乙女神社
藤社(ふじこそ)神社から
鱒留川(ますどめがわ)沿いを
2キロほど上ってゆくと
乙女(おとめ)神社
があります。
こちらは
天女の娘を祀る神社
だといいます。
羽衣伝承
京丹後には
羽衣(はごろも)伝承
が残っているようです。
天から降りてきた天女が
裸で水遊びをしている間に
羽衣を隠してしまい
天に帰れなくなった天女を
わが物にするという伝承です。
丹後国風土記には
和奈佐(わなさ)夫婦の
物語が描かれていましたが
この地にはまた
別の伝承があるといいます。
三右衛門
比治(ひじ)の里には
三右衛門(さんねも)
という若い狩人が
住んでいたといいます。
ある日、サンネモは
磯砂山(いさなごさん)の
山頂にある池で
8人の天女が
水浴びしているのを
見かけたそうです。
そこでサンネモは
天女の羽衣を宝物とするべく
ひとつだけ隠したところ
ひとりの天女が天へと
帰れなくなってしまいました。
そこでサンネモは
その天女を家に連れ帰って
妻とすると
天女とのあいだに
3人の子をもうけた
といいます。
天女は
農業や養蚕や機織りや酒造り
がとても上手かったらしく
サンネモの家はもとより
比治の里までもが
豊かになったそうです。
けれども天女は
天を恋しく思うあまり
サンネモの留守中に
娘たちから隠し場所を
聞き出すと
大黒柱の穴にあった
羽衣を見つけて
ひとりで天へと
帰っていったそうです。
乙女神社の案内板には
このように書かれていましたが
ここからさらに
こんな話も続くようです。
天女はサンネモに
「またわたしに逢いたかったら
この夕顔の種を植えてください」
と言い残したといいます。
そこで
サンネモが種を植えると
蔓はぐんぐん伸びて
天と地を繋いだそうです。
何日もかけて
蔦をのぼったサンネモは
天人に迎えられ
天女と幸せに暮らした
といいます。
サンネモは天上界で
瓜畑の番をすることに
なったのですが
絶対に食べてはいけない
といわれていたこの瓜の実を
仕事のあいまに
食べてしまったそうです。
すると
大洪水がおこって
サンネモは下界まで
流されてしまいました。
これを見ていた天女は
「7日、7日に逢おう」
と叫んだのですが
天邪鬼によって
「7月7日に逢おう」
と伝えられてしまったそうです。
こうしてふたりは
年に1度
七夕の夜にしか
会えなくなったといいます。
別の伝承では
サンネモは瓜畑の番ではなく
天の川に橋をかける仕事を
おこなったといいます。
仕事の合間には
妻(天女)のことを
思い出してはいけない
といわれていたのですが
あとわずかで完成する
というときにふと
妻を思い出してしまったところ
大水(洪水)が押し寄せて
下界まで流されたといいます。
後半は
七夕伝説なども混ざりあった
不思議な話になっています。
また、
天地を結ぶという伝承は
天橋立にもありました。
乙女神社では
天女とサンネモの
三人の娘のうちのひとりを
祀っているといいます。
ほかの娘たちは
奈具(なぐ)神社
多久(たく)神社
にそれぞれ
祀られているようです。
この3つの神社は
直線上にあるとも
いわれるようですね。
こうしたことから
乙女神社にお参りすると
美しい女の子を授かる
といわれるようです。
また
天女とサンネモの子孫は
いまでも比治の地に
暮らしているといいます。
豊宇賀能賣神
ご祭神は
豊宇賀能賣神(とようかのめのかみ)
となっています。
一般的には
豊受大神(とようけおおかみ)や
豊宇気毘売神(とようけびめ)を
あらわすようですが
この地では
天女の娘をあらわすようです。
乙女神社には
社が3つあるのですが
中央が本殿であり
豊宇賀能賣神こと
天女とサンネモの
娘のひとりを祀っています。
八柱神社
本殿の右には
八柱神社があります。
こちらは
豊受大神(とようけおおかみ)
倭伴神(やまととものかみ)
を祀っているそうです。
豊受大神とともに
豊受大神の神霊をお祀りする
八乎止女(やおとめ/八乙女)
を祀っているのでしょうか?
吉野神社
本殿の左には
吉野神社があります。
大山祇神(おおやまずみ)
火産霊命(ほむすび)
祀っているといいます。
磯砂山(比治山)の
守護として
山の神・大山祇神と
火の神・火産霊命を
祀っているのでしょうか。
真名井の池
磯砂山の山頂には
かつて池があったらしく
真名井の池
といわれたようです。
「真名井(まなゐ)」とは
清らかな水が湧く井戸のこと
と聞いていたのですが
ほかに
神々が掘られた井戸のこと
という説もあるようです。
ホツマツタヱから
解釈すればこれは
古代の指導者が
農地開拓のために掘った井戸
ということにもなりそうです。
磯砂山の真名井の池は
露や雨水をたくわえており
天から授かった穢れのない水
という意味だったらしく
神聖な行事に
使われていたといいます。
ですから
ウケミズ(笠水)
ともいわれていたようです。
どうやらこれは
トヨウケ(豊受大神)の水
の略語であるようです。
真名井の池が
神聖な水であったとするなら
天女の水浴びとは
穢れを落とすという
禊の行事だったのかもしれません。
やはり天女というのは
豊受大神の神霊をお祀りする
巫女のことだったのでしょうか。
もしかするとここには
磯砂山で潔斎を行うための
禊小屋があったのかもしれませんね。
ハヤコ妃
比治の里の狩人を
「サンネモ(三右衛門)」
といっていたのも気になります。
なぜあえて
「サンネモ」と
読ませているのでしょう。
この名はどこか
ホツマツタヱの神々にも
通じるような名でもあります。
サンネモと天女には
3人の娘が生まれたといいますが
ホツマツタヱによれば
京丹後というのは
天照大神とハヤコ妃が
3人の娘をもうけた地でもあります。
タケコ・タナコ・タキコ
という三姉妹であり
いわゆる
宗像三女神にあたります。
天照大神には
合わせて8人の子があった
というのですが
男の子は5人
女の子は3人
という内分けでした。
これもまた
羽衣伝承と通じている
ようにも感じます。
所在地
〒627-0053
京都府京丹後市峰山町鱒留433
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