江之姫神社
天橋立(あまのはしだて)
の北岸より
300メートルほど
北へすすむと
江之姫(えのひめ)神社
があります。
このあたり一帯は
江尻(えじり)
といわれる地域であり
天橋立を形成する
砂洲(さす)が
北岸から伸びていった
ことに由来するようですね。
出宮
江之姫神社は
300メートルほど
北西にある
籠(この)神社の
出宮(でみや?いずみや?)
といわれていて
籠神社の
境外社にあたるようです。
正式には
江(えの)神社
というようです。
毎年8月6日は
江神社例祭(江之姫竜宮祭)
がおこわれるといいます。
籠神社は
天橋立の内海である
阿蘇海(あそのうみ)
を向いているので
江之姫神社は
天橋立の外海である
与謝海(よさのうみ)に
「出る」ための「宮」
ということでしょうか?
与謝海側に面した
江尻地区の
鎮守社的な役割が
あるようですね。
海神
ご祭神は
海神(わだつみのかみ)
だといいます。
籠神社の相殿でも
祀られていることから
籠神社の社家である
海部(あまべ)氏の守護神
とも考えられるようです。
また、籠神社では
海神の別名として
豊玉姫(とよたまひめ)
乙姫(おとひめ)
などもあることから
「江」神社ではなく
「江之姫」神社となった
ようですね。
宮津市史によれば
こちらの社殿は
天橋立神社のものを
明治43年に移築したもの
だといいます。
べざいと
神仏習合時代には
海神や龍神にゆかりのある
弁財天(べんざいてん)
[市杵島姫命(いちきしまひめ)]
が祀られていたといいます。
そのため当社は
『べざいと』という愛称でも
呼ばれているようです。
江戸時代には
弁才船(べざいせん)
という和船があったといいますが
『べざいと』を
「弁才戸」と書いたなら
ここには
弁才船の港[戸]があった
ということでしょうか?
もしくは、漁業組合の
寄合所的なものがあった
外海を渡る貿易船の
窓口があったのかもしれません。
社殿の背後には
用水路のような小川が
流れているのですが
これも、
内海へ船を降ろすために
作られたものでしょうか?
あたりには、かつて
舟屋(ふなや)もおおく
あったようですね。
また、もしくは
籠神社の祭祀を担っていた
巫女の住処である
斎宮(いつきのみや)
があったのかもしれません。
もちろん、これらはすべて
ぼくの妄想です。
ヱツノシマヒメ
ホツマツタヱによれば
天照大神の3人の娘には
ヱツノシマシメ・タキコ
というかたがいたようです。
いわゆる
宗像(むなかた)三女神の
湍津姫(たぎつひめ・多岐都比売)
にあたるかたであり
ホツマツタヱによれば
相模(さがみ)の
江ノ島(えのしま)に
眠ったといいます。
ですから、湘南の
江島(えのしま)神社の奥宮では
多岐都比売(たぎつひめ)が
祀られるようですね。
もしかすると、ここ
江之姫神社もそんな
タキコに由来する神社
なのかもしれませんね。
稲荷堂
江之姫神社のとなりには
稲荷堂(いなりどう)
があります。
お堂のなかには
お稲荷さまを祀る祠が
4社ならんでいました。
向かって左から
・児玉稲荷大神
・正一位稲荷大神
・出世稲荷大神
とありますが
右端の祠は
記名がなくわかりません。
地主神を祀る場所
なのかもしれませんね。
所在地
〒629-2244
京都府宮津市江尻264−5
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