検証ほつまつたゑ
ホツマツタヱ研究の専門同人誌・
『検証ほつまつたゑ よみがえる縄文叙事詩』の
第124号(令和4年12月号)に
掲載していただきました!
本当にいつも
ありがとうございます🥰
今回は
神功皇后(じんぐうこうごう)
についてまとめています。
日本初の女帝ともいわれ
日本の歴史にもふかく関わる
神功皇后について
ホツマツタヱから迫ってゆきます。
神功皇后考 その1
神功皇后(じんぐうこうごう)は
第14代・仲哀(ちゅうあい)天皇
の后です。
息長帯比売(おきながたらしひめ)
ともいい
滋賀県米原市の
天野川流域を本拠とする
息長(おきなが)氏
の娘だといいます。
仲哀天皇は
ヤマトタケ(日本武尊)の子
にあたりますから
ホツマツタヱの書かれた
すぐあとの世代を生きたかた
といえるでしょう。
ではなぜ、
ホツマツタヱに登場しない
神功皇后についてみてゆくのかというと
ぼくはこのかたを
天照大神の姉・
ワカヒメが転生した姿
ではないかと考えるからです。
ワカヒメ転生
ホツマツタヱによれば
ヤマトタケは
天照大神の弟・
ソサノヲが転生した存在
だったといいます。
ふたたび生をうけて
国のために尽くしたいという
ソサノヲの願いは
ヤマトタケとして生きることで
叶ったようです。
本誌116号
「尾張とヤマトタケ ~ソサノヲ転生考~」では
ヤマトタケとソサノヲの事跡が
とてもよく似ていることをみてゆきました。
その例にならうならば
神功皇后とワカヒメの事跡もまた
とてもよく似ています。
とくに印象的なのは
男勝りに武装した勇ましい姿
ではないでしょうか?
流離刑をくだされた
ソサノヲは
姉・ワカヒメに
ひとめ逢いたいと
ヤスカワまで向かいます。
しかし、
ワカヒメは弟の逆心を疑うと
髪を総角(あげまき)に結い
弓矢と剣をたずさえて
迎えたといいます。
神功皇后は
夫・仲哀天皇をうしなうと
みずからが女帝となって
三韓遠征をおこないます。
そのときには、
髪を角髪(みずら)に結いあげて男装し
斧鉞(おのまさかり)をたずさえて
号令をとったそうです。
神社創建
また、ワカヒメは
カナサキ(住吉大神)に養育され
歌の手ほどきをうけますが
神功皇后もまた
住吉大神の守護をうけていた
といいます。
住吉大社を創建したのも
神功皇后といわれ
住吉三神とならび祀られています。
神功皇后は
神戸の沿岸に
・廣田(ひろた)神社
・生田(いくた)神社
・長田(ながた)神社
も創建したといいます。
廣田神社では
瀬織津姫(せおりつひめ)
を祀り
生田神社では
ワカヒメ(ヒルコ)
を祀り
長田神社では
クシヒコ(事代主)
を祀ったようです。
神戸は
ワカヒメが
幼少期を過ごした地であり
瀬織津姫が
晩年を暮らした地でもあります。
神功皇后が
祭祀をはじめなければ
こうした
伝承地も失われていた
のかもしれません。
住吉大社とおなじく
摂津国一宮をかかげる
坐摩(いかすり)神社
もまた
神功皇后が創建した
といいます。
宮中祭祀をになう
重要な神ですが
こちらも
ホツマツタヱがなくては
由緒をたどることができません。
九州平定
九州では
平定した地を
「ヤス」と名づけたり
「タマシマ」という地で
食事をしたと
記紀は伝えています。
これも、
ワカヒメの暮らした
「ヤスカワ(野洲川)」や
晩年を過ごした
「タマツシマ(玉津島)」を
暗示しているのでしょうか?
また、神功皇后は
仲哀天皇の子をはらんだまま
三韓遠征をおこなったといいます。
そのさい、
お腹に石を巻きつけて
出産を遅らせていたといわれ
『鎮懐石(ちんかいせき)』
という霊石がいまでも
各地の神社で祀られています。
これも
ホツマツタヱからみるならば
天照大神は 96ヵ月も胎内にとどまって かたい胞衣にくるまれた姿で産まれた
という事績にあやかっていた
のかもしれません。
胎内にながく留まることで
聖なる御子の証にしようとした
のではないでしょうか?
丹生
和歌山を訪れたさいには
昼夜の区別がなくなるという
天変がおこったそうです。
なんでも、
小竹(しの)の祝(ほうり)
を愛してしまった
天野(あまの)の祝が
あとを追ってなくなり
小竹の祝とおなじ墓にはいった
ことが原因だったといいます。
そこで
別々の墓に葬ったところ
天変もおさまったそうです。
日本最古の同性愛
としても知られる話ですが
天野の祝がつかえる宮
というのも
ワカヒメこと
丹生都比売(にうつひめ)
が祀られる神社です。
播磨国風土記によれば
神功皇后は
丹生都比売の神託をうけて
衣服や武具や船を
赤く染めたところ
三韓遠征に勝利した
といいます。
この返礼として
丹生都比売神社を祀った
ともいうようです。
ここから
紀ノ川をくだれば
ワカヒメや神功皇后を祀る
玉津島(たまつしま)神社
もあります。
海人族
福井の
氣比(けひ)神宮は
仲哀天皇と神功皇后が
結ばれてすぐに暮らした地
だといわれています。
ホツマツタヱでは
キタノツ(北の津)
にあたり
天照大神のひ孫・
ウツキネ(山幸彦)と
サクラギ(海幸彦)の兄弟が
仲違い(イササワケ)をした地
だったようです。
のちに、
ウツキネが埋葬された地
でもあるようですね。
神功皇后は福岡で
阿曇磯良(あずみのいそら)から
潮満珠(しおみつたま)
潮干珠(しおひるたま)
をさずかることで
三韓遠征に勝利した
ともいいます。
これは、山幸彦が
海幸彦をこらしめた珠と
おなじものでしょう。
神功皇后は御子・
応神天皇をお産みになられると
忠臣・
武内宿祢(たけうちのすくね)
に御子をたくして
氣比神宮へ向かわせた
といいます。
すると、
武内宿祢の夢に
イササワケの神があらわれて
『わが名と、御子の名を易(かえ)たい』
告げられたそうです。
なぜ氣比神宮にいったのか
どのように名をかえたのか
いまだに真意がわからず
研究者を悩ませているといいますが
ともあれ、
ウツキネと氣比神宮を結ぶ糸が
神功皇后で繋がっている
のは興味深いことです。
もしかすると神功皇后は
仲哀天皇をウツキネに
例えようとしていたのかもしれません。
仲哀天皇が産まれたのは
滋賀県大津の
高穴穂宮(たかあなほのみや)
といわれていて
第12代・景行天皇から
3代にわたって暮らした宮
だといいます。
ここは、
ウツキネの暮らした
シノミヤ(四宮)にもちかく
宮をあずかっていた忠臣・
ヤマクイ(大山咋神)を祀る
日吉(ひよし)大社の地
でもあります。
日吉大社の東西の本殿は
高穴穂宮を向いているようですから
ウツキネにつかえた一族は
仲哀天皇の時代も天皇家に尽くしていた
のかもしれません。
その一族がもちいた
潮満珠・潮干珠を
神功皇后が使ったということは
仲哀天皇を支援する一族とも
神功皇后は協力関係にあり
仲哀天皇なきあとも
関係はつづいた
ということでしょうか。
歌
氣比神宮から
応神天皇と武内宿祢がもどると
神功皇后は酒宴をひらいて
歌を詠んだそうです。
このみきは わがみきならず
古事記
くしのかみ とこよにいます
いはたたす すくなみかみの
かむほき ほきくるほし
とよほき ほきもとほし
まつりこしみきぞ
あさずをせ ささ
酒をはじめて
朝廷に捧げたのは
スクナミであり
「御酒(みき)」は
「君(きみ)」に
掛かっているというのも
ホツマツタヱならではです。
「酒(ささけ)」から
言祝ぎの詞「ささ」が生まれた
ことまでも詠みこまれ
子孫の繁栄を願う
素晴らしい歌となっています。
ほかにも何重もの意味が
編みこまれたこの歌は
ワカヒメの歌の才能にも
通じるのではないでしょうか?
聖母
応神天皇については
ほんとうに仲哀天皇の子だったのか?
武内宿祢の子ではないか?
朝鮮王朝の子ではないか?
などさまざまな説があり
天照大神からつづく
皇室の血統まで
疑問がもたれているようです。
第25代・
武烈(ぶれつ)天皇で
嫡子が途絶えると
第14代・仲哀天皇や
第15代・応神天皇までさかのぼって
子孫をたずねたそうです。
しかし、
仲哀天皇の子孫・
倭彦王(やまとひこのおおきみ)
には逃げられていまい
応神天皇の子孫にあたる
継体(けいたい)天皇が
世を継いだといいます。
応神天皇がになった役割とは
継体天皇につながる
血を残したことでもあるでしょう。
それがのちに、
八幡神=応神天皇という
信仰にも繋がったようです。
神功皇后が
聖母(しょうも)
といわれる由縁でしょうか。
トの直系をうしなう混迷のなか
イサナミは天照大神を産むことで
国の統治を繋ぐことができました。
その母の姿が
長女・ワカヒメには焼きついていた
のかもしれません。
そして、
おなじような時代の節目に
ワカヒメは神功皇后としてよみがえり
応神天皇を産んで国の統治を繋いだ
というストーリーも
思い描いてみたくなります。
想像の域をでない話し
ではありますが
ホツマツタヱの神を祀る
おおくの神社が
神功皇后によって残されている
ことにはおおきな意味があるのでしょう。
斉明天皇
歴史研究者のなかには
神功皇后は実在性が薄い
と考えるかたもいらっしゃるようです。
あまりに伝説的な話がおおい
こともありますが
そのモデルとして
第37代・
斉明(さいめい)天皇
があげらるそうです。
天智(てんじ)天皇と
天武(てんむ)天皇の母・
斉明天皇は女帝として
海外遠征となる
白村江の戦いを決断しました。
斉明天皇と夫・
舒明(じょめい)天皇はともに
応神天皇と息長氏の血が
色濃く流れていたらしく
ここから
『神功皇后』が
創作されて記紀に残された
とも考えられるそうです。
もちろん、
推古(すいこ)天皇や
持統(じとう)天皇という
女帝の存在も関わるでしょうし
天照大神が女神とされた
理由にも繋がるのでしょう。
けれども、さらに
深い理由もありそうです。
次号では、
息長氏と琵琶湖に
焦点をしぼって考えてみます。
(つづく)
覚書き
ご拝読ありがとうございます。
神社めぐりをするなかで
神功皇后という存在が日々
おおきくなってゆきました。
このかたもきっと
ホツマツタヱに関わるに違いない
という思いにつかれて
ホツマツタヱとともに
神功皇后を追いかけていると
ワカヒメの転生ではないか?
という考えにたどり着きました。
こうした視点によって
いままでわからなかったものが
より鮮明に見えてくればいいなと
あわい期待を抱いています。
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