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京丹後めぐり8 浦嶋神社

浦嶋神社京都

浦嶋神社

丹後半島の北東に流れる
筒川(つつかわ)の下流に

浦嶋(うらしま)神社
があります。

ここは、日本の童話・
浦島太郎(うらしまたろう)
のモデル
となった

浦嶋子(うらしまこ)
を祀る神社だといいます。

平安時代にまとめられた
延喜式の神名帳には

宇良(うら)神社
として記載されているそうです。

浦嶋神社の石碑
元宮津藩主 本荘宗秀公筆「宇良神社」石碑

浦嶋子

浦嶋子は
日本書記にも登場するらしく

第21代・
雄略(ゆうりゃく)天皇の条には

雄略22年(478年)の
秋7月にこうあります。

丹波國 餘社郡 管川人 瑞江浦嶋子
乘舟而釣 遂得大龜 便化爲女
於是 浦嶋子感以爲婦
相逐入海 到蓬萊山 歷覩仙衆
語在別卷

日本書紀
丹波国 与謝郡 筒川のひとで
⽔江(みずのえ)の浦嶋⼦が

⾈に乗って釣りをしていると
ついに⼤⻲を得た(釣りあげた)

亀はたちまちに美しい女となり
浦嶋子はこれを妻とした

ふたりはともに海にはいり
蓬莱山(ほうらいさん)へ至ると
仙人たちの郷を観てまわった

この話は別の巻にもある

別巻というのは
『丹後国風土記』のこと
といわれるようで

そちらには
さらに詳しく載っています。

日下部首等先祖
名云筒川嶼子
爲人 姿容秀美 風流無類
斯所謂水江浦嶼子者也

丹後国風土記
日下部(くさかべ)の首らの
先祖にあたり、名を
筒川嶋子(つつかわのしまこ)という

容姿は秀でて美しく
風流(雅)なこと類まれな
ひとであった

これがいわゆる
水江の浦嶋子である

美男子であり
高貴で洗練されたかた
だったようですね。

どうやら、この地の
領主の息子だったそうです。

童話のように
村の漁師でもなく

亀を助けたわけでも
ないようです。

浦嶋神社の池

そんな浦嶋子が
小舟で釣りに出たのですが

1匹も釣れないまま
3日3晩がたったころ

五色にかがやく亀を
得た(釣った?)といいます。

亀を船に置いて
浦嶋子は寝てしまうと

たちまちに、
亀は美しく麗しい女に
変わったそうです。

ほほ笑みながら女が語ることには
あなたと夫婦になりたくて
風雲に乗ってやってきたというのでした。

これは神女であると悟った
浦嶋子は望むところですと応えると

女娘曰 君冝廻棹赴于蓬山
嶼子従往 
女娘教令眠目 
即不意之間 至海中博大之嶋

丹後国風土記
女がいうには

「
あなたが棹を廻して(舟を漕いで)
蓬莱山まで行きましょう

嶋子がこれに従うと
女は嶋子の目を眠らせた

すると不意(一瞬)の間に
海中の大きな嶋に至った

大きな嶋というのが
蓬莱山(仙界・常世)
だったようで

ふたりは
神仙たちが住むその地で
歓待をうけて

ともに夫婦となり
3年ほど暮らしたといいます。

北前船の模型

しかし、浦嶋子はふと
両親のことが気にかかって
故郷に帰りたいと申し出ます。

どうやら
人間の世界に帰ることは
禁忌でもあったようで

それは、ふたりの別れを
意味していたのかもしれません。

それでも、
故郷を捨てきれない浦嶋子は
帰ること決めたようで

悲しみとともに
別れのときを迎えたといいます。

女娘取玉匣 授嶼子
謂曰 君終不遺賎妾
有眷尋者堅握匣 慎莫開見

丹後国風土記
女は玉(たまくしげ)
[玉手箱]をとりだして
浦嶋子に授けていうには

「
どうかわたしのことを
忘れないでください

ふたたびわたしと逢いたいならば
この箱を堅く握りしめて
開けて見ることはしないでください

即相分乗船
仍教令眠目
忽到本土筒川郷

丹後国風土記
そうしてふたりは
別々の船に乗りこむと

浦嶋子は眠らされ
たちまちにして本土(現世)の
筒川の郷に戻ってきた

またしても
船で漕ぎ出すのではなく

眠っている間に
世界を飛び越えた
ようですね。

不思議な話ばかりでどこか
「ウツロ舟」を
思いおこしてしまいます。

蓬山の庭
蓬山の庭の案内文

しかし、筒川郷の様子は
すっかり変わっていたといいます。

おどろいた
浦嶋子が村人に尋ねると

三百年ほどまえに
浦嶋子という長者の子が

海に出たまま帰ってこなかった
という話をきかされます。

茫然としたまま
村をさまよう浦嶋子は

親に会うこともできず
ひと月も経つころには

ふたたび
神女への想いがつのってゆき

約束を忘れてついに
玉手箱を開けてしまいます。

浦嶋神社のモニュメント

すると、
かぐわしい匂いが
風雲とともにひるがえり

箱の中身ともどもに
空に飛びあがっていった
ようですね。

これによって、もう二度と
神女に会えないことを悟った
浦嶋子はむせび泣きながら
歩き回ったといいます。

やがて、
なんとか涙をぬぐうと

浦嶋子はこんな
歌を詠んだといいます。

等許余蔽尓 久母多智和多留 美頭能睿能
宇良志麻能古賀 許等母知和多留

丹後国風土記
とこよべに くもたちわたる みずのゑの
[常世辺に 雲立ちわたる 水江の]

うらしまのこが こともちわたる
[浦嶋の子が 言持ちわたる]

すると、
神女のほうも芳しい声が
彼方から聞こえてきたようです。

夜麻等蔽尓 加是布企阿義天 久母婆奈禮
所企遠理等母与 和遠和須良須奈

丹後国風土記
やまとべに かぜふきあげて くもばなれ
[大和辺に 風吹きあげて 雲ばなれ]

そきをりともよ わをわすらすな
[退き居りともよ 吾を忘らすな]

浦嶋子は
恋しさがこらえきれずに
さらに歌を返したといいます。

古良尓古非 阿佐刀遠比良企 和我遠礼婆
等許与能波麻能 奈美能等企許由

丹後国風土記
こらにこひ あさどをひらき わがをれば
[子らに恋ひ 朝戸を開き 吾が居れば]

とこよのはまの なみのときこゆ
[常世の浜の 波の音聞こゆ]

丹後国風土記では
このように

哀しみのなか歌を交して
話を終えています。

白髪の老人となって
なくなったわけれで

白鳥になって
飛んでいったわけでも
ないようですね。

また、
「子らに」とあるように
子が居たのかもしれません。

浦嶋神社の石碑
名匠浦嶋碑

歌のなかに
宇良志麻能古(うらしまのこ)
とあるように

『浦嶋子』は
『うら「の」しまこ』
『うらしま「の」こ』
とも読めるようで

姓をどこで区切るかにも
諸説あるようです。

小野篁

浦嶋子が
蓬莱山(仙界・常世国)から
帰ってきたのは

第53代・
淳和(じゅんな)天皇の世の

天長2年(825年)
だといいますから

およそ
347年にわたって
あちら側にいっていたようですね。

淳和天皇は
浦嶋子の話を聞きつけると

小野篁(おののたかむら)
を勅使として派遣して

浦嶋子を
筒川大明神として祀り

社殿が造営されたといいます。

これが、
浦嶋神社(宇良神社)の
創建年となるようですね。

浦嶋神社の由緒

小野篁といえば
参議(さんぎ)篁として
百人一首にも

わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと
人には告げよ 海人の釣舟

百人一首 11番歌

という歌が選ばれるほどで

官吏・文人として
知られるかたです。

遣隋使となった
小野妹子の末裔でも
あるといいます。

あまりに秀でた人物
だったからでしょうか

夜は冥界におりてゆき
閻魔大王の補佐をしていた
とまでいわれたようです。

浦嶋神社の摂社

小野氏といえば
海人族である
和珥(わに)氏の枝氏
でもありますから

浦嶋子とおなじく
海人族として派遣された
のかもしれません。

さらに、
淳和天皇といえば

籠(この)神社の社家である
海部厳子(あまべのいつこ)
を后としたともいわれ

京丹後や海人族との
関係もみえてきそうです。

摂社と社務所

月読命

浦嶋神社は相殿に
月讀命(つくよみのみこと)
が祀られているといいます。

月讀命は浦嶋子の
太祖(祖先)
だそうです。

さらに、相殿には
祓戸大神(はらえどのおおかみ)
の4神も祀られていて

伊吹戸主(いぶきどぬし)
もいることから

ホツマツタヱ的には
父・ツキヨミ(月読尊)
子・イフキドヌシ(伊吹戸主)
と読むこともできそうです。

浦嶋神社の摂社

ただ、
浦嶋子の子孫とされる
日下部氏については

日下部宿禰同祖 彦座命之後也

新撰姓氏録

とあることから
彦坐王(ひこいますのみこ)
の後裔とされるようです。

彦坐王は、第9代・
開化(かいか)天皇と
和邇氏のあいだに生まれた子
だといわれています。

また、彦坐王は
四道将軍(しどうしょうぐん)として
丹波国に派遣された

丹波道主(たにはみちぬし)
の父親でもあります。

このあたりにも
なにか因縁めいたものもを
感じてしまいます。

浦嶋神社

北極星

浦嶋子伝説には
大陸の思想も混ざっている
ということで

社殿は
北極星を向いている

のだそうです。

浦嶋神社の鳥居

丹後国風土記でも
蓬莱山(常世国)で
浦嶋子が歓待をうけるとき

即七竪子來 相語曰 是龜比売之夫也
亦八竪子來 相語曰 是龜比売之夫也

丹後国風土記
七人の童子が来て
亀姫の夫だねと語り合い

八人の童子が来て
亀姫の夫だねと語り合った

といいますが
これも

其七竪子者昴星也
其八竪子者畢星也

丹後国風土記
7人の童子は昴(すばる)星です
8人の童子は畢(あめふり)星です

とありまして
それぞれ星を表すようです。

この星は、二十八宿の
西方七宿のひとつでもあり

大陸ゆかりの天文学も
織り込まれている
といわれるようですね。

浦嶋神社の拝殿

井戸

社殿のむかって
左側の柱のたもとには
井戸が祀られていました。

浦嶋神社の本殿脇の井戸

ただの穴のようにもみえる
とても興味深いものです。

浦嶋神社の
500メートル東には

「浦島太郎が通った龍穴」
という史跡があります。

浦嶋子はこの穴をとおって
常世の国からかえってきたとも
いわれるのだそうです。

井戸といえば、小野篁も
六道珍皇寺(ろくどうちんこうじ)
の井戸から冥界に降りていた
ともいわれていますから

あの世とこの世をむすぶのは
「穴」なのかもしれません。

浦嶋神社の本殿

中井権次一統

京丹後には、
彫師として名を馳せた一派

中井権次一統(なかいごんじいっとう)
の作品が多く残っていますが

浦嶋神社の拝殿の
龍の彫り物もまた
作品のひとつだといいます。

浦嶋神社の拝殿の彫刻

とても素晴らしく
魅入ってしまします。

中井権次一統のパンフレット

絵解き

浦嶋神社には
さまざまな宝物も伝わっていて

境内にある
宝物資料室を訪ねると
拝観することができます。

浦嶋神社の宝物殿

ここに納められている
「浦嶋明神縁起」という
おおきな一枚絵をみながら

神主さんが「絵解き」を
してくださるそうです。

けれども、
このときは不在でしたので

かわりに奥さまが
対応くださいました。

浦嶋子の伝承が
一枚絵なかにすべて
描き込まれたものですから

それぞれのシーンを
順番に追いながら

物語を解説するというのが
「絵解き」のようですね。

帰りのバスの関係で
あまり時間がなかったぼくのために
手短に絵解きしてくだいました。

本当にありがとうございます。

絵解きのあとは
宝物のひとつである
『玉手箱』を
開けてくださいました。

玉手箱を開けるときには
神社に伝わる
呪文を唱えるのだそうです。

さすがに
覚えられませんでしたが

研究者によると
朝鮮半島の言葉にも
似ているのだといいます。

亀の甲羅

布引滝

絵解きのさいに聞いた話では
かつてはこのあたりまで
入り江だったといいます。

この地をおさめる
海人族の長が暮らすには
最適な場所だったのかもしれません。

山間には
京都府内で最も⼤きいという
布引滝(ぬのびきのたき)
が見えています。

布引き瀧

こちらも、かつては
海に落ち込むようにみえた
ようですね。

一説には、
最初に嶋浦子が祀られたのも
布引滝であるともいわれますし

浦嶋子があけた玉手箱から
⽴ち上った⽩雲が棚びいて
この滝になったともいうようです。

いずれにせよ、古くから
信仰の対象だったようですね。

徐福伝説

浦嶋神社から
南東に10キロほどゆくと
新井崎(にいざき)神社
があるといいます。

今回は
行くことができませんでしたが

そこには
徐福(じょふく)の渡来伝説
があるそうです。

不老不死の秘薬を求めた
徐福一行が

大陸の技術や知識を
もたらしたともいうようです。

京丹後の海人族にも
渡来人説があるといいますし

籠神社の海の奥宮である
冠島(かんむりじま)も

蓬莱山といわれるのは
大陸の伝承によるといいます。

さらに、
冠島のとなりの島を
沓島(くつじま)というのも

帽子と靴の関係であり
大陸由来なのだといいます。

いずれにせよ、
さまざまなものが
流れつく地なのでしょう。

社務所では、浦嶋神社特製の
おちょこをいただきました。

これでお酒を呑むと
長生きするらしいです。

浦嶋神社のおちょこ

お祭りの日に使いはじめる
のがいいそうですが

そうでなくとも
朝一番の水を汲めば
使っていいそうです。

浦嶋神社のおちょこ
浦嶋神社のおちょこ

なにからなにまで
心弾む神社さんです。

三兄弟

浦嶋神社よりさらに
筒川をくだった河口あたりに

大太郎嶋神社
があります。

こちらは、
浦嶋子の両親である

父・浦嶋太郎(うらしまたろう)
母・垂乳根(たらちね)

を祀るといいます。

どうやら、
浦嶋太郎とは
浦嶋子の父の名であり

浦嶋子とは
浦嶋太郎の子という
意味もあるようですね。

さらに、
父・浦嶋太郎は
3兄弟だったらしく

長男・
浦嶋太郎

次男・
曽布⾕次郎

三男・
今⽥三郎

というようですね。

浦嶋神社の
近隣には

曽布谷次郎屋敷跡碑や
今田三郎屋敷跡碑が
あるといいます。

麓神社の地で
ヲケ・オケをかくまったのは
今田三郎だといいますが

浦嶋太郎の弟であり
浦嶋子の叔父だったようですね。

だとすると、
『浦島太郎』というのは

嫡男を海でなくして
失意のままなくなった
領主の名だったのかもしれませんね。

浦島太郎の屋敷は
布引き滝の麓にあったとも
いうようです。

宇良神社の扁額

所在地

〒626-0403
与謝郡伊根町本庄浜191

京丹後めぐり9

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京丹後めぐり
京都の北にある丹後半島周辺をめぐります。

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