伊夫岐神社
伊吹山(いぶきやま)
からおりてきて
次のバスがくるまで
すこし時間がありましたから
登山口から
1キロほど北西にある
伊夫岐(いぶき)神社
へ行きました。

拝殿などは
あたらしくみえますが
巨木のうろがあって
そこから木が生えていたり

謎の霊石があったり

神仏習合の名残らしき
鐘楼があったり

梅紋のはいった
石灯篭があったりと

ずいぶん歴史は古いようです。
イブキ氏
伊吹(いぶき)山のふもとにある
伊夫岐(いぶき)神社ですから
この地の産土的な
神社かと思われます。
瑞垣の石柱には
氏子さんらしき
イブキ氏(井吹・伊富貴・伊夫)
のお名前が見受けられました。

遷座
もともとは
伊吹山の山頂に祀られていた社が
ふもとに遷されたらしく
伊吹山の里宮であるとか
伊吹山遥拝のための清めの地
ともいわれるようです。
たしかに、
伊吹山の山頂には
伊吹山寺(いぶきさんじ)
覚心堂(かくしんどう)という
寺院しかなく
日本武尊像のほかには
神社らしきものもないので
不思議に思っていました。
姉川
ご祭神である
イブキドヌシ(伊富岐大神)は
水の神でもあるとして
姉川(あねがわ)の
水を掌握するこの地に
社殿を建てたともいうようです。

たしかに、この地から
姉川をのぼってゆけば
奥伊吹へと進むことができて
金糞岳のほうへと
ちかづいていくようです。
祭神には、
伊富岐大神のほかに
金糞岳(浅井岳)の姫を斬った
多々美比古命(たたみひこ)
もいますから
ここは
製鉄においても重要な地
だったのかもしれません。

姉川といえば、戦国時代に
織田信長(おだのぶなが)が
浅井長政(あざいながまさ)を攻めた
「姉川の戦い」が知られますが
そのさいに伊吹山麓の寺は
ことごとく焼かれたといいます。
かつて、このあたりは
仏教(密教)や山岳信仰で
おおいに栄えていたのでしょう。

息長氏
すこし飛躍しますが
「伊吹」は「息吹」とも書きますし
息長(おきなが)氏
ともつながるようですね。
姉川を4キロほど下ると
「敏達天皇皇后廣姫 息長陵」
があります。
第30代・
敏達(びんだつ)天皇の皇后・
広姫(ひろひめ)は
息長氏だったといいます。
「息長陵」というように
伊吹山のふもとにあたる
米原(まいばら)市の地は
息長氏の本拠地だったといいます。
神功皇后
息長氏といえば
第14代・
仲哀(ちゅうあい)天皇の皇后・
息長足姫(おきながたらしひめ)
が知られているようです。
またの名を
神功皇后(じんぐうこうごう)
といいまして
夫・仲哀天皇が身罷ったあとも
さまざまな霊力を発揮して
日本の統治をおこなったという
女帝的存在です。
神功皇后さまとは
ぼくもご縁が深いのですが
またいずれ
別記事にて書くことにします。
神功皇后こと
息長足姫さまのご実家も
10キロほど南西にある
山津照(やまつてる)神社
のあたりだといいます。
そこには息長古墳群もあり
息長氏の族長が暮らした地
だったようです。
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