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検証ほつまつたゑ122号 イナリ考

検証ほつまつたゑ122号の表紙検証ほつまつたゑ

検証ほつまつたゑ

ホツマツタヱ研究の専門同人誌・
『検証ほつまつたゑ よみがえる縄文叙事詩』
第122号(令和4年8月号)に
掲載していただきました!

本当にいつも
ありがとうございます🥰

表紙は、ホツマツタヱの
ソサノヲイフキドヌシ
再会のシーンだそうです。

ホツマツタヱの
漫画化企画も進んでいるらしく
すごくすごく楽しみです!

さて、今回は
ホツマツタヱからみる
稲荷信仰(いなりしんこう)
についてまとめました!

こちらにも転載しますので
よろしければご覧くださいませ。

検証ほつまつたゑ122号本文

イナリ考 ~稲荷信仰~

天照大神の時代におこった
反乱勢力『ハタレ』のうち

キクミチの一団が
皇軍にくだって

カダマロの祖先・
ウケモチを祀ったのが

ホツマツタヱにおける
稲荷信仰のはじまり
だといいます。

伏見稲荷大社

キクミチは
キツネ(狐)が憑いた
とされる一団であり

頭目の3兄弟は
「ミツキツネ」
ともいわれます。

長男はヤマタ
次男はハナヤマ
三男はアスカノ

にわかれて、それぞれ
祭祀をおこなったそうです。

なかでも、
ハナヤマ

京都・山科盆地の
花山(はなやま・かざん)
といわれるらしく

これがのちの
伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)
へつながるといいます。

伏見稲荷大社奥宮の磐座
伏見稲荷大社・奥宮の磐座

稲荷信仰は、一般的には
伏見稲荷大社の
創建(711年)とともに
はじまったといわれます。

山城国風土記によると
稲を積みあげるほど裕福だった

秦伊侶具(はたのいろぐ)
餅を的にしたところ

餅が白鳥となって飛び翔けて
山の峰におり

『伊禰奈利生(いねなりおひき)』
したので

ここに
「伊奈利社」を築いたそうです。

『伊禰奈利生』は
稲が生長したのか
白鳥が子を生んだのか
諸説ありますが

この故事からあたりを
「鳥部(とりべ)」
ともいったようです。

ホツマツタヱには

      たはたのとりお
おわしむる

ホツマツタヱ 8アヤ

とあり

皇軍にくだったキクミチには

「田畑を荒らす鳥を追い払わせた」

といいます。

「田畑の収穫率(とり)をあげる仕事に就かせた」

のでしょうか。

キクミチは
「とり部」の役職について

稲荷山の西麓(深草)に
暮らしたのかもしれません。

お塚・命婦谷
お塚(命婦谷)

イナルカミ

      たねかしまつる
いなるかみ のりゆみひらき
もちまてに

ミカサフミ ナメコトノアヤ

      さびらきまつる
ゐなるかみ

ミカサフミ ナメコトノアヤ

ミカサフミによれば

2月に稲種の発芽をうながし
4月に早苗を植えるという

行事を司るものを
『いなるかみ』
といったようです。

これも「稲が成る」
からでしょうか?

2月は、
「のりゆみ=流鏑馬」をおこなう
『むままつり(馬祭)』
もひらかれたといいます。

これが、稲荷神社の祭礼・
「初午祭(はつうままつり)」
となるようですね。

『もちまてに』は
弓矢を「両手(まて)に持つ」
実りが「満ちるまで待つ」
の意味があるようですが

これが、
「餅を的にする」に変化した
のかもしれません。

伏見稲荷大社の狛狐
本殿前の狛狐

空海

東寺(とうじ)
の社伝によれば

伏見稲荷大社の創建は
弘法大師(こうぼうだいし)・

空海(くうかい)
によるといいます。

空海は縁故の深い
老翁神をもてなして

東寺の北東の長者邸に
停泊いただいたそうです。

そして、
五重塔の建築資材を
稲荷山から調達したさい

老翁神には方位守護として
稲荷山にご鎮座いただいたのを

伏見稲荷大社の
はじまりとするようです。

老翁神は
「稲束を荷った姿」
だったことから
稲荷大神といわれ

長者邸は
伏見稲荷大社御旅所
になったそうです。

4月の祭礼・
「稲荷祭(いなりまつり)」
では

伏見稲荷大社から
東寺の御旅所まで
神輿が渡御するといいます。

伏見稲荷大社御旅所
伏見稲荷大社御旅所

荷田氏

別伝によれば
稲荷山にいたのは

荷田竜頭太(かだのりゅうとうた)
という神であり

空海との出会いによって
真言密教に帰依したといいます。

こちらも
「稲を荷っていた」から
「荷田(かだ)」というようです。

荷田氏といえば
伏見稲荷大社の社家
として知られますが

創建以前から暮らしていた
土着の氏族
とされるそうです。

空海の母方にあたる
阿刀(あと)氏は
荷田氏の流れをくむらしく

空海と荷田氏は
血縁で結ばれていたようです。

カダ(荷田氏)の
血が流れる空海を

カダに仕えた
キクミチの末裔(秦氏)が
支援する
のもうなずけます。

東寺の八島殿と五重塔
東寺・五重塔と八島殿

荼枳尼天

田畑の豊穣を祈るという
日本古来の稲荷信仰は

空海が
大陸よりもちかえった地母神・
荼枳尼天(だきにてん)
と習合して

仏教寺院にも
ひろがっていったようです。

野干(やかん・ジャッカル)
に乗る姿を描くことで

キツネは眷属である
伝えようとしたのでしょうか?

稲荷大神とキツネの
主従関係は

カダとキクミチの登場する
ホツマツタヱでなければ
わからない
といいます。

また、
仏教の不殺生の教えによって

豊穣の返礼として
キツネの巣に供えられていた
「ねずみの油揚げ」

豆腐の「あぶらあげ」に
代わったようです。

お塚・熊鷹社
熊鷹社

タントラ

空海は荼枳尼天によって
タントラ(性秘儀)
を持ちこんだようです。

密教では欲望を否定せず
うまく付き合うことで

悟りをひらいたり
あらたなものを創造する
活力としていたようです。

真言第一祖・
大日如来(だいにちにょらい)
につづく

真言第ニ祖・
金剛薩埵(こんごうさった)
の化身といわれる

愛染明王(あいぜんみょうおう)
愛欲の境地にいるといいます。

愛染明王は、別名を
吒枳王(だきおう)
というそうです。

「ダキ尼(荼枳尼天)」も
「ダキ王(愛染明王)」も

みずからの
欲望の炎に焼かれたような
赤い姿で描かれています。

これは、
ハタレも悩まされたという
日に3度の高熱でしょうか?

どこか、
鳥居の「赤」にも
通じていそうです。

伏見稲荷大社の千本鳥居
伏見稲荷大社の千本鳥居

稲荷山の山上での
祭祀をおこなっていた
伏見稲荷大社は

室町時代のなかごろに
麓に遷座したといいます。

しかし、すぐに
応仁(おうにん)の乱がおこり

麓も山上の社も
ことごとく焼失したそうです。

復興のさいには
境内にあった本願所に

東寺管轄の
愛染寺(あいぜんじ)
をおいて荼枳尼天を祀り

熱心な勧進を
おこなったといいます。

欲望渦巻く戦乱の世を
欲望を「糧」とする仏を祀ることで
切り抜けたのかもしれません。

伏見稲荷大社の境内
愛染寺があったとされる拝殿の北側

男神・愛染明王
女神・荼枳尼天による

男女和合の教え
タントラが行われていた
のかもしれませんね。

「性」は「聖」に通じる
ともいいますから

たんなる淫靡なもの
ではなかったことでしょう。

東寺の境内には
「雌夜叉」
「雄夜叉」
という

2つのお堂が
ならんでいるのですが
これももしかすると

「ダキ尼(荼枳尼天)」
「ダキ王(愛染明王)」


をあらわしている
のではないでしょうか?

いろかえて

いろかえて さきみたれたる
きくみちの ここさわゆくや
ひめおとり むらくもたびや
ほたるびの わらひあざけり
いかりびの あおたまはけば

ホツマツタヱ 8アヤ

ホツマツタヱでは
キクミチの暴れる姿を
このように描いています。

『ひめおとり(姫を娶り)』から
「狐の嫁入り」の騒がしい様子だとか

『たび(灯火)』
『ほたるび(蛍火)』
『いかりび(漁火)』
『あおたま(青魂)』から
「狐火」のこととされる一節です。

もし、これを
「性の儀式(タントラ)」
としてみるならば

「いろ(愛欲)」によって
肌の色を赤く火照らせたり

「いろ(夫婦)」をかえて
「みだれる(和合する)」ことで

「ひ(霊)」の活力を
満たしていたのかもしれません。

伏見神寶神社のモニュメント
伏見神寶神社のモニュメント

「性」の価値観は
時代や民族や宗教によってかわるため
良し悪しは一概にはいえません。

荼枳尼天ももとをたどれば
インドの一部地域で
信仰されていた地母神が

魔女・ダーキニーとして
仏教やヒンドゥー教にとりこまれ

やがて
タントラの女神となったようです。

なんにせよ、
異なる風俗をもつものが
朝廷に迫ってきた
という
危機感は伝わってきます。

興味深いのは
『タントラ』とは
サンスクリット語で
「糸」「織機(はた)」
の意味もあるそうです。

『ハタレ』「秦氏」
「はた」ともつながりそうですね。

お滝・弘法之滝
お滝(弘法之滝)

祭神

伏見稲荷大社は
稲荷山の3つの峰にそれぞれ
上・中・下の社
祀っていたといいます。

食を司る
「御饌神(みけつかみ)」が
「三狐神(みけつかみ)」になった
といわれるようですが

これも、
キクミチ頭領の3兄弟・
「ミツキツネ」よるのでしょう。

伏見稲荷大社の祭神は

宇迦之御魂大神(うかのみたま)
佐田彦大神(さたひこ)
大宮能売大神(おおみやのめ)


にくわえて

田中大神(たなか)
四大神(しの)


の5柱だそうです。

伏見稲荷大社の上社神蹟(一ノ峰)
稲荷山・上社神蹟(一ノ峰)

宇迦之御魂大神

宇迦之御魂大神は
カダの祖先にあたる
ウケモチ(保食神)
のことでしょう。

いわゆる、
稲荷大神のことですね。

佐田彦大神

佐田彦大神は
ハタレ討伐に功労のあった
イフキドヌシソサノヲ
のことでしょうか?

もしくは、
キクミチを従えた
カダのこと
かもしれませんね。

大宮能売大神

大宮能売大神は
ハタレとなった
モチコ・ハヤコ姉妹
のことでしょうか?

もしくは、
天照大神の妃のひとりとなった
カダの娘・アチコ
のことかもしれません。

田中大神

田中大神は
稲につく虫をはらう
カセフのマツリをはじめた

オホナムチ(大己貴命)
のことでしょうが

ここでは、
農業や稲作の守護として
祀られているのでしょう。

四大神

四大神は
モチコ・ハヤコ姉妹の子である

  • ホヒ(天穂日命)
  • タケコ(田心姫・奥津島姫)
  • タキコ(湍津姫・江ノ島姫)
  • タナコ(市杵島姫・厳島姫)

の4子でしょうか?

もしくは、
天照大神のひ孫・
ウツキネ(山幸彦)に仕えて

『シノミヤ(四宮)』の
留守をあずかったという

ヤマクイ(大山咋神)
のことかもしれません。

シノミヤの候補地のひとつが
山科盆地の「四ノ宮」だといいます。

大岩大神の磐座
大岩大神の磐座

まとめ

伏見稲荷大社の祭神は
記紀にも社伝にも残っていないため
さまざまな論争があるようです。

けれども、
ホツマツタヱをひもとけば

すべては
『ハタレ』の動乱にはじまり

祭神まで
見当がつけられそうです。

明治時代に
廃仏毀釈がおこなわれると

伏見稲荷では
「お塚」や「お滝」という
民間信仰が隆盛したようです。

ひとびとの欲望までも救う
という密教の教えは

往古の
キクミチとも呼応して

いまでも
連綿(タントラ)と
続いているのかもしれません。

(おわり)

覚書き

ご拝読ありがとうございます。

性のはなしというのは
センシティブなことでもあり

なかなか
扱うことも難しいですが

太古から
ひとびとにとって
重要なことですから

そうした部分にも
目を向けるきっかけとして

稲荷信仰というのは
とてもよくできている
ように思えるのでした。

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