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検証ほつまつたゑ123号 ウツロヰ考

検証ほつまつたゑ123号の表紙検証ほつまつたゑ

検証ほつまつたゑ

ホツマツタヱ研究の専門同人誌・
『検証ほつまつたゑ よみがえる縄文叙事詩』
第123号(令和4年10月号)に
掲載していただきました!

本当にいつも
ありがとうございます🥰

今回は、
空の神・ウツロヰ
についてまとめています。

現在では
名も残っていない
謎のおおい神でもあります。

こちらにも転載しますので
よろしければご覧くださいませ。

検証ほつまつたゑ123号の本文

ウツロヰ考 ~天神信仰~

ナルカミ

ホツマツタヱのなかでも
ウツロヰはことさら

縦横無尽な活躍をみせる
神さまではないでしょうか?

ウツホ(空)を司る
といわれ

アメノミヲヤ(天之御祖神)による
天地創造のシーンでは

地球(くにたま)を乗りめぐる
ムマ(馬)として登場します。

これは、
天馬[天神の乗り物]
のことであって

鳴り響く『雷』
「馬(乗り物)」として
あらわしているようですね。

伊勢内宮・神馬(草新号)
伊勢内宮・神馬(草新号)

『地震』や『地鳴り』
ウツロヰの管轄とされたようです。

これは
「振動」や「鳴動」というより

それらを伝える
「大気」や「空気」のことで

音を伝えるものが満ちている空間
のことでしょう。

だからこそ、ウツロヰには
ナルカミ(鳴神)
の別名があるようです。

ウツロモリ

自然神(しぜんしん)として
崇敬されていたウツロヰですが

天照大神の孫・
ニニキネ(瓊瓊杵尊)の時代に
ある事件が起こります。

ヤマサカミ(八将神)という
方位を守護する8神のひとりとして

ニニキネの新居(宮)に
祀られていたところ

遷宮当日に落雷があって
瑞垣が一部破壊された
というのです。

雷(鳴神)を司る
ウツロヰは

この凶事の責任を取る
ことになったといいます。

大将軍八神社のモニュメント
大将軍八神社のモニュメント

天照大神は激怒して
「社をひしげ(祭祀を断絶なさい)」
とまでいったようです。

しかし、これは
孫・ニニキネが説得をすると

天照大神は
ヤナヰカクロヒ ウツロモリ
の役職をウツロヰにあたえ

北東にある
一本の木の虚(うろ)を社とする

ように命じたといいます。

1年365日を
ヱト(60日)区切りしたさい

端数となる5日間を守護する
役職であり

  • 12月29日
  • 12月30日
  •  1月 6日
  •  1月14日
  •  5月30日

がこれにあたるようです。

「ヤマサカミ」という
「カミ(神)」から

「ウツロモリ」という
「モリ(守)」に落とされる

降格処分だったようですね。

大将軍八神社の鳥居
大将軍八神社・鳥居

ヲマサキミ

落雷で破壊されたのは
北東の垣だったようで

ウツロヰは被害のあった
北東の隅の木にうつされたようです。

忌むべき方位・
鬼門(きもん)が北東とされるのは
この事件によるのでしょう。

ニニキネは
降格されたウツロヰを
言祝ぎするために

ヲマサキミ(大将君)
の称号をあたえたといいます。

「キミ(君)」とは
集団の長をあらわす尊称ですから

ヤマサカミの筆頭になった
ということでしょうか?

遊行日

ところが、新都のまわりに
民の家々を建てるさいにも
落雷がつづいたといいます。

理由を訊いたところ
ウツロヰは

をたふせす にわやけかれお
われにたす ゆえにとがむる

ホツマツタヱ 21アヤ

と答えたようです。

大将軍八神社の大将軍神像
大将軍八神社・大将軍神像

ウツロヰが言葉を発したのか

ウツロヰの祭祀をするものが
ウツロヰの詞をおろしたのか

それはよくわかりませんが
ここから、ウツロヰは

人格神(じんかくしん)
のようになってゆきます。

ウツロヰは

「ひとびとが糞尿を
領地にまくことが許せなかった」

ようです。

しかし、これも
土地を肥やすための知恵ですから
受け入れてもらうしかありません。

そこで、ヱト(干支)のうち
アヱからヤヱの5日間
居を離れてもらい

そのあいだに
民家を築くようにしたそうです。

「ウツロヰ」の名が
『移ろ居』にかかるので
「遊行日」を設けたといいます。

この案によって
ようやく騒ぎも収まり

ニニキネの都・
ニハリ宮の治世も
長くつづいたようです。

大将軍神社の招霊木
大将軍八神社・招霊木

ワケイカツチ

ニニキネが
富士山に天界をうつした
8つの湖を築いたさい

ウツロヰは
中心となる中峰を担った
といいます。

これよって、
ニニキネは后・
コノハナサクヤヒメ(木花開耶姫)
と出会いますから

おふたりの子を
ウツキネと名づけたのも

ウツロヰ[空木・虚木]による
のかもしれません。

「ウツキネ」の名まえの由来は
5月の花・卯木(ウツギ)から
きているといいますが

卯木(うつぎ)は
幹の中心が空洞になっている
ことから

空木(うつぎ)とも
書くようです。

また、
京都盆地の開拓にも
協力していたのでしょう。

ニニキネの称号である
ワケイカツチのカミとは

『鳴神をわけて土を活かした』
ことからきていて

ウツロヰの力をかりて
土地を発展させた

ことに由来するといいます。

賀茂別雷神の楼門
賀茂別雷神社・楼門

火雷神

さて、
ウツロヰのラストシーンにして
いちばんの謎はここからです。

ニニキネが
神上がりしたあと

喪を弔っていた
タマヨリヒメ(玉依姫)
のもとに

ウツロヰが
あらわれたといいます。

うつろいが うたがいとわく
ひめひとり わけつちかみに
つかふかや

ホツマツタヱ 27アヤ
ウツロヰは疑わしげに

「
なぜ、
姫のようなかたがひとりで

ワケツチカミ(ニニキネ)に
奉斎しているのか?
」

としきりに訊いたようです。

そこで、玉依姫は

ひめこたえ なにものなれば
おとさんや われはかみのこ
なんぢはと

ホツマツタヱ 27アヤ

なぜ脅すようなことをいうのですか?
わたしは神の子です。

あなたは一体どなたですか?

と返したところ

      いえばうつろゐ
とびあがり なるかみしてぞ
さりにける

ホツマツタヱ 27アヤ
ウツロヰは
飛び上がって鳴る神して
去ってしまった

といいます。

こののちに
玉依姫には白羽の矢がおりて
父なし子を生んだというのです。

これはいったい
何をあらわしているのでしょう?

河合神社の鳥居
河合神社[玉依姫の出生地か]

山城國風土記(やましろこくふどき)
によれば

玉依姫は
丹塗りの矢によって懐妊した
とあり

矢とは
火雷神(ほのいかづちかみ)
のこととされるようです。

乙訓坐火雷(おとくにいますほのいかづち)神社
の祭神といわれ

長岡京の北西にあたる
角宮(すみのみや)神社
比定されるといいます。

つまり、
「ウツロヰ=火雷神」
とされているようですね。

天神信仰

火雷神は
平安京の北西にも
祀られていたといいます。

その地には、いまでは
北野天満宮(きたのてんまんぐう)
があり

菅原道真(すがわらみちざね)
を祀る

天神(てんじん)信仰
の総本社となっています。

道真公の尊称である
火雷天神(からいてんじん)
という神名は
ここからきているようです。

角宮神社の鳥居
角宮神社(乙訓坐火雷神社)

菅原道真が
大宰府(だざいふ)で亡くなると

平安京を
おおくの落雷がおそった
といいます。

これは、怨霊となった
道真公の祟りに違いない
と恐れられたので

当時、
北野雷公(きたのらいこう)
として名高かった

火雷神を祀る地に
道真公の御霊を祀ったのが


北野天満宮のはじまり
のようです。

ひとびとはここに
雷除け・雷封じを願った
のでしょう。

さらに、仏教と習合して
天満大自在天神
(そらみつだいじざいてんじん)
の追号があたえられたといいます。

「天満宮」「天神」の名は
ここからきているようです。

「天満(そらみつ)」は
「虚空見(そらみつ)」
が由来とされるらしく

空間に満ちている存在
という意味でもあり

これもまた、
「ウツロヰ」によるでしょう。

こうして、
平安時代以降は

火雷神(ウツロヰ)を祀る地が
菅原道真を祀る地へ変わった

ようですね。

北野天満宮の火之御子神社
北野天満宮・火之御子社
(地主神の火雷神を祀る)

大将軍神

北野には
平安京の方位守護といわれる
大将軍八(だいしょうぐんはち)神社
もありまして

方位を司る
八将神(はっしょうじん)
のひとり

大将軍(たいしょうぐん)
が祀られています。

陰陽道の星神・鬼神であり
艮[北東]の金神(うしとらのこんじん)
ともいわれ、鉱物も司るそうです。

3年ごとに方位をかえ
そのあいだは
万事につき凶だといいます。

ただし、遊行日が
「子」から「辰」の5日間あり
そのあいだは凶事がないそうです。

ウツロヰの役職
『ヤマサカミ(八将神)』

ウツロヰの称号
『オマサキミ(大将君)』から
きているのでしょう。

遊行日も
ホツマツタヱの「ヱト」と
ほぼ一致しています。

ヱトと干支の早見表
上段:ホツマツタヱのヱト
下段:干支(かんし・えと)
[太字が5日間の遊行日]

大阪天満宮(おおさかてんまんぐう)
も、もとは大将軍を祀る社であり

難波宮(なにわのみや)の
北西を守る方位守護だったといいます。

ここもまた、
ウツロヰ(火雷神・大将軍)を祀る地が
菅原道真を祀る地へ変わった

ようですね。

方位守護

気になるのは、
ホツマツタヱでは
北東の守護だったウツロヰが

中世以降は
北西の守護になっていること
でしょうか?

鬼門(北東)守護といえば

日吉(ひよし)神社
猿であったり

稲荷(いなり)神社
狐となっているのは

平安京以降の
秦(はた)氏の隆盛と
関わりがある
のでしょう。

「ナルカミ(鳴神)」
「イナルカミ(稲荷神)」
近似も気になります。

もしかすると、ここには
ウツロヰと玉依姫の一件が関わる
のかもしれません。

玉依姫の子の父親は

ウツロヰ(火雷神)
だったのか

ニニキネの神霊(賀茂別雷神)
だったのか

ヤマクイ(大山咋神[日吉大社])
だったのか

諸説わかれるところです。

ただ、ウツロヰが
これ以降登場していないのは
何らかの失態をおかしたから

ではないでしょうか?

玉依姫はのちに
ウガヤフキアワセズと結ばれて

初代・神武(じんむ)天皇
をお産みになられます。

天皇の母となるにあたって
ウツロヰという存在に何か
不都合があったのかもしれません。

まとめ

いまでは、
「ウツロヰ」という
祭神名は残っておらず

言葉の意味としてわずかに
「移り変わること」
「住まいを移すこと」
などがあるようです。

また、
火雷神(ほのいかづち)
大将軍(たいしょうぐん)
祀る神社も少なくなっています。

しかしながら、
菅原道真公をお祀りする
天神信仰の社は

稲荷神社・八幡神社についで
全国で3番目に多いといいます。

このうち、いくつかが
ウツロヰを祀る神社だったとすれば

古代の
「ウツホ」に対する信仰の名残
みることができるのかもしれません。

(おわり)

大阪天満宮の大将軍社
大阪天満宮・大将軍社

巻末の告知

前回につづいて
NAVI彦のYouTube動画

公式イチオシとして
ご紹介いただいています✨

検証ほつまつたゑ123号の巻末のお知らせ

覚書き

ご拝読ありがとうございます。

ホツマツタヱのなかでも
謎のおおいウツロヰも

追いかけてゆけば
現代の信仰とつながっている

というのは
ホツマツタヱを学ぶうえでも
とても面白いことではないでしょうか?

ぼくは出身が
福岡県の太宰府市でして

菅原道真公の墓所とされる
太宰府天満宮とは
ふかい縁を感じています。

どうやら、菅原道真公も
ホツマツタヱを読んでいた
といわれるらしく

道真公の歌のなかにも
ホツマツタヱの世界が
詠みこまれているといいます。

本当に興味が尽きません😆

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