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龍田めぐり2 龍田古道

龍田山からの眺め奈良

龍田古道

龍田大社(たつたたいしゃ)から
日本最古の官道ともいわれる

龍田古道(たつたこどう)
をたどります。

飛鳥時代以前から
大和(奈良盆地)と
河内(南大阪)を結ぶ

主要な山越えルート
だったようですね。

龍田古道の案内

神奈備神社

龍田大社より
南へ300メートルほどゆくと

龍田大社の境外末社
神奈備(かむなび)神社
があります。

神奈備神社の社号碑

神奈備といえば
神霊の宿る依り代のことで

ほかにも
神南備・神名備・甘南備・神名火
などなどの字をあてるようです。

神奈備神社の参道

御神体山のことを
神奈備山といったりもしますが

ここでは、
神が住む森(杜?)
という意味で使われているらしく

龍田大社の
神苑を守護する社だった
のかもしれません。

神奈備神社の本殿

いまでは、
境外となっていますが

かつてはここも
龍田大社の境内だったのでしょう。

神奈備神社の天満宮の碑

ご祭神は
神奈備神
坂根(さかね?)天神
今井(いまい?)天神

だといいます。

天神が祀られることから
天満宮とされていたようですが

おそらく
「天津神」という意味の
「天神」なのでしょう。

とはいえ
お名前から察するに

社家に由来がある
のかもしれません。

神奈備神社の看板

磐瀬の杜

神奈備神社から
南西に300メートルほどゆくと

JRの線路沿いに
磐瀬の杜(いわせのもり)
があります。

磐瀬の杜の碑

公園にもみえますが
龍田大社の飛び地境内
だといいます。

「磐瀬の杜」とは
万葉集にも詠まれた
故地だそうです。

ただし、その場所には
この近辺で3か所ほど
候補地があるようです。

磐瀬の杜

ここはあくまで
記念碑的なもので

候補地のひとつが
大和川の河川工事によって
なくなってしまったので

そのすぐ近くに
再建されたといいます。

ここには
鏡王女(かがみのおおきみ)
の歌碑もあります。

磐瀬の杜の歌碑
磐瀬の杜の看板

神奈備乃 伊波瀬乃社之 喚子鳥
痛莫鳴 吾戀益


かむなびの いはせのもりの よぶこどり
いたくななきそ あがこひまさる

『万葉集 巻八』鏡王女(藤原鎌足の正妻)

神奈備神社の由緒には
こんな歌もありました。

神名火乃 磐瀬社之 霍公鳥
毛無乃岳尓 何時来将鳴

かむなびの いはせのもりの ほととぎす
ならしのをかに いつかきなかむ

『万葉集 巻八』 志貴皇子(天智天皇の御子)

これは、鏡王女の歌を
本歌取りした(もと歌にした)
のかもしれませんね。

『来将鳴』は
「こなかむ」と読むならば

『喚子鳥(よぶこどり)』の
「子(こ)」に掛かりそうです。

現代語訳も
諸説あるらしいので
あまり触れませんが

「神奈備の磐瀬の杜」とよむと
「龍田(たつた)」や
「立野(たつの)」が想起されて

気持ちや血縁を
「断(たつ)」に掛かる
のかもしれませんね。

三室山古墳

龍田山の東には
標高137メートルの
三室山(みむろやま)
があります。

「三室(みむろ)」も
「神奈備」とおなじ意味で

神が籠るということから
神室(かみむろ・かむろ)
御室(みむろ・三室)
というようですね。

ですから、
三輪や飛鳥をはじめ
神奈備といわれる地には

「三室(みむろ)」
「御諸(みもろ)」などが
地名として残るようです。

ホツマツタヱにおいても
神々はなくなるとき

みずから
「ムロ(室)」にはいった
という記述があります。

これを
「墓に入った」
ととることもできそうですし

「磐座に神霊を宿した」
ととることもできそうですが

なんにせよ、
土地ゆかりのかたが眠る地を
「ミムロ」という
のかもしれませんね。

そんな、三室山には
古墳があるといいます。

三室山古墳の看板

7世紀前期の
方形墳だそうです。

双墳に二石室を築いてある
珍しいものだそうですが

これも、龍田大社で
1対の夫婦神が祀られている
ことに関わりがあるのでしょう。

三室山の古墳
三室山の古墳

龍田神社本宮跡

三室山の山頂を越えて
すこしゆくと

龍田大社の
本宮跡(ほんぐうあと)
があります。

龍田神社本宮址の碑

「大社」というのは
近代の呼称ですから

石碑には
『龍田神社』とありますね。

龍田神社本宮址の碑

あたりには祭壇のような
石積み跡みられます。

また、祀られていたらしき
磐座もいくつかあるようです。

龍田神社本宮址の磐座
龍田神社本宮址の磐座
龍田神社本宮址の磐座

ここが、いわゆる
龍田大社の旧社地
だったようですね。

ここなら水害なく
奈良盆地の見晴らしも
よさそうです。

ただ、現在では
三室山の山頂をこえると

奈良県ではなく
大阪府となるようです。

御座峰

龍田大社の祭神が
降臨したという伝承地・

御座峰(ござがみね)
にやってきました。

御座峰の看板

こちらは、
標高321メートルの
龍田山(たつたやま)
の頂上ちかくのようです。

龍田神社本宮跡とおなじく
龍田大社の飛び地境内
であり

いまでも
祭祀が続けられるようです。

龍田山伝承地の碑

神域として
管理されているらしく

祭祀場のほうは
立入禁止となっていました。

龍田山の御座峰

また、御座峰から
龍田大社へ向かう道は

神降り(かみくだり)の道
ともいうようですね。

ここまでくると
眺めもとても良いです。

龍田山からの眺め

中央部やや下(運動場の右側)
にみえている森が
龍田大社のある森です。

奈良盆地だけでなく
遠くには

伊賀富士ともいわれる
尼ヶ岳(あまがたけ)や

標高1200メートル
を超える

三峰山(みうねやま)
高見山(たかみやま)
までみえているようです。

また、このときは
近隣のかたが
捕まえたのであろう

山猪が檻のなかで
眠っていました。

龍田山の猪

生きているのか
寝ているのかと
騒いでいると

片まぶたをゆっくり開けて
じろりと睨まれましたので
あわてて退散しました。

今回は、ここまでですが
このまますすんでいけば

金山媛(かなやまひめ)神社
金山彦(かなやまひこ)神社

などもあるといいます。

どうやら、
古代にはこのあたりで
製鉄や鍛冶も行われていた
といいます。

だとすれば、
タタラ場のような意味で
風の神をお祀りした

ということもあるのでしょうか?

猪はどこか
伊吹山イブキドヌシ
思いおこしてしまいます。

亀の瀬

大和(奈良盆地)と
河内(南大阪)をむすぶ
大和川(龍田川)の

亀の瀬(かめのせ)
あたりは

大和盆地へ
西風を吹かせる地
とも
考えられていたらしく

それによって
風神が祀られた
ともいうようですね。

龍田古道というのは
龍田山を越えてゆく
神降りの道だけでなく

大和川(龍田川)沿いの
ルートもあるらしく

こちらのほうが
勾配もすくないので
楽に行き来できそうです。

亀の瀬にある
亀岩という磐座も
いずれ見てみたいです。

龍田めぐり ~終~

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