引っ越し作業中

亀岡めぐり4 薭田野神社

薭田野神社の神域の木京都

薭田野神社

蛭子(えびす)神社から
篠山(ささやま)街道を
西へ2キロほどゆくと

薭田野(ひえだの)神社
があります。

境内からは
弥生時代の祭祀跡がみつかり

およそ
3000年前からつづく
聖地だったといいます。

薭田野神社の由緒

和銅二年(709年)になると

丹波国主の
大神狛麻呂(おおみわのこままろ)
によって

薭田野神社の
社殿が創建されると

佐伯(さえき)郷
産土神とさたようですね。

平安時代にまとめられた
延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)
にも記載がのこる

式内社(しきないしゃ)
だそうです。

大鳥居

薭田野神社の鳥居

薭田野神社の
大鳥居(おおとりい)は

京都府内では
平安神宮(へいあんじんぐう)
次いで二番目に大きいそうです。

たしかに、とても
迫力のある鳥居です。

祭神

薭田野(ひえだの)
というように

食べ物(薭)の神・
保食命 (うけもち)

田の神・
野椎命 (のづち)

山(野)の神・
大山祇命(おおやまずみ)

を祀るといいます。

五穀豊穣の神として
弥生時代からすでに、こうした
自然神を祀っていたようです。

祭神にも古代祭祀の
名残があるようですね。

薭田野神社の境内

神仏習合

平安時代中期には
神仏習合によって

真言宗(しんごんしゅう)の
神宮寺(じんぐうじ)として
栄えたといいます。

鎌倉時代になると
八幡(はちまん)信仰
はいりこんで

稗田八幡宮(ひえだはちまんぐう)
といわれたようです。

やがて、
明治時代の神仏分離によって
寺院が廃されるとようやく

もとの社名である
薭田野(ひえだの)神社
へもどったようです。

ガン封じ

鎌倉時代の
八幡信仰以来この地は

ガン封じの霊験がある
ことでひろく知られたといいます。

境内には、そんな
ガン封じにあやかった
モニュメントがならび

それらを巡拝することで
ガン封治祈願とするようです。

癌封治瘤の木

石の環くぐり

御本殿

必勝氣願石

幸魂奇魂の魂石

とまわるようですね。

癌封治瘤の木の案内板

『癌封治瘤の木』は
瘤をなでると
御利益があるそうです。

薭田野神社の石の環くぐり

『石の環くぐり』は
心願成就を援けるといいます。

薭田野神社の磐座

『必勝気願石』には
親子の白蛇の模様が
浮かんでいるそうです。

薭田野神社の不思議な魂石

『魂石』は
神の力を授けるそうです。

また、拝殿前にある
灰を持ち帰って
玄関に置いておくと
厄払いになるといいます。

薭田野神社の清めの真砂

薭田野神社には
疫病退散・悪病退散
御神徳もあるようです。

稗田阿礼

古事記(こじき)の
編さん者のひとりである
稗田阿礼(ひえだのあれ)

この地・
桑田郡佐伯郷原野の出身である
という伝承があるらしく

境内には
稗田阿禮(ひえだのあれ)社
祀られていました。

稗田阿礼社の鳥居

たぐいまれな
記憶力と識字力をもつ
稗田阿礼は

第40代・
天武(てんむ)天皇の命により

帝紀(ていき)
旧辞(くじ)
という歴史書を

くりかえし口に出しながら
詠みあげて学んだといいます。

そうして新たに
歴史書をつくるさいは

稗田阿礼の口伝を
太安万侶(おおのやすまろ)
が書きしるして

和銅5年(712年)に
古事記が完成したといいます。

稗田阿礼の案内板

稗田阿礼の出身地
という伝承は、そこまで
定かではないようですが

氏子のかたがたの
総意もあって

平成21年に創建された
といいます。

ですから、
稗田阿禮社は比較的
新しい神社のようです。

薭田野神社の稗田阿礼の石碑

古代祭祀場

境内の森の奥にある
盛り土された場所が

弥生時代よりつづく
古代祭祀の跡だといいます。

盛り土のまん中には
ご神木がのびていました。

薭田野神社の神域の木
薭田野神社の神域の木

あまりの心地よさに
はあああああ
と声がもれてしまいます。

太古へと
思いをはせるひとときです。

佐伯灯篭祭

8月14日には
『佐伯灯篭祭』
があるといいます。

重要文化財に
指定されている
奇祭であり

周辺の
4つの神社と合同で
五穀豊穣を祈る祭
だそうです。

祭のあいだ
神社や郷の各所で

日本一小さな
串人形(くしにんぎょう)
を使った

人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)
が上演されるといいます。

佐伯郷の4社とは、

  • 薭田野神社
  • 御霊(ごりょう)神社
  • 若宮(わかみや)神社
  • 河阿(かわくま)神社

だそうです。

ということで、
各社も訪ねてみました。

御霊神社

薭田野神社から
600メートルほど
南西にゆくと

御霊(ごりょう)神社
があります。

御霊神社の鳥居と社号碑

境内には、
千数百年来の巨木がならび
古くからの聖地であることが
うかがえます。

御霊神社の神木

悪疫や天災をしずめるため
原因となる怨霊を祀るという

御霊(ごりょう)信仰による
神社のようです。

とはいえ、こちらも
古代祭祀を思わせる地でした。

若宮神社

薭田野神社より
800メートルほど
南へゆくと

若宮(わかみや)神社
があります。

若宮神社の鳥居と境内

山辺にあるこの神社は
水の神社という印象でした。

若宮神社の神池

水辺の祭祀場に
とりわけ惹かれました!

こちらも、鎌倉時代に
八幡信仰がはいってきて
若宮八幡宮となったようです。

八幡神こと、第15代・
応神(おうじん)天皇
御子である

第16代・
仁徳(にんとく)天皇
祀ることから

「若宮」というようです。

河阿神社

薭田野神社から
2キロほど北西にゆくと
河阿(かわくま)神社
があるといいます。

今回は、ちょっと遠くて
行くことができませんでした。

社伝によれば
2000年ほどまえから
祭祀が行われた地であり

九州から移ってきた
採鉱や冶金をおこなう
一族によって担われていた
とされるようです。

御神体が
蛇の骨であったり

人身御供の伝承や
巨大なヒヒの伝承もあり
とても興味深い神社です。

どの神社さんも
古代とつながる場所であり
土地そのものに意味がある

ように感じました。

もしかすると、そうした
古代祭祀が佐伯灯篭祭の
原型になっているのかもしれません。

五穀豊穣の祭り

五穀豊穣を祈る
「佐伯灯篭祭」は

五穀をそれぞれ
5基の神灯篭にわけて

神輿(みこし)とともに
練り歩くそうです。

クライマックスは
大太鼓の乗る車を
神輿で押し倒すといいます。

これは
男女の和合をあらわす
のだそうです。

豊饒とは、作物にかぎらず
人間の繁栄でもありますから

ひとびとが子を産んで
殖えひろがってゆくこと

にもつながるようです。

佐伯灯篭の夜は
「女性のほうが男の家に夜這いに行く」
という風習もあったようです。

薭田野神社には
女性守護の神徳もある
そうですが

この風習も関わっている
のかもしれません。

参照動画

亀岡めぐり5 へ つづく

 
 ☆亀岡めぐり全記事リスト☆

コメント

タイトルとURLをコピーしました