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伊勢めぐり3 佐美長神社

佐美長神社の本殿三重

佐美長神社

伊雑宮(いざわのみや)から
800メートルほど
南西にゆくと

佐美長(さみなが)神社
があります。

伊雑宮の
所管社(しょかんしゃ)であり

伊勢神宮(いせじんぐう)の
125社のひとつでもあります。

所管社

所管社(しょかんしゃ)とは
正宮や別宮に関わりがある社で

お供えものや祭祀などで
深く関係をもつ神々が祀られている
社のことだそうです。

伊勢神宮125社のうち
所管社は42社あり

そのうちの5社が
別宮・伊雑宮の所管社
だといいます。

佐美長神社は
伊雑宮の所管社のひとつ
なのですが

佐美長神社の
境内にはほかにも

佐美長御前(さみながみまえ)神社
があります。

こちらは
小さな社殿が4つ
ならんでいるのですが

4社すべてが
所管社だといいます。

ですから、ここには
伊雑宮の所管社
5社がそろっている
ようです。

佐美長神社の鳥居

御幸道

伊雑宮と
佐美長神社を結ぶ道を

御幸道(ごこうみち)
というそうです。

かつては、この道を
神さまが行き来していた
といわれるようです。

また、
伊勢神宮の社は基本的に
南向きだといいますが

佐美長神社は
東向きだそうです。

これは東の
的矢湾(まとやわん)
を向いているといいます。

式年遷宮のときも
佐美長神社の社殿は
南北に遷るようです。

10メートル程の
小高い丘に建つここは

不思議と
湿気に満ちていました。

大歳神

ご祭神は
大歳神(おおとしがみ)
だそうです。

歳神といえば
奈良・葛城にある

葛木坐御歳(かつらぎみとし)神社
でも祀られていました。

倭姫命世紀
(やまとひめのみことせいき)』

によると

垂仁天皇27年に
不思議な鳥の鳴く声が
きこえてきたので

嶋(志摩)国を
調べさせたところ

白い真名鶴(まなつる)
が豊かに稔る稲田を作っていた

といいます。
そこで、

彼稲生地千田
在嶋國伊雜方上其処伊佐波登美之神宮造奉
皇太神為摂宮伊雜宮此也
彼鶴真鳥号称大歳神

『倭姫命世紀』
『
稲の生えた地を
千田(ちだ)となづけて

この地を治める
伊佐波登美神(いざわとみ)に
神の宮をつくらせた。

皇大神宮(伊勢内宮)摂社・
伊雑宮(いざわのみや)
がこれである。

真名鶴は
大歳神(おおとしがみ)
となづけ称えた
』

のだそうです。

大歳神といえば
ソサノヲ(素戔嗚尊)
御子のひとりで

穀物神とも
称えられますが

ここでは、
真名鶴の称え名
されているようですね。

ですから、
佐美長神社は

大歳(おおとし)社
ともいうようです。

佐美長神社の参道

穂落伝承

当地の伝承によれば

真名鶴は
穂をくわえて飛んできて

「穂を落とした」
ともいわれるらしく

佐美長神社は
穂落宮(ほおとしのみや)
ともいわれるようです。

また、
その落ち穂を育てて
種苗にしたのが

千田の御池(ちだのみいけ)
ともいうようですね。

ほかにも、
高台にあるからなのか
高宮(たかみや)とか

稲に関わるからなのか
飯井高宮(いいのたかみや)
ともいわれるようです。

同島坐神乎多乃御子神社

平安時代にまとめられた
延喜式(えんぎしき)のうち

官社とされていた
各地の神社をまとめた
神名帳(じんみょうちょう)には

志摩国の神社として

粟嶋坐伊射波神社二座
同嶋坐神乎多乃御子神社

『延喜式巻九』

の3社が記載されています。

「伊射波神社二座」とは
志摩国一宮とされる

  • 伊雑宮
  • 伊射波神社

のこととされるようです。

そしてもう1社の
「神乎多乃御子(かむをたのみこの)神社」
が佐美長神社とされるようです。

佐美長御前神社

佐美長御前(さみながみまえ)神社
は佐美長神社の向かって左側にある
4つの小さな社のことで

4社すべてが
別宮・伊雑宮の所管社
にあたるようです。

それぞれのご祭神は
不明とされていて

すべてまとめて
佐美長御前神(さみながみまえのかみ)
といわれるようです。

この地を治めていた
伊佐波登美神(いざわとみ)
子孫を祀るとか

祓戸大神(はらえどのおおかみ)
4神を祀るとか

ほかにも
諸説あるといいます。

こちらは
南向きの社殿のようですね。

縄文遺蹟

境内地からは
縄文時代から古墳時代にかけての
遺蹟が出土したといいます。

供献用とみられる
土器などが見つかったそうです。

神社が創建される
はるか以前からこの地は
聖地とされていたのでしょうか?

磯部神社

今回は訪ねることが
できなかったのですが

佐美長神社の
200メートルほど北には

磯部(いそべ)神社
があります。

磯部郷の
惣社(総社)のような神社で

周辺にあった各社を
すべて合祀してあるため

49柱ともいう
おおくの神々が祀られるようです。

ただ、ご由緒には

歳神(としがみ)
歳徳神(としのりかみ)
をお迎えする神社であり

ご祭神の筆頭には
天照大神の御子
オシホミミ(天忍穂耳尊)
があげられるようです。

この地を治めた
磯部(いそべ)氏の
氏神的な神社
なのでしょう。

磯部氏の祖先が
伊佐波登美神(いざわとみ)
なのだそうです。

荒祭宮

佐美長神社は

内宮における
荒祭宮(あらまつりのみや)
のように

伊雑宮にとっての
荒祭宮的な神社ではないか?
ともいわれるようです。

荒祭宮とは
内宮別宮の第一位あたり
内宮のほぼ真北にあります。

ご祭神は
天照大神の荒御魂(あらみたま)
といわれるのですが

これは、兵庫の
廣田(ひろた)神社でも

天照大神荒御魂として
向津媛(むかつひめ)こと

瀬織津姫(せおりつひめ)
が祀られることから

荒祭宮では
瀬織津姫が祀られている
とも考えられるようです。

瀬織津姫

ホツマツタヱによれば
天照大神は男神であり

正妻・正后として
瀬織津姫(せおりつひめ)
迎えられたといいます。

そして、
天照大神と瀬織津姫から
生まれたのが

オシホミミ(天忍穂命)
だといいます。

そう考えるならば
穂落伝承というのは

天照大神の后として
世継ぎの御子(穂末)である
オシホミミを産み落としたこと

をさすのかもしれません。

また、瀬織津姫は
南の局(つぼね)の筆頭
だったといいますが

ホツマツタヱでは
「東西南北」のことを
キツサネ」といい
南は「サ」といいます。

佐(さ)美長神社というのは
南(さ)の局があった地
なのかもしれません。

だからこそ
伊雑宮と佐美長神社を
むすぶ道は

御幸道(ごこうのみち)
というのではないでしょうか?

社殿が東向きというのも
日の出(太陽・天照大神)に
向かいあう(向津媛)ように
作られているのかもしれません。

さらに、ホツマツタヱでは
「鶴」は機織りに関わります。

天照大神の妃となるものは
天照大神の衣を織るという
機織り女(め)でもある
といいます。

佐美長神社の本殿

ワカヒメ

また、
ホツマツタヱによれば

天照大神の姉に
ワカヒメ(稚日女尊・蛭子神)
という方がいて

和歌の語源にもなった
というのですが

このかたもまた
天照大神につかえて
伊雑宮に出入りしていた
といいます。

ワカヒメはなくなると
トシノリカミと称えられた
といいますが

これがいまでいう
歳徳神(としとくじん)
となったそうです。

磯部神社でも
歳徳神の神徳が
語られているようですから

この地で称えられる
「大歳神」というのは
「歳徳神」のことであり

ワカヒメも祀っていた
のかもしれません。

ワカヒメは
歌の力によって

紀伊の稲田を
虫の害から救った
といいますが

虫害の報告を受けたのも
伊雑宮だったようです。

このとき、天照大神は
京丹後のほうへ御幸中で

伊雑宮には
瀬織津姫とワカヒメが
ひかえていたらしく

このかたがたが
キシヰ(和歌山市のあたり)
まで出向いたようです。

佐美長神社は
ふたりの女神に由来する神社
なのでしょうか?

12妃

だとすると、
佐美長御前神社とは

瀬織津姫のほかに
天照大神の妃となった
12人の姫たちを祀っている
のかもしれません。

4つの社とはそれぞれ
東西南北の局(つぼね)のこと
だったとしたら

東(き)の局の
ミチコ・コタヱ・ソガヒメ

西(つ)の局の
アキコ・オサコ・アヤコ

南(さ)の局の
ナカコ・ハナコ・アサコ

北(ね)の局の
モチコ・ハヤコ・アチコ

を祀っているのかもしれません。

ですから、このかたがたを
佐美長御前神(さみながみまえのかみ)
というのかもしれませんね。

所在地

佐美長神社
〒517-0209 三重県志摩市磯部町恵利原

伊勢めぐり4

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