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検証ほつまつたゑ127号 カマト考

検証ホツマツタヱ127号表紙検証ほつまつたゑ

検証ほつまつたゑ

ホツマツタヱ研究の専門同人誌・
『検証ほつまつたゑ よみがえる縄文叙事詩』
第127号(令和5年6月号)に
掲載していただきました!

本当にいつも
ありがとうございます🥰

今回は、
日本に古くから伝わる
竈(かまど)信仰
について

ホツマツタヱから
ひもといてみたいと思います。

検証ほつまつたゑ127号のカマト考

カマト考 ~竈信仰~

竈神と歴史

竈神(かまどがみ)とは
台所など火をつかう場所に
祀られる神さまです。

特定の教義や組織をもたず
日常生活に基盤をおいた
民間信仰(みんかんしんこう)
のひとつとされるようです。

古事記には

此者諸人以拜竈神者也

古事記 上卷

とあり

古事記がつくられた
奈良時代にはすでに

おおくの人が
竈神を拝んでいたようです。

ここに

奧津日子神次奧津比賣命

古事記 上卷

とあることから

竃神といえば
オキツヒコ
オキツヒメ

のことだといいます。

神道ではさらに
火の神・カグツチをくわえて
竃三柱神(かまどみはしらのかみ)
としても祀られたようですね。

これが、仏教では
三宝荒神(さんぽうこうじん)
になったといいます。

陰陽道では
土公神(どくうじん)
ともいわれるそうです。

いずれにしても
火をつかって調理をおこなう
「竃」に対する信仰


火難除けや家内安全を願う
といいます。

気になるのは
考古学的にみた場合

日本に「竃」がひろまったのは
古墳時代の中期からだった
ということです。

考古学的な「竃」とは
建物の内壁に造り付けられた
火焚き設備で

火のまわりを
土壁で覆うことで熱効率をあげ

上部にあいた穴から
釜や鍋の底を温めつつ

煙は戸外に排出する
構造をもつものをいうようです。

一般的には
渡来の技術といわれ

移動式のものは
韓竈(からかまど)
ともいったようです。

では、旧石器時代から
縄文・弥生時代にかけての
火焚き設備はというと

地面に薪を置いて火を焚いたり
火のまわりを石で囲んだりする
「炉(ろ)」だったといいます。

これが
建物の中心部にあった
ようですね。

いわゆる、
「囲炉裏」の原型でもあるようです。

ただ、
「炉」は外来語ですから

もしかすると、もとはこれを
「カマ(窯)」といった
のではないでしょうか?

ウトグチ遺跡の登り窯
ウトグチ遺跡の登り窯[瓦窯跡]

妹背とナベ・カマ

ホツマツタヱ13アヤには
オキツヒコ夫婦の
喧嘩の話があります。

おふたりを
マフツの鏡に写したところ

夫は「ニステカマ」
妻は「ツクマナベ」
が映ったといいます。

恥じ入ったふたりは改心して
「妹背(夫婦)の道」を説いた
ことから

カマトカミ(竈神)
と称えられたそうです。

「カマ」「ナベ」は
「竈(かまど)」に対する

「釜(かま)」「鍋(なべ)」と
訳されるようですが

火焚き設備を
「窯(かま)」として

調理道具を
「鍋(なべ)」とみるならば

窯の「火」によって
鍋の「水」を沸かす
という

火水ひみつ)の関係
がみえてきます。

「妹背」とは
「妹(女)」と
「背(男)」のことといわれ
女性がさきにきています。

調理においても
「水(女)」が上で
「火(男)」が下ですから

「妹背」に通じた
とされたのでしょうか?

「ニステ」とは
「煮捨て」と訳すほかに

「ニココロ(女心)」を理解しない
「女(に)捨て」の意味もあるといいます。

「ツクマ」には
「クマ(焦げ)が付く」
という意味があるようです。

つまり、
窯の火が強すぎて
鍋を焦がしてしまったばかりか

吹きこぼれた煮汁で
窯まで汚してしまった
ということで

夫・オキツヒコの
無理解を責めているようです。

ヲシテ文字からみても
「カマ」は
「カ(光)」をもたらす
「マ(間)」のことですから

建物の中央(間・マ)にあって
火による光(カ)をもたらすもの

といえるでしょう。

「ナべ」は
「ナ(和)」あわせて
「ベ(辺)」そばに寄りそう
ことですから

カマと
「並(な)べ」るもの

「へ(水)」を温めて
湯を「ナ(成)」すもの
といえそうです。

オキツヒコは
「カマ」「ナベ」の戒めから

男性は女性を盛りたてるもの
優しく接するべしという
夫婦の在り方を学んだのかもしれません。

ではなぜ、
「カマ神」「カマナベ神」
ではなくて

『カマド神』
といわれたのでしょうか?

これは
「カマド」という言葉は本来

火焚き設備の
「竈(かまど)」をさす言葉ではなく
別の意味があったからのようです。

宮地嶽神社境内にある竈
宮地嶽神社の三寶大荒神の竈

暦とトシノリタマメカミ

ホツマツタヱ22アヤは
『オキツヒコヒミツノハラヒ』といい

竈神となった
オキツヒコによる祭祀が
描かれています。

ここだけ
「~アヤ」ではなく
「ハラヒ」となっている
特殊なアヤですから

この祭祀を
重要なものと位置づけていた

ようです。

ここに、
「カマド」の歴史が語られています。

原初神・クニトコタチは
キ・ツ・ヲ・サ・ネ(東西央南北)
という
方位を司る5神を考案して

これを
国家の祭祀の中心に据えた
といいます。

さらに、
クニトコタチの娘・
トシノリタマメカミ(年徳玉女神)
というかたは

民と神を結んで
ひとびとの暮らしを守る

ア・ミ・ヤ・シ・ナ・ウ(編み養う)
6神を考案し

合わせて11神となる
ヰクラ(5臓)ムワタ(6腑)
の神とすると

ヱ・ト(兄弟)
2神との組み合わせによる

60進法の暦(5×6×2=60)
を編み出した
ようです。

このことから
トシノリタマメカミは

ヒビノミカマトノヱトモリカミ
(日々の御竈の兄弟守り神)
と称えられたといいます。

国の政治や法律を司ることは
アマツマツリ(天政)
といい

ひとびとの暮らしを司ることは
クニツマツリ(地政)
といったようですが

「カマド」は
「クニツマツリ」に
関わる言葉だったようです。

天照大神の時代になると
この思想体系を

ヤマサカミ(八将神)
という8神に調えたようです。

もしかすると、
暦は朝廷(伊勢)で

ヒヨミ(日夜見)
が担うようになったため

暦の機能が分離された
のかもしれません。

ところが、天照大神の孫・
ニニキネの時代になると

暦がより正確になったのか
(360日→365日周期?)
わかりませんが

「ヤマサカミ」の思想体系は
「ヒミツノハラヒ(火水の祓い)」
に一本化された
ようです。

この事業を担ったのが
竈神・オキツヒコ
だったようです。

ですから、
竃神というのは本来
「ひとびとの暮らしを守る神」
であり

火焚き設備の
「竃」に限らず

ひとびとの
日常すべてに寄りそう神

だったようですね。

古代の炉による製鉄
須玖岡本遺跡の展示

タカマのマド

「ヤマト(大和)」とは
ハラミヤマ(富士山)の麓
という意味の
「山下(やまと)」や

トの教えを称える
「弥真ト(いやまと)」
からきているといいます。

だとすると、
「カマト」も

カマ(窯)の周囲に
集まる家族という意味の
「窯下(かまと)」だった
のかもしれません。

日神・天照大神を
中心とした国つくりを

火を中心とした
家庭にみたてて


高天原朝廷の教えが
通った民という意味の
「高天徒(たかまと)」
といったのでしょうか?

和仁估安聡写本では
「カマト」で統一されている
のも気になるところです。

またもしくは、
高天原の教えを伝える
窓口[門(かど)]として

「タカマのマド→タカマド→カマド」
となったのかもしれません。

火を中心とした
コミュニティを築くだけで

ひとびとに教えを
伝えていたのでしょうか?

フトマニ図をみますと
東西をむすぶ「タ」と「カ」の中央に
「アウワ」があります。

これを、
「タ」と「カ」の
「間(マ)」にあることから
「タカマ(高天原)」といって

天上の中心地や
朝廷を意味したと
ぼくは捉えています。

北南の「ヱ」「ト」は
暦にも使われましたから

「タカ・マ・ヱト」
と並べてみますと

これも
「カマト」へ転じそうです。

フトマニの解説図
フトマニ図(モトアケ)の中央部

「アウワ」を囲む
「トホカミヱヒタメ」の八王子は
「ヤモトカミ」ともいわれます。

これに
「親元」の意味もあるとすれば

ひとびともまた
「タカマ(高天原)」を模した
「カマ(窯)」の火を囲む
「カマト」といえるのではないでしょうか。

「カマト(ひとびと)」を守るために
「ヱト(暦)」を刻んだから

『ヒビノミカマトノヱトモリカミ』は
「日々のひとびとの暮らしを守るため
暦を編みだした神」であり

ここから、
暦の機能が省かれて
『カマトカミ(ひとびとの暮らし守る神)』
となったのでしょう。

竈信仰と稲荷信仰

トシノリタマメカミ
キツヲサネ・アミヤシナウ
ヤマサカミと受け継がれてきた

「ひとびとの暮らしを守る」
という思想が

竈神・オキツヒコに集約されて
「竈信仰」となった
ようですね。

ご神徳が
「家内安全」なのも
うなずけます。

「カマト」がいつ
火焚き設備の
「竈(かまど)」に転じたかは
わかりませんが

「韓竈」という
移動式窯の伝来などによって

建物の中心にあった窯が
建物の端に追いやられてゆくとともに
意味が薄れていったのでしょう。

古事記が編さんされた
飛鳥・奈良時代にはすでに

竈を祀るという
民間信仰になっていた
と思われます。

では、本来の
「ひとびとの暮らしを守る」という
思いはどうなったかといえば

稲荷信仰に集約された
のではないかと考えます。

ほぼすべての神社の
鬼門に祀られている稲荷神社は

ひとびとの暮らしを守り
夫婦仲を説くカマトカミ(竈神)・
オキツヒコや

東北の木の虚に祀られた
ヤマサカミ(八将神)・
ウツロヰの役割も
担っているのでしょう。

「稲」による収穫を
調理・加工して

食べられるようにするのが
「竃」ですから

稲荷信仰と竈信仰の
つながりはとても深いようです。

稲荷信仰は
弘法大師・空海により
ひろまったともいわれます。

竈神が担っていた
「ひとびとの暮らしを守る」
という意味を

「男女和合によるひとびとの繁栄」
と結びつけて
説いたのかもしれません。

詳しくは、
122号「イナリ考」を
ご覧いただけたらと思います。

いまでも、
「カマド」には
「一家の中心」という
意味があるらしく

「かまどが賑わう」といえば
「商売が繁盛する」という意味で

「かまどを破る」といえば
「会社を破産させる」という意味
だそうです。

古代の神々の願いは、
いまだ言葉のなかに残っているようです。

竈門神社の鳥居
竈門神社の鳥居

竈門神社と玉依比売命

福岡県太宰府市にある
竈門(かまど)神社

玉依比売命(たまよりひめ)
を祀るといいます。

上宮のある
宝満山(ほうまんざん)は

竈門山(かまどやま)
ともいわれたらしく

祭神の眠る墓所
でもあるそうです。

竈門神社の
玉依比売命とは

竈神の母ともいえる
トシノリタマメカミ(年徳玉女神)
のことではないでしょうか?

大宰府(だざいふ)が
地方政庁として栄えたのも

大陸との外交の
窓口だったからですが

そんな
大宰府の鬼門に
竈門山あるのも

「日門(カマド・日本の入口)」
として

日本のひとびとを
守っていたからかもしれません。

宝満山の法城窟
竈門神社の祭神が眠る宝満山の法城窟
(トシノリタマメカミの墓所か?)

『鬼滅の刃(きめつのやいば)』
という人気漫画の主人公が

竈門炭治郎(かまどたんじろう)
といい、

市松模様の衣裳も
宝満山の修験者の装束と
似ていることから

竈門神社は、漫画の聖地として
おおくのファンで賑わっているようです。

竈門炭治郎はオキツヒコ
だといわれているようですが

だとすれば、
ともに旅をする仲間の

我妻善逸(あがつまぜんいつ)は
ウツロヰ

嘴平伊之助(はしびらいのすけ)は
イフキヌシかもしれません。

階級も
干支(ヱト)暦になっている
のがとても面白いです。

オキツヒコの
「オキ」は燠火ともいわれ

しずかに強く燃える
炭火のことだといいます。

竃神と称えられた
オキツヒコの炎は

いまでも
強くしずかに燃えている
のかもしれません。

令和のいま、
太宰府が賑わっているのも

太宰府出身のぼくとしては
とても嬉しいことです。

(おわり)

宝満山山頂の竈門神社の本殿
竈門神社の上宮[宝満山頂上]

巻末の告知

前回につづいて
NAVI彦のYouTube動画

公式イチオシとして
ご紹介いただいています✨

検証ほつまつたゑ127号最終ページにあるNAVI彦動画紹介

覚書き

ご拝読ありがとうございます。

ホツマツタヱでは
国の政治をつかさどる神々
については多く語られますが

人々の暮らしを守る神々
についてはあまり多くは
語られていない印象があります。

そうした部分を
史実や伝承とからめながら
こまかく拾い上げてゆけば

ホツマツタヱのなかでも
難解とされている

アミヤシナウの系譜を
より深く理解できるのではないか
という思いにつき動かされて

そうした神々の活躍に
焦点を当てているところです。

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