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検証ほつまつたゑ131号 おふかんつ実3

検証ほつまつたゑ131号表紙検証ほつまつたゑ

検証ほつまつたゑ

ホツマツタヱ研究の専門同人誌・
『検証ほつまつたゑ よみがえる縄文叙事詩』

第131号(令和6年2月号)に
掲載していただきました!

本当にいつも
ありがとうございます🥰

今回も、
ホツマツタヱをもとにした
『小説』を投稿
しています。

天照大神の父母である
イサナギ・イサナミ
を描く連載の第3回です。

検証ほつまつたゑ131号おふかんつ実

↓「その1」「その2」はこちらです。

(※当ブログでは掲載にあたり
やや改訂したものを投稿しています)

『おふかんつ実』 その3

《ホツマツタヱ異文小説》

橘山

「イサナギ」と称えられた背中は、こんなに広くなったのか。
若き日の「カミロギ」の影は、もうここにはない。

あの頃は、浜辺をすこし走っただけでも息が切れていた。
身体があまり強くないといっていた。

それがいまでは、わたしに背中しか見せてくれない。
いつでもわたしの前を歩いてゆく。
足どりも軽やかで、追いつくとまた離れていってしまう。
こちらはもうすっかり、息がきれているというのに。

「やあ、ひらけてきた!」

背の高い木々がなくなり、低い木や草花だけになってきた。
永遠と続くようにも思えた深い森が、ようよう途切れてきた。
ということは、ここはまだ半ばでしかないということか?
つくづく先は長いらしい。

この山の美しい姿を思いおこして、イサコはいま、
山とひとつになっているように感じた。

原見ハラミの山とは言ったものだ! なあ、イサコ」

タカヒトことイサナギが立ち止まって、麓を眺める。
イサコことイサナミもつられて、彼方を振り返った。
南の空高く輝く日に、天地があまねく照らされている。

「あぁ。きれい」

イサナミから、思わずため息がもれる。

「カグツミよ、蓬莱ハラミの宮はどこにある?」

「それ、あちらです」

まだ年若いカグツミが、迷いなく麓を指した。

「おお、見える見える」

イサナギは手を叩いて喜んでいる。
こうした姿はいつまでも変わらないのだと、イサナミもほっとする。

「こうしてみれば、
山下ヤマトの田畑も広がってきたように思うが、どうだろうか」

「山下は黒い土に覆われています。
畑には良いのですが、稲田にするには、まだ手がかかるでしょう」

「ふむ、それはいずれ策を考えなければいけないな。
養蚕コカイのほうはどうだ?」

「桑はよく育ちます。橘よりも手はかかりません」

「そうか、それは良かった」

カグツミとは、カグむ者という意味だ。

蓬莱山ハラミヤマ(富士山)を司る一族であり
2代・天神アマカミの植えた「橘」を守っている。

「橘」は、
天神に継がれてきた「教え」の物実ものざねである。

これを大切にすることは、
天神の「教え」がいまでも通っていることを示している。

だからカグツミの一族は、
日本一の高さを誇るこの大山を
橘山カグヤマ」とも呼んでいた。

「良き織女おりめも、育てているところです」

御食みけと養蚕は、政の要だからどうにも気になってしまう。
しかしカグツミも、若いながらによくわかっている。
さすがはサクラ翁の子だ」

「父も、ここに来たがっておりました」

「サクラ翁に来てもらっては、こちらが気を使ってしまう。
しばらくは蓬莱ハラミの宮で、休んでくれるといいが」

「父に休めというのは、酷なことです」

休めといわれて怒るサクラ翁の姿が浮かんで、
イサナギもつい笑ってしまった。

「あの、日高見ヒタカミはどちらですか?」

水を飲んで、息を整えたイサナミが訊く。

「山の上まで登っても、日高見までは見えません」

「それでも構いません、教えてください」

東北キネですから、山の向こう側です」

「そうですか。ありがとう」

蓬莱山ハラミヤマの北東にひろがる秀真ホツマ国(関東地方)や
さらにその奥へとつづく日高見国(東北地方)を
イサナミは山肌に思い描いてみた。

「イサナミさまも、親子なのですね」

「え、なにがです?」

「先日、豊受大神トユケノカミが登られたときにも
同じことを聞かれました」

「そう……でしたか」

豊受大神と聞いて、イサナミの心が揺れる。

困ったような苦しんでいるような深い皺にゆがんだ父の顔が、
遠い日高見国からこちらを見つめ返してくるようだった。

「よし、さきは長い。まだまだ進もう」

イサナギは妻の肩をそっと抱き寄せると、
カグツミの一族が刻んだ轍の道へ向かわせた。

イサナミも父の眼から引きはがされて、はっとわれに返る。

夫のこんな思いやりに、わたしは何度救われてきただろうか。

「ヒヨルコは、わたしの恥でもある」

そっと耳打ちするイサナギに、
イサナミもちいさく、うんうんとうなずき返した。

ヒルコとヒヨルコ

ヒルコは、手にあまる子だった。
あれこそ神の子だったと思う。

わたしが産んだ子には違いないけれど、
わたしにはヒルコがわたしの子には思えなかった。
どこか他人の子のように思えてしまった。

ヒルコは、じぶんでもそれをわかっていたようだ。
わたしがヒルコに思いを寄せていなかったように
ヒルコもわたしに思いを寄せていなかった。

ただ、「母」と「子」というだけだった。

ヒルコは、じぶんが何のために生まれてきたのか
何を成してゆくのかよくわかっていたのだろう。
天から授かった務めを、果たすことができる器用な子だ。

わたしにとってヒルコは、
イサナギが求めたから生まれた子でしかなかった。

だからカナサキへ預けるときも
すこしほっとしていた。

けれども、ヒヨルコは違う。
ヒヨルコはわたしが求めて、わたしが願った。
ヒルコのときのような思いはしたくなかったのだ。
次に産まれてくる子は、母として向き合いたい。
そのためにわたしは、后ではなく妻になろうと思った。

良き妻になろう、良き母になろう、
そしてこの国が求めるものになろう、
この国のために生きよう。

そう願ってわたしは、身を尽くした。

『あなにゑや ゑをとこ』

あぁこのひとは何て、良い夫だろう。
この国を思い、わたしを思い、ヒルコを思い、
世継ぎを願うイサナギを、わたしは心から敬った。

わたしはようやく、イサナギの子を産みたいと思えた。

けれども、ヒヨルコは流れてしまった。
産まれてくるには、まだ月が早かった。

ヒヨルコの身体は、もう、できかかっていた。
頭がある、目がある、手足もわかれている。
わたしはこんな姿のヒヨルコが、とても愛おしかった。
離れたくなかった。一緒にいたかった。

「これはわたしの恥でもある」

イサナギはわたしを抱きとめて、こう言ってくれた。

あとで聞いた話だけれど、流れるかどうかは
父の精液シジナミが、母の卵子ニシナギ受精するチナムときに
もうきまって決まるそうだ。

ここでのチナみあいがうまくいかなければ、流れてしまう。
これはおおく、男のほうに理由があるそうだ。


父・豊受大神は、あらたに儀式を定めた。

9音の歌では、コト九十コト)を結ばないので、
五音七名道ヰネナナミチにあらたに三音ミコトをあわせ、
くくりを10音とした歌を詠むのだという。

9音の歌を、10音の歌で継ぐことで、
事(九十)を結んで子種に恵まれるのだという。

嫁ぎ法トツギノリ」といわれるこの儀式を、
わたしたちは何度も繰り返した。

蓬莱山

イサナギとともに八洲の国を治めても、
世継ぎ子が産まれる兆しはなかった。

こうなると、父がすこしあわれにも思えた。
嫁ぎ法なんて儀式は、もともと意味がなかったのだ。

ヒヨルコはけっして、間違いや失敗じゃない!
イサナギもきっと、そう思ってくれているはずだ。

八洲を治めた報告のため日高見国にきてみれば
広間には諸臣をはじめ
豊受大神も顔をしわくしゃにして座っていた。

フトマニがうまくゆかなかったことを笑ってやろうかとも思っていたが
父と向かい合ってみれば、たちまちに恐ろしくなって
手足が冷たくなってゆく。

高天原の議会にイサナギが各地での国生みを伝えてゆく。
しかしイサナミは、もう気が気ではなく震えていた。

イサナギが報せを終えると
豊受大神がゆっくりと口をひらいた。

「それで。イサコからは何かないのか」

深く低く静かにとよませる、あの声だった。
肚の底にまで響いてきて、もうなにを言っていいのかわからなくなる。
かなしくて、悔しくて、苦しくて、もうどうしたらいいのか、わからない。

「何も言うことはないのか?」

わたしに謝れとでも言っているのだろうか。
追いつめられて、追いたてられて、イサナミは深く頭を下げた。
そうして締りゆく喉から、ただ音を絞り出した。

「世継ぎ子……もがな……」

世継ぎ子を願えども、かないません。
どうしても産むことができないのです。

子を産むという后としての務めの果たせないいま、
イサナミはもう消え入りそうな思いだった。

「八洲をめぐり、アワウタを教えひろめたいま
世継ぎをもうけることがわたしたちの務めとなりました。
豊受大神、どうかふたたび力をお貸しください」

妻をかばうように、イサナギが進みでる。
すると豊受大神は、すこしく顔をゆるませた。

蓬莱山ハラミヤマに登るとよい。
わしもあの地で知ることがおおくあった。
わしもまた良き地を選び、子種を祈ることとしよう」

立ちあがると豊受大神は、イサナミにそっと声をかけた。

「良き子を宿すのだ」

天の原

蓬莱山ハラミヤマがなぜ「ハラミ」といわれるのか
登ってみてよくわかった。

たしかにここからは、
山下やまとの国々をよく眺めることができる。

ひとびとがどう暮らし、どう生きているのかを
立ち昇る煙から読むこともできる。

だがそれは、
ひとびとの暮らす「地のハラ」をることでしかない。

蓬莱山ハラミヤマは「天のハラ」をるための山だった。
天上に星々が輝いたとき、それがよくわかった。

この国おいて
天上の高天原にもっとも近いのがここだ。

天御祖神アメミヲヤ天元神アモトカミ天並神アナミカミ三十二神ミソフカミ十一神ソヒカミ
歴代の天神アマカミの御霊など
諸祖霊たちの息づかいが声となって瞬いている。

あぁ、ここで祖霊たちにわたしは、なにを訴えることができるだろう、
どんな言葉を放てばわたしは許されるのだろう。

そうやっておののいていると、鼻をすする音がした。

「……イサコぉ……」

星明かりに照らされて、イサナギの顔で涙が光っていた。

「どうして泣いてるの?」

「これは、美しい」

瞳を輝かせるイサナギをみて、
あぁ、このひとはいま蓬莱山ハラミヤマへ登ってきたことも、
世継ぎを求めにきたことも、
すべてを忘れていま、この星空に溶けているのだなと思った。
そしてそんなイサナギが、とても好もしいと思った。

豊受大神がわたしたちを蓬莱山ハラミヤマに登らせたのは
「ハラミ」に掛けて、子を「ハラむ」という願掛けだ。

天のハラと、地のハラとの、はざまにある「ハラみ山」の上で
神々の祝福を受けた子を宿すことができたなら

その子はきっと、この世をあまねく導くものとなるだろう。

夢心地

蓬莱山ハラミヤマの火口は、
雪解けの水がたまって池となっている。

天上の星々が池水に写りこめば、
その光景は豊受大神が作ったモトアケ(フトマニ図)そのものだ。

もちろん昼になれば、
池水には太陽が写ることとなる。

池水はこうして夜は星月の精気をたくわえ、
昼は日の精気をたくわえていた。

イサナギはその池水で、
左目タノメ」を洗っては日の霊に祈り
右目カノメ」を洗っては月の霊に祈った。

左の「タ」と、右の「カ」は、
モトアケ(フトマニ図)では東西をあらわしている。

アメミヲヤの世界でもある中央の「アウワ」は、
「タ」と「カ」にはさまれた「」であるから
「タカマ(高天原)」という。

イサナギは、
日の精を「左(陽)」から
月の精を「右(陰)」から取りいれて
人身ヒトミひとみ)で統合し

天上の高天原にちかいもの
アメミヲヤの御霊を降ろす器になろうとしていたのだ。

蓬莱山ハラミヤマでの禊がつづいたある日、
イシコリドメというものが「真澄鏡マスカガミ」を勧めてきた。
池水の面を、石に凝り留めたようなものだった。

蓬莱山ハラミヤマの池水をみた豊受大神が、
鋳造(ゐつくり)に命じて作らせたのだそうだ。

「わたしは、こんな顔をしていたの?」

真澄鏡に映しだされた顔に、イサナミは驚いた。
これまで凪の水面に写すことはあったが、
ここまで澄んだ姿が写ることはなかった。

ふたりは真澄鏡をつかって、
昼は日の光をイサナギにあつめ
夜は月の光をイサナミにあつめた。

さらには蓬莱山ハラミヤマの峰を中柱にみたてて
嫁ぎ法トユギノリも行った。

『あなにゑや うましおとめに あいぬ』
『わなにやし うましをとこに あひき』

イサナギもイサナミもともに出会いを喜び、ともに慈しみ
のアワウタをかわして、日月の精気を通わせた。

蓬莱ハラミの峰をぐるぐると廻るさまは
天の運行を身に宿し、天の姿そのものを描くようであった。

こうした儀式が千回にも満ちるころ、
イサナミは身柱チリケから日月の御霊が入ってくるのを感じた。

「あぁ、いよいよ月が満ちました」

その夜を蓬莱山ハラミヤマでの最期の夜とした。
ふたりは日の出まで、ともに日月に祈ることにした。

やがてゆっくりと、夜が白んでくる。
すると、まだうす暗い空の闇のなかで、
ごうごうと激しく光るものがあった。

まばゆく空を燃やしながら落ちてくる、巨大な火の玉だ。

それが、ふたり目がけて落ちてきた。

あまりの眩しさに、
ふたりは目を丸くして固まっていると、
火の玉はふたりの真上でついに燃え尽きて消えてしまった。

はらはらと降る灰が、
まるでふたりを称えるように舞っていた。

ついで朝日が、東のほうから頭をのぞかせる。

「まるで夢を見ていたみたい」

「たとえ夢でも、良い夢に違いない」

ふたりはまだ動けずに、
昇りくる朝日に照らされていた。

  もろともに おがむひのわの
  とびくたり ふたかみのまえ
  おちととむ おもわすいたく
  ゆめここち

(つづく)

解説

ヲシテ文献の空白部分を、
想像力によって補ってみようという小説企画です。

「異文」としているのは
あくまで可能性のひとつということです。

今回は、イサナギとイサナミが富士山へ登山して
男児を授かるように祈るという場面です。

イサナギとイサナミが身も心も結ばれた瞬間、でしょうか。

記紀では、
黄泉から帰ってきたイサナギがひとりで禊をおこない、
左の眼を洗うと天照大神が産まれ、
右の眼を洗うとツキヨミが産まれ、
鼻を洗うとスサノオが産まれたとされています。

ホツマツタヱではこれが、
天照大神出産に向けての大事な儀式であったようです。

みなさまのご研究の一助になれば幸いです。

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