倭姫宮
伊勢(いせ)の
皇大神宮(こうたいじんぐう・内宮)
別宮(べつぐう)である
倭姫宮(やまとひめのみや)
です。
別宮・
月讀宮(つきよみのみや)から
2キロほど北にあります。
こちらも、
神宮の別宮14社のうちの
1社にあたるようです。
祭神
伊勢神宮を創建した
倭姫命(やまとみめのみこと)
を祀るといいます。
倭姫宮の北西には
宇治山田陵墓参考地があり
倭姫命の御陵だと
いわれているようです。
倭姫命の墓所に
倭姫命を祀る神社を
建てたようですね。
創建
創建は
大正10年だといいますから
比較的新しい神社のようです。
伊勢を創建した
倭姫命も祀るべきだ
という声があがり
地元のかたがたが
中心となって
創建されたそうです。
社殿は、月讀宮にある
伊佐奈弥宮(いさなみのみや)
をもとに作られたといいます。
倉田山
倭姫宮の陵墓とされる
宇治山田陵墓参考地は
尾上御陵(おべごりょう)
ともいわれ
間の山(あいのやま)
という丘陵にあるといいます。
この山に隣接する
倉田山(くらたやま)
の一部を開削して
倭姫宮は築かれたようですね。
境内には
美術館や神宮文庫など
さまざまな施設もあります。
さらに、東側には
神職の養成校でもある
皇學館大學があります。
倭姫命
第11代・
垂仁(すいにん)天皇の
第四皇女にあたり
母親は
日葉酢媛命(ひばすひめ)
だといいます。
天照大神の御霊を
皇居の外で祀るという
豊鍬入姫命(とよすきいりひめ)
の跡をついで
天照大神の
御杖代(みつえしろ)として
天照大神の御霊とともに
諸国を祀りめぐり
伊勢の地へとたどりつき
神宮を築いたといいます。
ホツマツタヱによれば
内宮の地は
天照大神が
晩年を過ごした聖地
だったといいます。
しかし、
ながらく忘れられて
荒廃していたようです。
サルタヒコ(猿田彦)
の導きによって
ヤマトヒメ(倭姫命)が
復興させたといいます。
ホツマツタヱ36アヤは
『やまとひめかみしつむあや』
といいまして
ヤマトヒメが内宮の地に
たどり着くまでの流れが
記されています。
このあたりの
詳しい経緯はまたいずれ
別の記事にて
解説したいと思います。
斎宮
天照大神の御霊につかえ
神宮に奉斎した皇女を
斎王(さいおう)
斎皇女(いつきのみこ)
というのですが
斎王の御所を
斎宮(さいぐう・いつきのみや)
ということから
伊勢では斎王のことを
斎宮というようです。
伊勢の
斎宮駅周辺には
斎宮跡や
倭姫命が住まわれたという
竹神社があるようです。
斎宮は伊勢の内宮からは
15キロほど離れています。
神宮へ通うには
やや遠いようにも思いますから
倭姫宮のあたりに、かつては
倭姫命の仮住まいのようなものが
あったとしたら面白いですね。
所在地
倭姫宮
〒516-0014
三重県伊勢市楠部町5
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