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検証ほつまつたゑ121号 ハタ考2

検証ほつまつたゑ

検証ほつまつたゑ

ホツマツタヱ研究の専門同人誌・
『検証ほつまつたゑ よみがえる縄文叙事詩』
第121号(令和4年6月号)に
掲載していただきました!

最近は、
「検証ほつまつたゑ」誌の
編集者会議にも

オンライン参加させていただき
貴重なお話をうかがっています。

とてもとても
濃密な時間を味わっています!

本当にいつも
ありがとうございます🥰

さて、今回は
前回の『ハタ考 その1』
完結編です。

謎の古代氏族・
秦氏(はたし・はたうじ)
ホツマツタヱから読み解きます!

ハタ考 その2

前号では
秦氏の通説をまとめてみました。

今号では
ホツマツタヱから考えてみます。

「ハタ」の語源

まず、
「ハタ」をみてみると

  • はたおり
  • やはた
  • みはた
  • たはた
  • はたたかみ
  • はたらく
  • はたち
  • はたれ
  • はだ

などがあるようです。

これらはすべて
経糸(たていと)
緯糸(よこいと)によって
織りなされる

「布(は)」
に関わるようです。

機織り機
機織り機(道の駅・近江 母の郷)

「機(はた)」とは
「衣(は)」を「栲(た)く」ことで

「肌(はだ)」に似たものを
織りあげること

肉体の外側
「端(はた)」にあるものを
織ることであり

鳥が羽を動かすさま
「羽ばたく」からきている
のでしょう。

「旗(はた・幡)」
「機(はた)」でつくられた布のことで

集団をあらわす象徴物
とされたようです。

また、
経糸緯糸を織りなすさまは

父音母音によって編まれる
ヲシテ文字にも例えられて

文書(巻物?)も
「御機(みはた)」
といったようですね。

こうしたことから
手を動かして機を織るさまを
「はたたく・はたらく」
というようになったのでしょう。

さらに、連歌では
20首くくりで折りたたむことを
「端(は)を断(た)つ」ことから
「はたち」といったようです。

20歳のことを
「はたち」というのは
ここからきているようですね。

「畑(はた)」というのは
田(た)の初(はじ)めにあるもの

もしくは
「衣種(はたね)」でしょうか?

蚕を養う桑畑が
関係するのかもしれません。

ホツマツタヱにも

      たなばたかみと
たはたかみ おなじまつりの
あやにしき

ホツマツタヱ 23アヤ

とありますから

棚機(たなはた)と
田畑(たはた)は


衣と食のように
ひとびとのすぐ

「傍(はた)」にあったようです。

稲
御神田

ハタレ

天照大神の時代に
人心を惑わせて
一大勢力となった反乱軍を

『ハタレ』
といったようです。

動物霊に憑かれて
心がねじけたひとびと

ともいわれますが
こんな一節もあります。

よこしまの はたれとなるぞ

ホツマツタヱ 17アヤ

「ハタレ」とは
「邪(よこしま)」なもの
だそうです。

ほかに
「よこま・よこが」
ともいうようです。

「よこ」とは
「横(よこ)」のことで

機織りのさいに
緯糸(よこいと)が通らず

布がひき攣ってしまうこと
をいうようです。

高野山の玉川
高野山の玉川
(ハタレのヲシテを納めた地か?)

あめのりお たみひとくみが
みたれても をさめくらねば
はたおれす かれおさむるは
はたのみちかな

ホツマツタヱ 23アヤ

天照大神は
治政を機織りに例えていた
といいます。

経糸を
「天の教え(法律)」
として、

緯糸を
「民(ひとびと)」
としていたようです。

そして、
糸をおさえて整える
「筬(おさ)」から

各地でひとびとを束ねるものを
「長(おさ)」といったようです。

緯糸が
1組でもうまく通らなかったり

筬で
おさえて整えなければ

たちまち布が乱れてしまい
機織りがうまくゆきません。

それはつまり
民の心が乱れて

一人でも
一戸でも
一村でも

法律にそむくものが現れれば
やがておおきなうねりとなって

国の治政そのものに
悪影響をあたえるということだそうです。

だからこそ、
ひとびとの暮らしを整えたり

「長(おさ)」と連携をとることを
「治(おさ)める」といい

すべては
機織りに通じているのだといいます。

つまり「ハタレ」とは、
「機(はた)」の「乱(みだれ)」を
ひき起こすもの
ということでしょう。

緯糸(よこいと)である
ひとびとを惑わせて

布(治政)に皺(しわ)や
縞(しま)を描いて乱すことを
「よこしま」といったようです。

伏見稲荷大社の千本鳥居
伏見稲荷大社の千本鳥居

キクミチ

ハタレのうち
キツネ(狐)が憑いたとされる
キクミチの一団は

九州・筑紫で蜂起すると
京都・花山(はなやま)に
集結したといいます。

頭目は
3兄弟だったことから

『ミツキツネ』
といわれたようです。

花山を治めていた
カダ

「ねずみのあぶらあげ」
鎮圧したといいます。

「キツネ」は
東西北(きつね)[朝夕夜]」
に通じていて夜行性ですから

「北(ね)[夜]」に住む
「ねずみ」をあげる(明ける)ことで

夜(心の暗さ)を照らし活力をうばう
意味があったようです。

これが、
「ねをあげる」の語源
かもしれませんね。

花山神社
花山稲荷神社

キクミチは
魂断ち(たまたち)[処刑]
いいわたされるのですが

カダは何度も食い下がって
恩赦を願ったといいます。

すると、カダの祖先・
『ウケモチ』を祀らせる
という条件つきで
刑をまぬがれたそうです。

これが、
伏見稲荷大社や
花山稲荷神社の
はじまりのようです。

「お狐さん」が
「神の使い」とされるのは
これによるようです。

ウケモチやカダは
花山の地で先進的な
農業を研究していたといいます。

「稲がなる」という
豊穣をあらわす意味と

カダがのちに
「荷田氏」となったことから
「荷」の字がはいって

『稲荷(いなり)』
となったようですね。

伏見稲荷大社の境内にある東丸神社
伏見稲荷大社境内の東丸神社
(荷田春満を祀る)

カダ

伏見稲荷大社に奉斎したのが
秦氏(はたうじ・はたし)です。

秦氏も
機織りに縁があるといいますし

荷田氏との
関係も深いことから

京都の秦氏は
キクミチの末裔かもしれません。

カダの治めた地は、のちに
葛野(かどの)郡となったようです。

秦氏の本拠地
「太秦(うずまさ)」も
ここにあります。

秦氏がはじめに流入したのは
奈良の葛城(かつらぎ)といわれ

拠点となった掖上には
葛(くず)という地名もあります。

淀川の治水を行った地も
交野(かたの)です。

秦氏が渡来したのは
第15代・応神(おうじん)天皇朝
だといいますが

応神天皇の出生地とされる
宇美八幡宮の地も
蚊田(かだ)の森と
いわれていたようです。

すべてが、
カダ(葛・交・蚊田)
通じているようですね。

応神天皇の生誕地とされる宇美八幡宮
宇美八幡宮 
(応神天皇の生誕地とされる)

天照大神は
桑から琴をつくって
ハタレを討った秘策から

  • カダ(葛)
  • フキ(蕗)
  • カナデ(奏)
  • メガ(茗荷)
  • ハ(葉)
  • ヒレ(領巾)

と名づけた
6つの弦を張ったといいます。

ここにも
「ハタレ」の「ハタ(秦)」と
「カダ」の「カダ(葛)」の

関係がみられるようです。

「カダ」とは
「タカマ(高天原)」と対になる語句
だったのかもしれません。

フトマニ図からみれば

「タカマ」は
「タ」と「カ」の「間(マ)」にある

「中心円(アウワ)」のことで
ミナカヌシの教えをさすようです。

フトマニのカダ

「カダ」は
「タカ」の反対ですから

「光(カ・ひかり)」を
「堕(ダ・おろす)」

タカマ(朝廷)の教え[光]を
ひとびとに伝える[降]


という意味があったのかもしれません。

トホカミヱヒタメの
配置からみれば

「カ」と「タ」は
「西」と「東」の関係にあります。

「キツネ」も
「ネ」をあげてしまったので

「キツ(東西)」となり
「カダ(西東)」に通じます。

東西南北とヲシテ文字

「東西」とは
「緯糸(よこいと)」
のことです。

カダがキツネの恩赦を願ったのも
「緯糸」である「ひとびと」を
ともに導くためだったのかもしれません。

      よこまほろぼす
はたのぬき

ミカサフミ キツヨチノアヤ

乱れた緯糸をとりのぞくことを
「機の抜(ぬき)」といったようですが

カダとキツネには
緯糸をしっかりと張る

「貫(ぬき)」という
意味もあったのでしょう。

出戻り氏族

ハタレの残党は朝廷にくだり
ハルナハハミチが頭領となって
政治にも関わっていたようです。

ハルナには独特の
「訛り」があります。

方言なのでしょうが、もしかすると
海外から渡ってきたのかもしれません。

以前に「カグツチ考」
ハタレの乱は

天照大神を皇統とするものと
ソサノヲを皇統とするものの

争いだったのでは?

という話をしましたが

ソサノヲは放浪のさなか
朝鮮半島に渡っていたという
伝承もあるようです。

また、カの尊は
中国大陸で王朝を開いた
といいますから

トホカミヱヒタメの子孫は
世界に散らばっていたともいうようです。

だとすれば、ハタレとは
母国の後継者争いに参加した
出戻り氏族だったのかもしれません。

大酒神社の石碑
大酒神社の石碑

ハタレの末裔

国の傍(はた)である
大陸から渡ってきた人々を

人心を惑わす
ハタレといったのでしょうか?

第29代・
欽明(きんめい)天皇に取り立てられた
秦大津父(はたのおおつち)

伊勢の帰りに
2匹の狼の命を救ったことが
出世のきっかけになったといいます。

「狼」とは「大神」のことで
「天照大神」と「ソサノヲ」のことであり

ふたりのあいだで揺れ動き
国や朝廷に仕えた

「ハタレ」の末裔こそが
「秦氏」である


と言っているのではないでしょうか?

花山神社のお稲荷さん
花山稲荷神社の狛狐

稲荷信仰

ウケモチ・カダの一族は
農業を担うことで
ひとびとの生活を守っていたようです。

天照大神は
ひとびとに寄りそう存在の統括を

弟・ツキヨミ
任せようとしたようですが

ツキヨミはあやまって
ウケモチを殺してしまい
政界から追放されてしまいます。

カダは、ウケモチや
ツキヨミの仕事を継ぐだけでなく
蚕の糸をつむぐ方法まで伝えたことから

ヨヨノタミ マモリツカサ
[代々の民 守り司]

と称えられたそうです。

ひとびとの生活を守る存在といえば
『キツヲサネ・アミヤシナウ』
神々がいらっしゃいました。

かれらの意思は
「竈神(かまどがみ)」
継がれたといいます。

『カマド』も
「タカマのマド」からきていて
高天原の窓口的な存在だったようです。

しかし、竈神の意義は、いつしか
稲荷信仰に集約されてしまったようです。

「キツネ(狐)」
『キツヲサネ』の方位神を担い

「機織り」「農業」によって
『アミ(編み)ヤシナウ(養う)』
担ったからでしょうか?

現在では、
あらゆる神社の境内(北東)に
お稲荷さんが祀られています。

ひとびとの生活を守る存在として
カダ・ウケモチの思いを
伝える社であるようです。

もし、
ツキヨミがあやまっていなければ

お稲荷さんのかわりに
祀られていたのは

ツキヨミ(月読尊)だった
のかもしれません。

月読神社の鳥居
月読神社(松尾大社の摂社)

まとめ

『ハタレ』の残党が
「乱(みだれ)」をただしたことで
「ハタ」とよばれるようになり


ひとびとに寄りそう存在として
機織りや養蚕をおこなった

というのが
「秦氏」のはじまりではないかと考えます。

応神天皇朝の
はるか以前から流入していて

かれらによって稲荷信仰が生まれ
かれらによって渡来人が活躍する

土壌がつくられていたのではないでしょうか?

ぼくとしては、ハタレの末裔が
ヤマクイ(大山咋神)であり

ニニキネやウツキネに仕えた
重臣だったために

秦氏の祖神として祀られた
とも考えたいところです。

(おわり)

覚書き

ご拝読ありがとうございます。

秦氏もまた、
興味がつきない氏族です。

さまざまな説のある
秦氏について

ホツマツタヱから
解釈を試みてみました。

どなたかの心に響いたなら
幸いです。

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