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京丹後めぐり1 吉野神社

天橋立の眺め京都

京丹後

京都の北部にある
丹後(たんご)半島
をめぐります。

若狭湾(わかさわん)
の西側にあたり

丹後半島と栗田半島に
はさまれた内湾の
宮津(みやづ)湾は

日本三景のひとつ
天橋立(あまのはしだて)
でも知らています。

桜山

JR天橋立駅から
北西に300メートル
ほどゆきまして

踏切りのとなりから
山道をすこしのぼると

桜山(さくらやま)展望所
があります。

桜山の案内看板

天橋立の
絶景ポイントといえば

南側の
天橋立ビューランド

北側の
天橋立傘松(かさまつ)公園
が知られていまして

リフトに乗って
山頂ちかくまであがり

天橋立を
「股のぞき」して
愉しむといいます。

天橋立ビューランド

けれども、
時間をかけたくないときや
人ごみが苦手なかたは

やや低くはありますが
徒歩数分で登れる

桜山展望所も
良いかもしれません。

桜山の由来

桃山時代に
宮津(みやづ)城を築いた
細川幽斎(ほそかわゆうさい)
というかたが

大和国(奈良)の
吉野桜(よしのざくら)を
植えた
ことから

桜山(さくらやま)
というようです。

かつては、ここが
絶景ポイントだったようですね。

天橋立の眺め

吉野神社

桜山展望所より
南東へ100メートル
ほどゆくと

吉野(よしの)神社
があります。

吉野神社の鳥居

天橋立の
南のたもとには

日本三大文殊のひとつ
智恩寺(ちおんじ)
がありますが

ここはかつて
智恩寺の鎮守社
だった
らしく

もともとは
三宝荒神(さんぽうこうじん)
を祀っていたといいます。

それが、
明治時代の神仏分離によって
吉野神社となったようですね。

吉野神社のご由緒

細川幽斎の吉野桜から
吉野の名がついたのでしょうか?

だとしたら、
ご祭神も吉野ゆかりの
勝手神(かってがみ)
かもしれませんね。

吉野神社の拝殿

三宝荒神といえば
兵庫県西宮市にある
神呪寺(かんのうじ)には

ソランジン(麁乱荒神)という
大鷲の伝説がありましたが

神呪寺を開いた
如意尼(にょいに)

天橋立の
北のたもとにある

籠(この)神社
の社家の出身であり

海部厳子(あまべのいつこ)
というお名前だったといいます。

また、智恩寺は
808年の創建当時

真言宗の寺院だった
といいますから

如意尼と空海のように
籠神社と智恩寺が
南北でならんでいる
としたら面白いですね。

とはいえ、
現在では智恩寺は
臨済宗妙心寺派のお寺
だといいます。

境内社

境内には
恵美須(えびす)神社
廣峯(ひろみね)神社
稲荷(いなり)神社

がならんでいました。

吉野神社の境内社

稲荷神社の祭神は
橋立(はしだて)稲荷大明神
というようですね。

もしかすると、
三宝荒神のなごり
かもしれませんね。

吉野神社の橋立稲荷
吉野神社の橋立稲荷の扁額
吉野神社の橋立稲荷

不思議な魅力のある
お稲荷さんですね。

恵美須神社は
「宮津境の蛭子尾」
にあったというので

西宮(にしのみや)神社
蛭子大神(ひるこ)こと
ワカヒメでしょうか?

内湾になっているので
さまざまなものが流れつく
漂着神としての「えびす」
を祀るのかもしれません。

恵比須神社

廣峰(ひろみね)神社は
兵庫県姫路市にある
廣峯神社が総社であり

神仏習合の神・
牛頭天王(ごずてんのう)
を祀るそうです。

ただし、神仏分離後は
素戔嗚尊(須佐之男神)
となるようですね。

廣峯神社

中井権次一統

本殿中央にある
龍の彫り物は

江戸時代の宮大工だった
中井道源にはじまる一派

中井権次一統
(なかいごんじいっとう)
の作であるらしく

6代目・権次橘正貞
の手によるようですね。

これらの
彫り物をめぐる旅も
あるといいます。

吉野神社の本殿の彫り物
この彫り物も中井権次一統でしょうか?

吾野神社

平安時代にまとめられた
延喜式(えんぎしき)
神名帳(じんみょうちょう)には

丹後国の与謝郡の項に
吾野(わかのの)神社
とあるのですが

吉野神社はその
比定社だといいます。

だとしたら、やはり
歴史ある神社なのでしょうか。

ただ、
吾野神社はほかにも

宮津市須津字吉里の
須津彦(すづひこ)神社

与謝野町加悦字天神山の
加悦天満宮の境内社である
吾野神社が比定されるようで

そちらのほうが
有力なようですね。

所在地

〒626-0001
京都府宮津市文珠287

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京丹後めぐり
京都の北にある丹後半島周辺をめぐります。

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