯子が
天橋立になった
とされるよですね。

また、イサナギは
梯子が倒れたことを
久志備(くしび[奇び・霊び])・
霊妙な事であるとして

この浜を
久志備(くしび)の浜
とよんだのが

久志(くし)浜
として残ったとも
伝えるようです。

天橋立の風景

さらに、丹後伝説では
もっとドラマティックに
なっているようです。

イサナギ・イサナミが
天沼矛をかきまぜて

国生みをしていた
ときのこと

下界が
あまりに美しいので

高天原の神々は
「地上に降りてみたい」
といったそうです。

そこで、原初神・
天御中主神(あめのみなかぬし)は

「本当に必要なときだけ使いなさい」

といって
下界に通じる橋を
作ったといいます。

よろんだ神々は
つぎつぎと下界へおりて

美しい人間の娘たちと
仲良く(夫婦?)なったそうです。

やがて娘たちが
「わたしも高天原にいってみたい」
と願ったので

神々は
「それなら内緒で連れて行きましょう。
ただし、声を出してはいけませんよ」
といって娘たちを連れて
橋をのぼったといいます。

高く高くのぼるにつれて
眼下には美しい景色が
広がってゆきます。

「わあ、きれい」
娘がぽつりと漏らした言葉に
神々は青ざめると

橋はガラガラと音をたてて
崩れていったといいます。

この
崩れた橋が残って
天橋立になったのだそうです。

天橋立の風景

なにか童話などで
聞いたことのあるような話
になっていますね。

気になるのは
風土記ではイザナギが
地上にいるのに対して

伝説では
高天原という天界にいる
というところでしょうか?

智恩寺にのこる
九世戸縁起(くせどえんぎ)
にも通じていそうです。

形成過程

天橋立をはじめ
宮津湾や若狭湾は

2万年前は海がひいていて
陸地だったといいます。

それが、
8000年前から
縄文海進(じょうもんかいしん)
によって海底に沈んでゆき

6000年前ごろには
砂洲が形成されはじめたようです。

それが次第に発達して
海面にあらわれてきたといいます。

また、一説には
2200年前の地震によって
大量の土砂が流入して
海面上にあらわれてきた
とも考えられるようですね。

ただし、このときはまだ
南砂洲は発達しておらず
切戸もひろかったようです。

天橋立の生い立ち

南砂洲の発達は
江戸時代以降といわれ

丹後半島部で
森林伐採や火入れが
要因とされるようです。

ですから、南北がほぼ
つながった形になったのは
近代になってからのようですね。

天橋立の風景

とはいえ、
形成過程には諸説あるらしく

天橋立には
地下水(淡水)が湧く
ことからも

砂による
堆積物だけではなく

基礎部分には
石や岩があるとか

粘土層があるとか
いわれるようです。

しかし、こうして
発達してきた天橋立も

現在は
環境の変化によって
縮小しているらしく

やがては水没する
という懸念もあるようです。

天橋立を存続させるたのも
取り組みも行われているようです。

歌碑

天橋立にはほかにも
おおくの史跡があります。

なかでも、
与謝野鉄幹(よさのてっかん)
与謝野晶子(よさのあきこ)
夫妻の歌碑は
見どころではないでしょうか?

与謝野鉄幹と与謝野晶子の歌碑
与謝野鉄幹と与謝野晶子の歌碑の説明書き


与謝野鉄幹の
与謝野姓も

宮津の地名
与謝野からきているといいます。

所在地

〒626-0001
京都府宮津市文珠
丹後天橋立大江山国定公園

京丹後めぐり4

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京丹後めぐり
京都の北にある丹後半島周辺をめぐります。

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