乙女神社
藤社(ふじこそ)神社から
鱒留川(ますどめがわ)沿いを
2キロほど上ってゆくと
乙女(おとめ)神社
があります。
こちらは
天女の娘を祀る神社
だといいます。
![](https://navihico.com/wp-content/uploads/2024/06/shrine-road-otome-768x1024.jpg)
羽衣伝承
京丹後には
羽衣(はごろも)伝承
が残っているようです。
天から降りてきた天女が
裸で水遊びをしている間に
羽衣を隠してしまい
天に帰れなくなった天女を
わが物にするという伝承です。
丹後国風土記には
和奈佐(わなさ)夫婦の
物語が描かれていましたが
この地にはまた
別の伝承があるといいます。
![](https://navihico.com/wp-content/uploads/2024/06/shrine-statue-otome-768x1024.jpg)
三右衛門
比治(ひじ)の里には
三右衛門(さんねも)
という若い狩人が
住んでいたといいます。
ある日、サンネモは
磯砂山(いさなごさん)の
山頂にある池で
8人の天女が
水浴びしているのを
見かけたそうです。
![](https://navihico.com/wp-content/uploads/2024/06/dolls-otome.jpg)
そこでサンネモは
天女の羽衣を宝物とするべく
ひとつだけ隠したところ
ひとりの天女が天へと
帰れなくなってしまいました。
そこでサンネモは
その天女を家に連れ帰って
妻とすると
天女とのあいだに
3人の子をもうけた
といいます。
天女は
農業や養蚕や機織りや酒造り
がとても上手かったらしく
サンネモの家はもとより
比治の里までもが
豊かになったそうです。
![](https://navihico.com/wp-content/uploads/2024/06/dolls-otome-img2.jpg)
けれども天女は
天を恋しく思うあまり
サンネモの留守中に
娘たちから隠し場所を
聞き出すと
大黒柱の穴にあった
羽衣を見つけて
ひとりで天へと
帰っていったそうです。
![乙女神社のご由緒](https://navihico.com/wp-content/uploads/2024/06/shrine-info-otome.jpg)
乙女神社の案内板には
このように書かれていましたが
ここからさらに
こんな話も続くようです。
天女はサンネモに
「またわたしに逢いたかったら
この夕顔の種を植えてください」
と言い残したといいます。
そこで
サンネモが種を植えると
蔓はぐんぐん伸びて
天と地を繋いだそうです。
何日もかけて
蔦をのぼったサンネモは
天人に迎えられ
天女と幸せに暮らした
といいます。
![乙女神社の鳥居と社号碑](https://navihico.com/wp-content/uploads/2024/06/shrine-otome.jpg)
サンネモは天上界で
瓜畑の番をすることに
なったのですが
絶対に食べてはいけない
といわれていたこの瓜の実を
仕事のあいまに
食べてしまったそうです。
すると
大洪水がおこって
サンネモは下界まで
流されてしまいました。
これを見ていた天女は
「7日、7日に逢おう」
と叫んだのですが
天邪鬼によって
「7月7日に逢おう」
と伝えられてしまったそうです。
こうしてふたりは
年に1度
七夕の夜にしか
会えなくなったといいます。
![乙女神社のしめ縄](https://navihico.com/wp-content/uploads/2024/06/shrine-rope-img2.jpg)
別の伝承では
サンネモは瓜畑の番ではなく
天の川に橋をかける仕事を
おこなったといいます。
仕事の合間には
妻(天女)のことを
思い出してはいけない
といわれていたのですが
あとわずかで完成する
というときにふと
妻を思い出してしまったところ
大水(洪水)が押し寄せて
下界まで流されたといいます。
![乙女神社の境内](https://navihico.com/wp-content/uploads/2024/06/shrine-grounds-otome.jpg)
後半は
七夕伝説なども混ざりあった
不思議な話になっています。
また、
天地を結ぶという伝承は
天橋立にもありました。
乙女神社では
天女とサンネモの
三人の娘のうちのひとりを
祀っているといいます。
ほかの娘たちは
奈具(なぐ)神社
多久(たく)神社
にそれぞれ
祀られているようです。
この3つの神社は
直線上にあるとも
いわれるようですね。
こうしたことから
乙女神社にお参りすると
美しい女の子を授かる
といわれるようです。
また
天女とサンネモの子孫は
いまでも比治の地に
暮らしているといいます。
![](https://navihico.com/wp-content/uploads/2024/06/folklore-otome-img3.jpg)
豊宇賀能賣神
ご祭神は
豊宇賀能賣神(とようかのめのかみ)
となっています。
一般的には
豊受大神(とようけおおかみ)や
豊宇気毘売神(とようけびめ)を
あらわすようですが
この地では
天女の娘をあらわすようです。
![乙女神社の鳥居](https://navihico.com/wp-content/uploads/2024/06/shrine-gate-otome.jpg)
乙女神社には
社が3つあるのですが
中央が本殿であり
豊宇賀能賣神こと
天女とサンネモの
娘のひとりを祀っています。
八柱神社
本殿の右には
八柱神社があります。
こちらは
豊受大神(とようけおおかみ)
倭伴神(やまととものかみ)
を祀っているそうです。
豊受大神とともに
豊受大神の神霊をお祀りする
八乎止女(やおとめ/八乙女)
を祀っているのでしょうか?
![乙女神社のしめ縄](https://navihico.com/wp-content/uploads/2024/06/shrine-rope-otome.jpg)
吉野神社
本殿の左には
吉野神社があります。
大山祇神(おおやまずみ)
火産霊命(ほむすび)
祀っているといいます。
磯砂山(比治山)の
守護として
山の神・大山祇神と
火の神・火産霊命を
祀っているのでしょうか。
![乙女神社の本殿](https://navihico.com/wp-content/uploads/2024/06/main-shrine-otome.jpg)
真名井の池
磯砂山の山頂には
かつて池があったらしく
真名井の池
といわれたようです。
「真名井(まなゐ)」とは
清らかな水が湧く井戸のこと
と聞いていたのですが
ほかに
神々が掘られた井戸のこと
という説もあるようです。
ホツマツタヱから
解釈すればこれは
古代の指導者が
農地開拓のために掘った井戸
ということにもなりそうです。
![乙女神社の狛犬](https://navihico.com/wp-content/uploads/2024/06/shrine-guardian-otome-768x1024.jpg)
磯砂山の真名井の池は
露や雨水をたくわえており
天から授かった穢れのない水
という意味だったらしく
神聖な行事に
使われていたといいます。
ですから
ウケミズ(笠水)
ともいわれていたようです。
どうやらこれは
トヨウケ(豊受大神)の水
の略語であるようです。
![乙女神社の社日塔](https://navihico.com/wp-content/uploads/2024/06/stone-statue-otome-768x1024.jpg)
真名井の池が
神聖な水であったとするなら
天女の水浴びとは
穢れを落とすという
禊の行事だったのかもしれません。
やはり天女というのは
豊受大神の神霊をお祀りする
巫女のことだったのでしょうか。
もしかするとここには
磯砂山で潔斎を行うための
禊小屋があったのかもしれませんね。
![乙女神社の境内の石](https://navihico.com/wp-content/uploads/2024/06/shrine-stone-otome.jpg)
ハヤコ妃
比治の里の狩人を
「サンネモ(三右衛門)」
といっていたのも気になります。
なぜあえて
「サンネモ」と
読ませているのでしょう。
この名はどこか
ホツマツタヱの神々にも
通じるような名でもあります。
サンネモと天女には
3人の娘が生まれたといいますが
ホツマツタヱによれば
京丹後というのは
天照大神とハヤコ妃が
3人の娘をもうけた地でもあります。
タケコ・タナコ・タキコ
という三姉妹であり
いわゆる
宗像三女神にあたります。
天照大神には
合わせて8人の子があった
というのですが
男の子は5人
女の子は3人
という内分けでした。
これもまた
羽衣伝承と通じている
ようにも感じます。
![鱒留川と天女の里](https://navihico.com/wp-content/uploads/2024/06/landscape-otome.jpg)
所在地
〒627-0053
京都府京丹後市峰山町鱒留433
京丹後めぐり14
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