倭姫宮
伊勢(いせ)の
皇大神宮(こうたいじんぐう・内宮)
別宮(べつぐう)である
倭姫宮(やまとひめのみや)
です。
別宮・
月讀宮(つきよみのみや)から
2キロほど北にあります。
こちらも、
神宮の別宮14社のうちの
1社にあたるようです。
![倭姫宮の社号碑](https://navihico.com/wp-content/uploads/2023/03/monument-yamatohimenomiya-768x1024.jpg)
祭神
伊勢神宮を創建した
倭姫命(やまとみめのみこと)
を祀るといいます。
倭姫宮の北西には
宇治山田陵墓参考地があり
倭姫命の御陵だと
いわれているようです。
倭姫命の墓所に
倭姫命を祀る神社を
建てたようですね。
![倭姫宮の鳥居](https://navihico.com/wp-content/uploads/2023/03/shrine-gate-yamatohimenomiya-768x1024.jpg)
創建
創建は
大正10年だといいますから
比較的新しい神社のようです。
伊勢を創建した
倭姫命も祀るべきだ
という声があがり
地元のかたがたが
中心となって
創建されたそうです。
社殿は、月讀宮にある
伊佐奈弥宮(いさなみのみや)
をもとに作られたといいます。
倉田山
倭姫宮の陵墓とされる
宇治山田陵墓参考地は
尾上御陵(おべごりょう)
ともいわれ
間の山(あいのやま)
という丘陵にあるといいます。
この山に隣接する
倉田山(くらたやま)
の一部を開削して
倭姫宮は築かれたようですね。
境内には
美術館や神宮文庫など
さまざまな施設もあります。
さらに、東側には
神職の養成校でもある
皇學館大學があります。
![倭姫宮の参道の階段](https://navihico.com/wp-content/uploads/2023/03/shrine-road-yamatohimenomiya.jpg)
倭姫命
第11代・
垂仁(すいにん)天皇の
第四皇女にあたり
母親は
日葉酢媛命(ひばすひめ)
だといいます。
天照大神の御霊を
皇居の外で祀るという
豊鍬入姫命(とよすきいりひめ)
の跡をついで
天照大神の
御杖代(みつえしろ)として
天照大神の御霊とともに
諸国を祀りめぐり
伊勢の地へとたどりつき
神宮を築いたといいます。
![倭姫宮の本殿](https://navihico.com/wp-content/uploads/2023/03/main-shrine-yamatohimenomiya.jpg)
ホツマツタヱによれば
内宮の地は
天照大神が
晩年を過ごした聖地
だったといいます。
しかし、
ながらく忘れられて
荒廃していたようです。
サルタヒコ(猿田彦)
の導きによって
ヤマトヒメ(倭姫命)が
復興させたといいます。
ホツマツタヱ36アヤは
『やまとひめかみしつむあや』
といいまして
ヤマトヒメが内宮の地に
たどり着くまでの流れが
記されています。
このあたりの
詳しい経緯はまたいずれ
別の記事にて
解説したいと思います。
![倭姫宮の看板](https://navihico.com/wp-content/uploads/2023/03/signboad-yamatohimenomiya-768x1024.jpg)
斎宮
天照大神の御霊につかえ
神宮に奉斎した皇女を
斎王(さいおう)
斎皇女(いつきのみこ)
というのですが
斎王の御所を
斎宮(さいぐう・いつきのみや)
ということから
伊勢では斎王のことを
斎宮というようです。
伊勢の
斎宮駅周辺には
斎宮跡や
倭姫命が住まわれたという
竹神社があるようです。
斎宮は伊勢の内宮からは
15キロほど離れています。
神宮へ通うには
やや遠いようにも思いますから
倭姫宮のあたりに、かつては
倭姫命の仮住まいのようなものが
あったとしたら面白いですね。
![倭姫宮の本殿](https://navihico.com/wp-content/uploads/2023/03/shrine-yamatohimenomiya.jpg)
所在地
倭姫宮
〒516-0014
三重県伊勢市楠部町5
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