天の岩戸
伊勢神宮(いせじんぐう)の
内宮(ないくう)と
志摩(しま)国の
伊雑宮(いざわのみや)を
むすぶ街道の
ちょうど中間あたりに
天の岩戸(あまのいわと)
という史跡があります。
![天の岩戸の鳥居](https://navihico.com/wp-content/uploads/2023/03/shrine-gate-erihara-768x1024.jpg)
恵利原の水穴
神祠や鳥居はあるのですが
「神社」というよりは
「史跡」であるようで
恵利原の水穴(えりはらのみずあな)
といわれる
水が湧く洞窟を
天の岩戸の聖蹟としている
ようです。
この水は
名水百選のひとつにも
指定されているといいます。
![天の岩戸の小川](https://navihico.com/wp-content/uploads/2023/03/brook-amanoiwato-768x1024.jpg)
天岩戸神話
天岩戸神話とは
皇祖・天照大神が
弟・ソサノヲ(素戔嗚尊)と
もめてしまい
磐にかくれてしまった
という事件のことです。
神々はなんとかして
天照大神を磐からだそうと
作戦を考えたようです。
くわしくは
こちらの動画をご覧ください。
恵利原の水穴では
例祭のおこなわれる
11月23日(新嘗祭の日)
の前後になると
水の湧きだす穴の奥を
太陽が照らすのだそうです。
そうしたことから、ここを
「天の岩戸」といったようですね。
![天の岩戸の参道](https://navihico.com/wp-content/uploads/2023/03/brook-amanoiwato-img2-768x1024.jpg)
![天の岩戸の由緒](https://navihico.com/wp-content/uploads/2023/03/info-iwato-erihara.jpg)
石灰洞
ただ、ここは
岩戸や岩穴ではなく
洞穴であるらしく
石灰質でできた
石灰洞(せっかいどう)
という洞窟だといいます。
いわゆる
鍾乳洞(しょうにゅうどう)
のことだそうです。
![天の岩戸の鳥居](https://navihico.com/wp-content/uploads/2023/03/shrine-gate-erihara-img2.jpg)
水穴のある
恵利原地区には
ほかにも
5つほどの洞窟が
見つかっているらしく
石灰洞穴群を
築いているそうです。
太古は海の底であった
石灰岩質の地にあるため
地下水などにより
内部が分解・溶解して
削られてゆくので
石灰洞などが
できやすいといいます。
こうした土地を
カルスト地形
というようですね。
![天の岩戸の由緒](https://navihico.com/wp-content/uploads/2023/03/info-amanoiwato-erihara.jpg)
滝祭窩
こちらが、
水源となっている
恵利原の水穴です。
![恵利原の水穴](https://navihico.com/wp-content/uploads/2023/03/fountainhead-erihara.jpg)
水穴からは
竹筒がのびていて
水を汲みとれる
ようになっています。
![ミツハノメの碑](https://navihico.com/wp-content/uploads/2023/03/stone-statue-erihara-img2.jpg)
穴の入り口は
高さ1メートル
幅80センチほど
だといいますが
奥にゆくほど
ひろがってゆくらしく
10数メートル先には
落差3メートルほどの
瀧があるのだといいます。
そこには、水の神
泣沢女神(なきさわめ)
美都波女神(みずはのめ)
が祀られているらしく
滝祭窟(たきまつりのいわや)
とよばれているようです。
![瀧祭巖の碑](https://navihico.com/wp-content/uploads/2023/03/stone-statue-erihara-768x1024.jpg)
水穴のとなりには
神祠もあり
泣沢女神(なきさわめ)
罔象女神(みつはのめ)
猿田彦大神(さるたひこ)
を祀っているようですね。
雨乞いのご利益もある
というようです。
![天の岩戸の本殿](https://navihico.com/wp-content/uploads/2023/03/main-shrine-erihara.jpg)
高天原
恵利原の水穴の
湧水量は1日あたり
3万1千トンだそうです。
この水は
神路山(かみじやま)
にきずかれた
神路(かみじ)ダム
にそそがれると
神路川(かみじがわ)
[磯部川]をとおって
ふもとの地を潤すようです。
神路山は、別名を
天照山(あまてるやま)
神垣山(かみがきやま)
ともいうようですね。
地元ではこのあたりを
高天原(たかまのはら)
ともよぶのだそうです。
![恵利原の水穴の石碑](https://navihico.com/wp-content/uploads/2023/03/stone-statue-erihara-img5-768x1024.jpg)
猿田彦の祠
猿田彦大神(さるたひこ)は
道案内の神として知られていますが
恵利原の水穴から
さらに山道をすすんでゆくと
猿田彦の祠という
ご神木を祀る聖地へ
つづくようです。
![天の岩戸の樹々と光](https://navihico.com/wp-content/uploads/2023/03/forest-erihara-768x1024.jpg)
こちらは
伊勢と志摩をむすぶ
逢坂(あふさか・おうさか)峠
のすぐちかくにあたり
伊勢にくだる
島路川(しまじがわ)と
志摩にくだる
神路川(かみじがわ)の
分水嶺の地にも
なっているようです。
水の道案内ということで
猿田彦が祀られるのでしょうか?
![大沢の風穴の参道](https://navihico.com/wp-content/uploads/2023/03/shrine-road-erihara-img4-768x1024.jpg)
大沢の風穴
恵利原の水穴には
奥宮ともいえるような
大沢の風穴(おおさわのふうけつ)
があります。
こちらも、
山道をすすんでゆきます。
![大沢の風穴の参道](https://navihico.com/wp-content/uploads/2023/03/shrine-road-erihara-768x1024.jpg)
谷の中腹あたりに、
ぽっかりと穴があいており
冷たい風が
コホオオオオオ……と
そよいでいました。
![大沢の風穴](https://navihico.com/wp-content/uploads/2023/03/windhole-erihara-768x1024.jpg)
きっとこれも
洞窟なのでしょう。
風穴のまわりも
磐でできているようですが
土や樹々に
覆われています。
![大沢の風穴](https://navihico.com/wp-content/uploads/2023/03/windhole-erihara-img2.jpg)
この穴にも
はいってゆけばまた
美しい鍾乳洞の世界が
ひろがっているのでしょうか?
だとすると、
天の岩戸というより
イサナギの
黄泉くだり神話のほうが
近いのかもしれません。
![大沢の風穴](https://navihico.com/wp-content/uploads/2023/03/windhole-erihara-img4-768x1024.jpg)
とても居心地がよく
空気も澄んでいて
本当に素敵な場所でした。
森林浴というか
清流浴というか
磐座浴というか
そういった自然を
全身に浴びてすっかり
ご機嫌になってしまいます。
![大沢の風穴の参道](https://navihico.com/wp-content/uploads/2023/03/shrine-road-erihara-img3-768x1024.jpg)
雄の鸚鵡岩
磯部郷土史によると
鸚鵡岩には雌雄があって
雌の鸚鵡岩は
和合山の鸚鵡石であり
雄の鸚鵡岩は
高天原にあるのだそうです。
これは、神路ダムにある
お獅子岩のことかもしれませんが
恵利原の水穴のこと
だとすれば
水穴の巌や
風穴の巌を
鸚鵡岩といって
洞窟だから
なかでつうじているので
声が届くはずだというような
伝承があったのかもしれませんね。
![天の岩戸の小川](https://navihico.com/wp-content/uploads/2023/03/brook-erihara-768x1024.jpg)
ミキモト
パール・ジュエリーの
ミキモトの創業者である
御木本幸吉(みきもとこうきち)
の崇敬も篤かったようで
御木本氏によって
参道の整備などが
おこなわれたといいます。
志摩の海産物商人となり
国産真珠の養殖で
財を成したかただそうですから
豊かな海をささえる
水源の地ということで
天の岩戸こと
恵利原の水穴を
称えたのでしょうか?
ほかにも、参道には
足形跡遺跡という磐座や
オオシマザクラ[岩戸桜]
という桜の木もあるようですね。
かえり道では
ちいさな蟹も見つけました。
ご参拝中だった
のかもしれませんね😊
![天の岩戸の蟹](https://navihico.com/wp-content/uploads/2023/03/crab-erihara-768x1024.jpg)
所在地
天の岩戸(恵利原の水穴)
〒517-0209 三重県志摩市磯部町恵利原
コメント