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京丹後めぐり9 月の輪田

月の輪田京都

月の輪田

宮津(みやづ)より
北西の内陸部にはいった
京丹後市には

峰山町(みねやまちょう)
があります。

ここには、
豊受大神の出生地
という伝承がのこり

豊受大神が
日本で最初に
稲作をはじめた
という

月の輪田(つきのわでん)
があるといいます。

竹野川

田園風景のひろがる
美しい土地なのですが

宮津とはがらりと
雰囲気が変わるのは
川の流れのせいでしょうか?

宮津市・与謝野郡と
京丹後市のあいだには
分水嶺があるらしく

宮津市・与謝野郡の河川は
宮津湾にそそぐのですが

京丹後市の
大宮町・峰山町の河川は
竹野川(たけのがわ)
をとおって
日本海へと注いでいます。

水の流れが違うので
土地の雰囲気も
変わるのかもしれません。

磯砂山

とくに、峰山町は
磯砂山(いさなごやま)
を水源とする

鱒留川(ますどめがわ)
竹野川に合流するようです。

磯砂山は、丹後半島で
3番目に大きな山であり

霊山として
信仰されていたらしく
天女伝説もあるといいます。

クジラの古名である
「いさな」が山名の由来
ともいわれるようですが

ほかに

  • 比治山(ひじやま)
  • 真名井岳(まないだけ)
  • 足占山(あしうらやま)
  • 伊佐山(いさやま)
  • 鳶尾山

などなど、たくさんの
呼び名があるといいます。

そんな
「比治山(磯砂山)」の
川が流れるからでしょうか

かつては、このあたりを
比治(ひじ)の里
とよんでいたようですね。

京丹後市峰山町の風景
磯砂山(中央)と、比治の里の田園風景
獣害(熊)除けの柵が立ててある

清水戸

比治の里は
豊受大神生誕の地
ともいわれるらしく

周辺にはおおくの
史跡までありました。

清水戸

こちらは、豊受大神が
はじめて農作を試みたさいに

籾を浸した所とされる
清水戸(せいすいど)
だといいます。

この水で茶を煮ると
とても美味いのだそうですが

小さな生き物たちの
楽園になっていましたので

ぼくにはちょっと
勇気が出ないですね。

いまでも枯れることなく
水が湧きつづけている
井戸(泉?)のようです。

清水戸の由緒

この地にのこる
古歌によれば

いざなぎや 種をひたする 清水戸
五穀初まる これぞ苗代

とあるようです。

「いさなぎ」は霊山の
「磯砂山(いさなごやま)」
を意味するというようですが

たしかに、このままでは
豊受大神の歌ではなくて

イサナギ(伊弉諾尊・伊邪那岐神)
の歌になってしまいます。

「穂」というのは
「嫡男」のこと

「苗代」とは
「妻」のこと

と読んでみることも
できそうですね。

清水戸

月の輪田

清水戸から
300メートルほど
南東にゆくと

月の輪田(つきのわでん)
があります。

月の輪田

稲作発祥の地
ともいわれ

豊受大神が
天照大神のために
稲作をはじめた場所

とされているようです。

かつては
三日月形をしていて
三日月田(みかづきでん)
とも呼ばれていたそうです。

月輪田の由緒

清水戸に浸した籾を
ここに撒いていたといいます。

また、現在はみられませんが
ここにも白濁した水が
湧いていたといいます。

月の輪田の石碑

収穫後の藁は
翌年の肥料にするために
田のなかに入れておくようです。

不浄な肥料をいれることや
女性の立ち入りもできないといいます。

しばらくは
放置され荒れていたそうですが

平成24年から
地元住民による復興活動により
稲作が再開されたそうです。

月輪田

稲作遺跡の地で
いまでも稲作が行われている
というのはなんとも
日本らしい気がします。

収穫された古代米は
伊勢神宮外宮へ
奉納されているといいます。

月輪田の神木と小祠

小さな祠もみえる
この樹木の周りで

かつては
盆踊りが行なわれていた
といいます。

さて、次はそんな
豊受大神を祀る
もうひとつの「マナイ」

比沼麻奈為(ひぬまない)神社
へと向かいます。

京丹後市峰山町の風景

所在地

〒627-0051
京都府京丹後市峰山町二箇

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京丹後めぐり
京都の北にある丹後半島周辺をめぐります。

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